20.もしかして、もしかしなくても
まただ。
いつものスマホのアラーム。
遅い日の出の光は、カーテンの隙間から漏れることなく、窓との間に滞る。
ベッドの上、眠気よりも、苛立ちを覚えながら身を起こす。
まただ。
またあの夢だ。
夢と認識してるのに、どうしようもなく悲しくて。こらえようのない切なさで胸がいっぱいになるのに、どんな夢だったかカケラも覚えてない夢。
(小説、読んだのに……)
桜町に懇願して、どうにか読ませてもらった小説。
あの小説を読ませてもらったことで、一旦おかしな夢は治まっていたんだけど。
(いったい、なんなんだよっ)
舌打ちとともに、吐き捨てたい感情。
モヤモヤするのに、胸が痛い。
*
「なあ、桜町。ちょっといいか?」
放課後。
俺は桜町に誘いをかけた。
「いいけど。どうしたの? 新里くん」
俺の意を決した誘いに、桜町がカバンに荷物を詰める手を止めた。眼鏡越しに見える、驚いてる桜町の目。
「なんでもいいから。少しつき合ってくれねえか?」
これが男女共学の学校なら、「告白か? 告白すんのか、アイツ」ってワクワク野次馬根性で見られるんだろうけど。男子校の悲しい性。集まる視線に含まれてんのは、「ケンカか? 桜町とタイマンやんのか?」。「剣道の授業からの因縁?」それとも、「ただたんにテスト近いから、ノート見せてくれ! ヤマを教えてくれ!」かもなんていう、迷探偵推理も付随する。剣道でおかしくなったのも、桜町のほうが勉強できるのも本当のことだし。(少しくやしい)
「あそこの、お城公園まで一緒に来てくれねえか」
窓の外、なだらかな市街地に抵抗するデベソのような森。お城公園。
俺がそこに視線を移すと、教室内がざわついた。
「やっぱケンカか?」「案外告白……とか?」
興味津々前のめりになったらいいのか。ドン引き腰引けになったらいいのか。
教室の空気が微妙なものになった。
「……わかった」
短く了承すると、桜町が立ち上がる。
「じゃあ、行こうか。新里くん」
「お、おう……」
カバンを引っ掛け、先に歩き始めた桜町。そんな簡単にオッケーもらえると思わなくて、誘った俺のほうが拍子抜けしてしまった。
(「なんで?」とか訊かないのか?)
一応、その言い訳めいた説明も用意してたのに。
「どうしたの? 行かないの?」
ドアに手をかけ桜町がふり返る。
「行くに決まってんだろ」
慌てて追いかける俺。軽く五木と川成に「じゃな!」と手を挙げて、廊下に出る。
「BL……」
教室はさらにどよめいた。
*
俺と桜町が無言のまま向かった場所。お城公園。
学校のある丘から降りて、徒歩10分程度の距離。
平になることに抵抗する、デベソのような森。けどそれは外から、丘の上とかから見下ろした時のことで、中に入ってみると、木々に囲まれた丸い形の広場だった。木に囲まれた階段を数段登った先に、砂地の広場がある。ジャングルジムや滑り台といった公園基本セット。かつてここが「千栄津城」だったという史跡の看板がなければ、ただの森の中公園。夏になれば、カブトムシとか捕まえられそう、セミうるさそうってのがここの感想。
けど。
「桜町。お前ここが城跡だって知ってたか」
どう切り出したらいいか分からなくて、そんなことを話題に上げる。
「俺さ、中学の時にここへ引っ越してきたから知らなかったんだけど。戦国時代、ここに千栄津城ってお城があったんだってな」
「新里くん……」
俺といっしょに来たものの、どうして俺がそんな話をするのか。桜町が不思議そうな顔をした。
「なあ、桜町。お前が書いてたあの小説さ。ここであった出来事をベースにしてるんじゃないのか? あれはフィクションだって言ってたけど」
無言のままの桜町。近くにあるベンチにカバンを下ろすでもなく、そのまま立って俺の話を聴き続ける。
「俺、調べてみたんだよ。この街の歴史。そしたら出てきたんだ。千栄津合戦って。永禄三年、1560年10月、隣の領主、久慈氏の長男、真保が千栄津城主真野康隆を倒し、その娘を妻にしてこの地を治めたって」
市の図書館で調べてきたこと。
戦国時代の栄津市。
永禄三年、ここにあった城を守っていたのは、智将真野康隆。彼は武力に長けてなかった代わりに、計略知略に富んでいた。それまで何度も久慈側の攻撃を防いでいたが、この年、久慈真保の攻撃の前に、城は陥落し、真野は討ち死にした。
残された真野の娘(名前不詳)は、久慈の妻とされた。
「なあ、桜町。お前、なにか知ってるんじゃないのか?」
小説を書くにあたって、調べたってのじゃない。もっと、誰も知らない何かを。
「……新里くん。あの小説のことは忘れてって言ったよね?」
桜町が、いつになく真剣な顔になった。
「あれはあくまでフィクションだって。全部忘れてって」
「無理なんだよ!」
桜町を遮るように叫ぶ。
「無理なんだよ! 忘れたくっても、あれはっ、あれだけは……っ!」
あれだけは忘れられない。忘れちゃいけない。
忘れるどころか、ドンドン心かかき乱されていく。泣きたいような叫びたいような、どうしようもない衝動に駆られる。
「なあ、市史には、千栄津は印南氏に取り戻されるって書いてあったけどさ。本当のところはどうなんだよ! 千寿姫はどうなったんだよ!」
市史にあった、小説になかったその先のこと。
千栄津を久慈に奪われた真野の主、印南氏は、12月に出兵し、城を取り戻し、嫡男影孝に千栄津を任せた。久慈氏が千栄津を治めたのは、わずか二ヶ月ほどの出来事。その先江戸時代が終わるまで、千栄津は印南の所領であり続けた。
印南影孝は、戦の後妻を娶った。けど、それは真野の娘千寿ではなく、家臣高野某の娘鈴与姫だって書いてあった。影孝と鈴与姫。二人でこの地を治めたって。
印南が取り戻したってことは、おそらく久慈真保は死んだのだろう。一応、隣市の歴史も調べてみたけど、久慈氏の永禄三年以降の家系図に真保の名前はなかった。アイツが久慈に逃げ帰ってない証拠だ。
じゃあ、千寿姫はどうなったんだ? 久慈真保に無理やり妻にされた千寿姫は?
「桜町。お前、何か知ってんだろ? 知ってるから、あの小説を書いたんだろ?」
俺の直感、当てずっぽうかもしれない。けど、コイツは何か知っている。そんな気がしてならない。
「千寿姫のこと、何か知ってたら教えてくれ! 頼む!」
でないと、俺、どうにかなっちまう!
苦しく切ない夢のこととか。変な既視感とか。
俺に起こる不思議なことは、全部あの小説を見たときから始まってる。全部、あそこに繋がってるんだ。わかんねえけど、繋がってるって確信があるんだ。
「続き、書けたら読ませてくれ」なんて悠長なこと言ってられない。どうしようもない焦燥感に掻き立てられる。
「あれが、もし郷土の歴史をベースに書いたものだとして。だからって、その先を聴いてどうするのさ」
「桜町……」
「確かに、あの小説は、歴史をベースにしたフィクションだよ。でも、どれだけ気にかけても、全部終わったことなんだ。千寿姫も真保も、とっくの昔に死んでる。聴いたところで、何も変わらないよ」
冷たく言い放った桜町。いつもと違って、とても硬い声。
「話はそれだけ? なら僕は先に帰らせてもらうよ」
地面に崩れ落ちそうな俺を置いて、クルッと背を向け、広場から続く階段へと歩き出した。
俺がこんなに苦しんでるのに。俺がこんなに懇願してるのに。
どうしてコイツはこんなに冷淡なんだよ!
「待てよっ!」
なんかムカついて。どうしようもなくイラついて。
追いかけ、その手を掴み取る。
「離して! 新里くん!」
「頼むから、教えてくれ!」
「教えることなんてないよ! なんにしたって、姫は死んでるんだから関係ないだろ!」
「関係あるんだよ! 大アリなんだよ!」
「僕には関係ないよ! 離せ!」
取りすがる俺の手を、桜町が乱暴に振り払う。けど。
「うわっ!」
振り払われたせいで、バランスを崩した俺の体。背中が引力にひかれ、階段下の地面に吸い寄せられる。
「新里くんっ!」
階段から落っこちてく俺を助けようと、桜町が手を伸ばしてくるけど。
「――――っ!」
「いっつぅ……」
ズザザーッと、二人まとめて階段から落ちた。頭、打たないように受け身で落ちたけど、これは……。
「新里くん! 新里くん!」
桜町の呼びかけ。
その声に、ガンガンする頭を押さえ、目を開ける。
「新里くん!」
地面に転がる俺に、伸し掛かり、覆いかぶさる桜町の体。
ああ、俺、コイツをかばいながら落ちたのか。
頭を強打! からは免れたけど、二人分の体重を受け止めて落ちたせいか、背中を中心に体がズキズキする。
「新里くん! しっかりして!」
頭の奥がガンガンジンジンするし、逆光でよくわかんねえけど、その声はかなり必死。
「だ、だいじょう、ぶ……」
とにかく、一旦安心させたほうがいいか?
ほら、俺、体が丈夫なことだけが取り柄だからって。そんな泣きそうな顔すんなって。
けど。
「……真、ヤス……?」
俺の口から出た言葉は、まったく違うもの。
「真保……なのか?」
「え? 新里くん、なにを……」
痛みをこらえ、体を起こす。
そのわずかな間に、夢と記憶が俺のなかに蘇っていく。
パチパチとパズルピースが当てはまってくように、夢と記憶が正解を導き出す。
俺の前世。
夢は俺に前世であったことを告げていて。変な既視感は、前世で縁があったことを示していて。
思い出したくても思い出せないことに、焦りと切なさを感じていた。
――答えはすでに主のなかにある。
あのインチキ(かもしれない)占い師、マンマに言われたこと。あれは、俺のなかにあった夢のこととか、既視感を示していた。そして。
――大切なものを守り通すのが主ぬしの役目。
――しがらみなきこの世界で、お二人が幸せになられること、祈念しておりますぞ。
大切なもの。お二人で。
それは、おそらくコイツのこと。
間違いない。俺は前世でコイツ、桜町と出会っている。前世で、俺と桜町は深い縁で繋がっていた。
「――僕が久慈真保だったとしたら、キミはどうする? 千寿姫?」
え? は?
靄が晴れるように、痛みが引いて、視界がハッキリしてくる。
俺の目が捉えた、桜町の顔。
俺にのしかかったまま、とても底意地の悪い笑みを浮かべていた。