19.託し文
「――御坊、これを預かっては貰えぬか?」
「これは?」
向かい合い座す寺の和尚に差し出した、文箱。
「万が一の時のため、御坊に預かっていただきたい」
「久慈殿……」
「斥候の話では、川の向こう、印南が軍を整えているとのこと。奴らはここ、千栄津を取り戻しにやってまいりましょう」
この千栄津の地は、印南氏の所領の一部。千栄津の港を外敵から守るため、姫の父親、真野康隆が城を預かっていた。その真野が殺され、城が落ちたとなれば、取り戻しに兵を差し向けるは必定。印南の嫡男、印南影孝は千寿姫の許嫁。取り戻しに来ないはずがない。
「私が直接影孝に渡すわけにはゆきませんので。御坊、その時は代わりに渡していただけないだろうか」
なるべく軽く、明るく笑って伝えたつもりなのに。向かう和尚の顔は険しく、やるせなさそうに、口を結んでいた。
(まあ、そういう顔になるのも致し方ないか)
箱に収めた文。
そこにしたためたのは、この千栄津の民に罪はないこと。
城を落城させた真野康隆にも、その娘の千寿姫にも。
千寿姫は、無理やり手籠めにしたことで、俺の妻になった。俺が民を人質にしたことで、千栄津の復興に手を貸さざるを得なくなった。民も、姫が俺の妻になったことで、俺に従うしかなくなった。
どちらも、俺が利用した。
だから、もし印南がこの千栄津を取り戻した時は、民も姫も咎めなきよう、願いをしたためておいた。
悪いのは俺で、民も姫も悪くない。
姫は、その操を守り切ることができなかったが、それも民を思ってのこと。姫を責めぬように、無理な相談かもしれないが、それでも書かずにはいられなかった。
元々、印南影孝は姫の許嫁。兄妹のように親しくして育ったという。そんな男なら、俺に凌辱された哀れな姫を、大事にしてくれるのではないか。俺のことは悪い夢だったのだと、姫が俺のことなど忘れるぐらい、大事に愛してくれるのではないか。
そう願って文をしたためた。
千栄津の城は、先の戦で燃えてしまい、再建の途中にある。それに、もともと千栄津は、印南のもの。どこの守りが脆弱で、どこを攻めたら勝てるか熟知されている。
城ももとに戻ってない今、印南に攻められたら、おそらくこちらに勝ち目はないだろう。真野との戦いには勝利したが、その勝ちもきっとここまで。
だから、こうして文を託すことにした。
「私は、父に疎まれていたのです」
「久慈殿?」
「父にとって私は疎ましい息子。だから、死んでいなくなって欲しいと願われ、千栄津城攻めを任されました。武士として、華々しく立派な最期を遂げられるよう、戦に出されたのです」
最後だから。
そう思ったからか。文を託すだけのつもりで和尚に会ったはずが、いつの間にか独白を始めていた。
「私だって人の子です。死ねと命じられても死にたくありません。なんとしても生きたい。生き延びたい。負けたら、逃げ帰ったところで、敗軍の将として責を問われ殺される。ならばと死物狂いで千栄津城を攻めた。真野殿を殺し、姫に無体なことをしてしまいました」
自分が生き延びたいばかりに、姫を始めとする千栄津の者に不幸をもたらした。あの時、あの戦の時、父が願ったように俺が立派な最期を遂げていれば。そうすれば、姫は無事に印南に嫁ぎ、彼女の父親も生き永らえていたのに。
「人とは、なんと業の深い生き物なのでしょうか」
戦の中で知り合った姫を死なせたくなくて。民に慕われ、民に微笑む姫に恋い焦がれた。
千寿姫。
民を想い命をかける、心優しく情の深い姫。
彼女に好いてもらえたら。父に疎まれる自分を、その深い情愛で包んでもらえたら。
そう願っているのに。今の己の状況に皮肉めいたものを感じる。
次の戦。
俺が梟首となったところで、姫は悲しまない。姫は、何事もなかったように印南のもとで幸せに暮らすだろう。
「久慈殿。あまりご自身を責めなさるな」
それまで黙って聴いていた和尚が、静かに語りだした。
「父御のこと。戦のこと。真野の殿が亡くなられたことは、拙僧にとっても悲しいことではありましたが、だからと言って、久慈殿を責めるつもりはございませぬ」
「御坊……」
「生きたいと思われるのは、当たり前のこと。そこに罪はございませぬ。悪しきは、この世に戦があること。世が乱れていることこそ悪なのです」
そう……なんだろうか。
悪いのは、この世の理、戦ある世界こそが罪。人の手ではどうにもならない、この世の性さが。
「真野の殿に申し訳ない思っておられるのなら、貴方様が代わりにこの地を守るという気概をお見せなされ。この地を戦から守り、千寿姫を幸せにするという覚悟でございます。そうすることが、心ならずも亡くなられた真野の殿への手向けとなりましょう」
この地に、戦ではなく平和をもたらす。姫を妻にした以上、彼女がこの上なく幸せになるよう務める。
「そうですね。努力……してみます」
いつか姫の中にある憎しみが薄らぐまで。墓の下に眠る真野康隆に、この男にならば致し方ないと思ってもらえるようになるまで。
この地を守り、姫を愛す。
「その意気でございますぞ、久慈殿」
数珠を手に掛け、柔らかく微笑んだ和尚。
その微笑みは、弱りかけた心を励ましてくれる。
一礼と文箱を残し、少しだけ軽くなった心で、座を辞す。
(――これは、菊?)
室を出たところで拾った、ひとひらの黄色い花弁。
(もしかして聴かれていたのか?)
菊。
境内の片隅に設けた真野康隆の墓。そこに供えられた花。
黄色い花弁の花。
あの墓に参り、花を供えているのは、千寿姫。姫は、いつも父親の墓前で手を合わせ、長く時を過ごす。
千寿姫の室と墓の間に、この和尚の室はある。参りに来た道すがら、ここでの会話に耳をそばだててもおかしくない。この花弁は、彼女がここで立ち聞きしていた何よりの証拠。
(聴かれていたのか)
密談、聴かれてまずい内容ではないが。
(どう、思ったんだろうな)
それだけが気にかかった。