16.物語の行く先
「――桜町、これ、返す」
朝一番。
まだ人気の少ない教室で、桜町に借りたノートを返す。
「新里くん」
席についたまま、ノートを受け取った桜町が、微妙な顔でこっちを見てくる。俺がずっとムッとしたまんまだからだろうけど。
「……なあこれ、フィクションって言ってたけどさ。あ、イヤ、なんでもね」
「新里くん?」
感想を言いかけ、顔をしかめる。
「それより、この続きはないのか?」
俺が読んだノート。そこには、ヒロイン千寿姫が、クソ野郎にレイプされるところで終わっていた。
自害して果てようとしたヒロインを犯すクズ野郎。久慈三郎真保。
今、目の前にいたなら、その顔をぶん殴ってやりたい。いや、ぶん殴るだけじゃ済まない。ぶん殴ってぶっ倒して、蹴り飛ばしたい。ギッタギタのボッロボロにして、焼却炉に放り込んでやる。「ごめんなさい」しても、きっと絶対なにがあっても許さない。
「この続きは、まだ書いてないんだ」
「そっか」
「ねえ、新里くん。この話を読んでどう思った?」
「どうって?」
「忘れて欲しいなんて言っておいて、なんなんだけど。ちょっとだけ知りたいなって」
少し困ったようにうつむいた桜町。もしかして、「こんなエッロい小説書いて~」みたいな感想を恐れてる? まあ、実際、姫のレイプシーンはそれなりにエッロかったけど。
「ムカついた」
「ムカついた?」
桜町が首をかしげる。
「その、クジサブローマサヤス? ってヤツ。サイテーサイアクじゃん」
矢で射られた姫を助けたり、領民の生活を保障したり。少しはいいヤツなのかなって思って読み進めたから、余計にムカつく。
「でもこの小説、このあと、千寿姫と真保が恋に落ちるんだけど……」
「ハアッ!? 姫は、あんなヤツのどこに惚れるってんだよ! 『エッチしたから惚れました』とかじゃねえだろうなっ!?」
「に、新里くん! 声! 大きい!」
シーッと、口に人差し指を当てた桜町。
ヤベ。
いくら人の少ない教室だと言ったって、誰もいないわけじゃない。
集まった「どうした?」な視線に身を縮める。
「と、とにかくさ。あそこからどうやって恋愛に持ち込むんだよ。無理だろ」
どれだけ思い起こしても、姫が惚れる要素が見つからない。
「新里くんは、この真保が嫌いなの?」
「あったりまえだろ? こんな傲慢男、姫も襲われた時に、その股間を蹴っ飛ばしてやればよかったのにさ」
「蹴っ飛ば……」
「二度とサカれねえぐらい、こう、ガーンッと!」
言いながら、見えないそれを蹴り上げる。蹴るだけじゃ気が収まらないから、ついでに二、三発殴っておく。
何度、桜町の字を消して、自分で書き直してやろうと思ったことか。それぐらい胸糞シーンだった。
「フフッ。そうだね。次はそうさせてもらおうかな」
握りこぶしで口を押さえて笑う桜町。――ん? 次?
「なあ、続き書けたら、また読ませてくれないか?」
「続き、読みたいの?」
「ああ。クソマサヤスは大っきらいだけどな。姫のラストが気になるんだよ」
真保に無理やり妻にされた千寿姫。小説、フィクションかもしれないけど、姫の行く末が気になる。
「新里くんは、どんなラストがいい?」
「へ? 俺?」
自分を指差すと、桜町にうなずかれた。
「書けるかどうかわからないけど。参考までに教えてほしいんだ」
「俺……、俺かあ……」
どんなって。そうだなあ……。
「姫が幸せになるなら、それでいいかなあ。百歩、いや、千歩、万歩ぐらい譲って、真保と恋に落ちるなら、真保が真っ当なヤツになってほしいかなあ。それでもってメデタシメデタシ。いつまでも幸せに暮らしましたとさが、一番だな」
考えながら、思いつくままに答える。
姫が、このあと「真保でいい」「真保がいい」って言うのなら、仕方ないから、それを認めてやる。その代わりに、姫を幸せにしないと絶対許さねえからな、真保。
「あ~、でも姫の婚約者だっていうカゲタカ? だっけ。ソイツが姫を助けに来てハッピーエンドでもいいぞ」
できることなら、真保のレイプシーンはカットして。姫は悪の真保に幽閉されてたことにして。「助けに来ました、姫!」って婚約者が駆けつける。千栄津は、元通り印南氏の支配下に戻って、メデタシメデタシ。「クッ! コロ」になった姫を助けるのは、恋人勇者の仕事だろ? 「クッ! コロ」姫が敵に惚れるなんてのはありえない。
「新里くん……」
「ま、なんにしたって、その小説はお前のもんだから。好きなように書いてくれて構わねえぞ」
俺が何を言おうと。
作者は桜町なんだから、姫と真保をくっつけたいってのなら、そこに俺が文句を言う筋合いはない。
「で。書けたらまた読ませてくれ」
厚かましいかもしれないけど。
「――わかった。次は、続き書けたら新里くんに真っ先に見せるよ」
「おう! 楽しみに待ってる」
軽く手を挙げ、自分の席に戻る。
登校してくるクラスメートが増え、騒がしくなってきた教室。
感想を桜町に話せたせいか、少しだけ心が軽くなった。
* * * *
(――最低だな)
床の上、肘枕をして身を起こす。
隣に横たわるのは、はだけた夜着のままの千寿姫。
乱れた髪。涙の痕の残る頬。
今も安らかに心地よく眠っているわけではない。俺に蹂躙され、疲れ果て気を失うようにして横たわってるだけ。
男女の睦み合った後の甘い空気はない。彼女の体が熱いのは、背中の矢傷が熱を発しているから。
(自害を止めるためとはいえ、無体なことをしてしまった)
額に張り付いたままになっていた髪を払ってやる。
姫の自害。
俺が領主になったことで、自分の役目は終わったと思ったのだろう。
それか、許嫁、印南影孝のために操を守ろうとしたのか。
どちらにせよ、このまま姫を死なせるつもりはなかった。死なせてはいけないと思った。
山中で対峙した時に見た眼差し。
怪我を押してまで民に会おうとした熱意。
民に囲まれ、幸せそうな笑顔。
その全てを失いたくなかった。
だから。
(俺を憎め――か)
自分でも阿呆だと思う。
だが、それしか死を止める手立てがなかった。
蹂躙し、操を奪えば、姫は俺を憎み、恨むようになる。怒りを掻き立て、俺の首を狙うようになる。
そうすれば。俺の寝首を掻くまでは、死のうとしなくなる。領民を人質にすれば、この姫は生きることを選ぶ。
(阿呆だ)
首級を上げたら。姫は、俺の首を手土産に、許嫁の元に行ってしまうというのに。どれだけ姫を犯そうと、姫のなかに俺が住まうことはできないというのに。
でも。
(姫になら、この首掻かれても良いかもしれん)
死にたくなくて、誰かを死なせても生きていたいと願って、攻め落とした千栄津の城。姫の父を殺しても生き延びた命だというのに。
(因果応報というものか)
姫に首を取られるその日まで。
姫を求め、姫に己を刻みつける。
姫のなか、「憎しみ」という感情とともに俺を残すことができるなら。
歪みきった情愛を、姫にぶつける。