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2.教室の幽霊③

 永井はいかにもつまらなそうに菓子を口に放り込む。咀嚼するたびにバターの匂いが口から漏れた。そして、それは僕の魂が削り取られたなれの果てのように感じた。


「足りない、こんなんじゃ全然足りない。かふかはメロスにまだ全然助けられていない」


 永井が言葉を一つ発するたびに僕の存在は否定される。

 魂が黒く塗りつぶされていく。

 僕は永井かふかに食い潰されていく。


「お腹減ったわ。カレーはいつになったら食べられるの?」

「その前に風呂に入ってくれ。臭いんだよ、おまえ」

「はあ!? かふかは臭いわけないでしょ! まったくメロスは大げさに言い過ぎ!」


 永井は自分の腕や腋を嗅ぐが、どうにもピンとこないようだ。


「超臭いよ! 小便を拭いた雑巾みたいな臭いがするから!」


 事実、リビングはカレーの匂いと混ざって嗅覚がバグを起こしかけていた。


「ま、いいわ。お風呂に入れてくれるなら入るわよ」

「風呂じゃなくてシャワーだからな」

「ケチメロス!」


 いーっと唇を突き出すが、そこだけは譲れない。廃棄物の塊を浴槽に入れるようなものだ。想像するだけで寒気がする。


「出る前に必ず排水溝のゴミ受けを自分で洗えよ!」

「うるさい! メロスのくせに指図しないで!」


 永井は服を抜きながら脱衣所に向かっていく。病的に白い皮膚と黄ばんだ下着が嫌でも目に飛び込んでくるが、それよりも床に落ちる黒い何かのほうがよほど気になる。


「あっ、着替えは?」


 ビニール手袋で永井かふかの黒い何かを拾い集めていると浴槽の扉から上半身を乗り出してきた。当然胸は見えているが、発育が明らかに遅れたそれはグラビアやエロ画像とはあまりに程遠い。自分の裸体をAIで性転換した方がよほどマシだろう。


「あるわけないだろう」

「貸してよ。メロスのでいいから。そんな身長変わらないでしょ」


 僕が返事するのを待たずに扉がピシャリと閉められるとすりガラスの向こうからシャワーの音に混じって素っ頓狂な鼻唄が聞こえてくる。少し迷った末に永井の脱いだものを洗濯槽に放り込む。下着を指でつまむとほのかな温もりが残っていた。なにやら生き物じみて気色が悪い。かぴかぴになった雑巾と一緒にスタートボタンを押すとたちまち白い泡が灰色に汚れていく。


「あー、気持ちがよかったー」


 風呂場から出てきた永井はやはりあの奇妙な鼻唄を唄いながらリビングにずかずかと入ってきた。身に着けているのはボクサーパンツ一枚だけ。髪はほとんど乾いておらず、フローリングにぽたぽたと水滴を垂らしている。


「うん? なに?」


 永井はテレビのリモコンを持ったまま首を傾げた。


「いや、別に……」

「そう? かふかのはニンジンとジャガイモとあと肉も多めね」


 永井は言いたいことだけ言うとテレビを見つめる。テレビの中では女性レポーターが富士山の見えるキャンプ場を紹介していた。画面の隅には小さなテロップで「既に予約受付は終了しています」と書かれていた。来年行けということか?


「あー、BBQいいなー。カレーより肉食べたいなー」


 呑気な声をあげる永井を僕は呆けたように眺めていた。

 …………これは、ちょっとした衝撃だ。

 永井の濡れた髪が窓から差し込む夕陽を受けてきらきらと輝いている。少しウェーブのかかっているせいで光は乱反射し、まるで光の粒子が漂っているかのよう。頭頂には天使の輪もくっきり浮かんでいる。温水で血色がよくなった肌は薄い桃色で頬に至っては頬紅をさしているかのようだ。そして、元々長かった睫毛はくるりとカールし、水晶玉のように大きな瞳を彩っている。

 これはアレだ。いかにもみすぼらしい保護犬を洗うと見違えるようになるヤツと同じだ。それにしたって永井かふかの容姿はこんなにも整っていたのか。


「…………ちゃんとドライヤーかけたほうがいいぞ。風邪をひく」

「うん。ちょっと待って。これが終わったら」


 不思議なものでこれまではゴミ捨て場に立掛けられた箒ぐらいにしか思わなかったのに、急に女の子然とした姿に変わってしまったので否が応でも意識してしまう。ただし、一方で性的欲求が呼び起されるとかそういうのではない。うまく説明できないが、今までとは別種の嫌悪感を感じているような気がする。それはゴミ女のときには決して感じなかったものだ。


「歯も磨けよ。洗面台の下から新品の出していいから。息臭いから」

「うわー、潔癖キモいんですけどー」


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