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15 砂糖の灼ける匂い②


「ああ、そうだ」


 そう言ってようやく永井は食べるのを止めると、脇に置いていた紙箱をそうっとテーブルの上に置いた。


「プロ級の千夏さんに出すのはちょっと恥ずかしいんですけど…………」

「わあ、すごい! これ、かふかちゃんの手作りなの!?」


 紙箱の中にはホールのクリームチーズケーキが大量の保冷剤と一緒に入っていた。二層になっていて上のゼリー層には輪切りのレモンが入っている。

 正直、これには僕も呆気に取られた。お土産を持ってきたのはわかっていたが、まさか手作りとは…………。


「えへへ」


 というか、自分で料理ができるのなら少しは作るのを協力したらどうなんだ。そんなことを思っていたら腿を思いきりつねられた。


「すっごく可愛い。うんうん、食べましょ食べましょ。ちょっと待っててね、キッチンから小皿と切るものを持ってくるから」


 千夏さんはそう言って誰もいない家の中に入っていく。千夏さんのいなくなった庭は途端に静寂に包まれた。聞こえるのは花が風に揺れる音ばかり。


「…………」


 きっと、これが彼女が普段見ている風景。


「メロス、骨を出して」

 

言われるがままショルダーバッグから骨の入ったケースを取り出した。きっと彼女の中で生きていた彼も一緒にこの庭を歩いたはず。埋葬するのであればこれ以上相応しい場所はない。当然のようにそう思った。しかし、永井はケースを受け取るとチーズケーキの上に振りかけてしまった。


「おい、何やっているんだ!?」

「帰るならこれ以上ない場所でしょ」


 …………確かにそうなのだが。はたして永井が感傷的な目的でそうしたのかはわからない。もしかしたら僕に教えていない晦虫の特性があるのかもしれない。いずれにせよ、小指の先よりも小さかった灰の塊はゼリーに吸収されてしまい、意識しなければ謎の顆粒が視認されることはないだろう。


「お待たせー」

「あ、私たちの分はいいです。私たちも散々味見をしていますので」

「あら、そう?」


 早速ナイフで切り取ろうした千夏さんは自分の分だけを小皿を選り分けた。ケーキのゼリーが午後の陽にキラリと光る。灰はもう完全に見えない。


「じゃあ、遠慮なくいただきます」


 ホワイトニングされた歯がちらりと見えるとフォークの先のケーキを飲み込んだ。形のいい喉が動き、永井お手製のケーキが食道から胃へと落ちていく。


「うん、美味しい」


 にっこりと笑うと永井も微笑み返した。


「かふかちゃんって二か月前まで小学生だったんでしょう? それなのにコレは凄すぎだよ! 東京の高級ホテルに出てきてもおかしくないって!」

「そんな褒めすぎです。動画の通りにやっただけだから別に誰でもできますよ」


 そんなに美味しいのだろうか? ちょっと興味が出ないわけではないが、さすがに食べる気にはなれない。まあまた何かの気まぐれで作ってくれたら食べてやらないではないが。

 それから僕たちはようやく本題である学校から古く伝わる怪談について千夏さんから伺った。千夏さんは生徒会長を務めていただけでなく、放送部にも在籍していたのでその手の話にはとても詳しかった。

 PC部に在籍していた早逝の天才プログラマーが創り出した一週間以内にクリアすれば何でも願いが叶うゲーム、中庭の日当たりのいい芝で昼間にだけ出てくる少女の幽霊、化学室に封印された異次元と繋がる鉱石ラジオ、魔法が使える演劇部の練習室、流星群の夜に過去へと繋がる屋上の扉…………。

 どの話も奇妙キテレツで学校によくあるような怪談とか都市伝説はむしろ少なかったが、それはそれで面白かった。後日、そのいくつかで僕や永井、あるい別の登場人物が期せずして関わることになるのだが、それはまた別の話。


「―――それでその子は自分が宇宙人だと、」


 ハーブティーを持った千夏さんの手が突然止まった。陶器のティーカップから零れた赤い水滴がテーブルクロスを汚していく。


「…………あれ?」


化粧が何一つされていない白い頬を涙がつーっと伝っていき、やがて、顎から落ちると紅茶の赤い水滴の上に混ざった。

 千夏さんの頭の中の晦虫はもういない。既に弱り切っていたので永井の毒の効果が表れると同時に息を引き取ったのだ。もう彼女の暗い炎を喰らうものはいないし、彼女が誰かのために暗い感情をいつまでも燃やす必要もない。


「…………」


 麦わら帽子の下の瞳が庭を見つめる。

 少し憂いを残した風が天鵞絨が揺れるような音を残して通り過ぎていく。

 彼女の好きな白い花たちはほんのりとオレンジ色を帯び、元々鮮やかな色彩を持った花たちも真新しい葉の緑も今は目に優しい。

 静寂のなかで息を漏らす声が聞こえた。

 まるで―――この庭がこんなにも美しかったことにずっと気がつけなかったように。

 そして、どういうわけか庭の片隅を見つめたのだった。そこはとても日当たりのいい場所にも関わらず何も植えられていなかった。

 目の前の―――お菓子と花と子供が大好きな―――その人は何もない地面をいつまでも見つめていた。

 永井はコーヒーを飲むだけで何も言わない。

 僕は目の前のクッキーを手に取ると口に入れた。

 ざらついた砂糖が瞬く間に溶けると甘くて優しい味がした。


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