39話:対峙
「苦労しましたが院長、完璧です」
早馬の一団が村に戻ってきた。パメラの手から院長に一枚の羊皮紙が手渡される。
「古い羊皮紙を使っておりましたが、私の鼻はよく利きますのでねぇ。同じ年代の物を使いましたよ。それにキョーコくんの念写は…」
「うむ。でかしたぞ」
食い気味に褒める院長。村の小さな礼拝堂を借りての密談であった。
「バルトロとリリからの報告も上がっている。時系列も矛盾しない」
「しかしあの、院長、修道士がこのようなことをしてもよいものでしょうか……」
キョーコは不安げに院長に尋ねる。
「こういう宗教者はな、古来より暗躍してきたものなのだよ」
院長はしたり顔で答える。後ろにいるクサヴェルとマシニッサは微妙な顔をしていたが、口は出さなかった。
「そ、そうなのですか?」
「その通りだとも。それにあの二人を助けるためじゃないかキョーコくん。ま、問題はアーデルヘイトくんの意志がどうか、だがねぇ」
パメラが口を挟み補足した。文書管理はこういった教会や修道院に任されることが多く、パメラのような写字生らはその『有効な利用方法』を良く知っているのである。
「そう、そしてこれは……かつての幼子を救うことが出来なかった、この私自身の罪滅ぼしだ」
そう言って院長は羊皮紙を丸めた。その場にいる者たちはその言葉にざわめいた。
「あの子……ニックに、アーデルヘイトの救出を唆したのは他ならぬ私だ」
「な、なんと……!?」
「しかしそれは私が浅慮だったとしか言いようがない。彼に金を持たせ、彼女を連れて来させた。だが、何らかの事情を知った彼は自身の父親を殺したのだ」
一同は息を呑んだ。院長は続ける。
「あの時、彼を無理矢理にでも巡礼団に加えるべきだった……そうすれば、彼が親殺しなどすることはなかっただろうにな」
悔恨に満ちた呟きが礼拝堂に響いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
日が傾き始め、雪原が赤く染まりつつある。私とルーナはあの宿屋へ向かって歩いていた。
というよりルーナに半ば無理矢理引き摺られていったという方が正しいかもしれない。私の心はともかく、足が言うことを聞かなかったのだ。
「動きなさいよ、この意気地なしっ!」
私は苛立ちながら自分の足に拳を打ち付ける。その痛みに顔をしかめつつも、なんとか足を動かすことが出来た。
「おかえり、アーデルヘイト」
そこでは、母親が待っていた。私を地獄に落とした張本人である母親は、何事もなかったかのように笑顔で出迎えてくれた。
「ママ……」
「会えて嬉しいわ、アーデルヘイト」
母親の笑顔には一切の邪気が無いように見えた。むしろ喜んでいるようにすら見える。それが不気味だ。
「私も嬉しいですね」
私ではなくルーナがそれに返事をする。その声は冷たく、怒気を孕んでいた。
「あら、物騒なお友達ね、仮面なんてつけて」
ルーナは答えない。無言で腰に下げた剣の柄に手を置く。
「ちょ、ちょっとルーナ。やめなさいって……」
慌てて制止する。このままでは流血沙汰になってしまう。
「待った、ちょいと待ったー!」
そこへ、武装した衛兵たちが駆け込んできた。彼らは私たちを取り囲み、槍を向ける。
「お前たち、動くんじゃないぞ、武器を捨てろ!」
リーダーらしき男が大声で叫んだ。私たちは言われるままに武器を地面に投げ捨てる。
「尼僧に化けた武装集団が村を荒らしていると通報があった」
「……」
謀られた! 私の母はすでに先手を打っていたようだ。
「ねぇ、ママ、元の家族に戻ることは出来ないの……?」
私は一縷の望みをかけて母親に尋ねた。もうこれしか道は無いと思ったからだ。
「アーデルヘイト、誤解があるわね。あなたは自分だけが辛い思いをしていたと思ってるみたいだけど、別にあなた一人に客を取らせたわけじゃない。私も客と寝たし、あなたのパパも帰ってこないから、生きていくためには仕方なかった、そうでしょ?」
「そ……それは……」
それは、確かにその通りなのかもしれない。覚えがない訳ではない、母は、たしかに客の男の部屋に……。
「それなのに、あなたは酷い娘よ、自分一人逃げ出して。私だって辛かったのよ? あなたがいなくなってからは私一人で宿を切り盛りしていたんだから」
「……じゃあ、ニックは、なんなの。なんであなたの下で働いているの……それも奴隷として」
「あの子は自分の父親、私の再婚相手を殺したのよ。奴隷になって当然でしょう?」
9歳の私を最初に買った男と、再婚?ああ、本当に気持ち悪い。吐き気がしてくる。思わず膝から崩れ落ちそうになるところを必死に堪える。ここで倒れるわけにはいかないのだ。
「あら、好きなのあの子のこと? 彼、男娼としての才能はずば抜けてるわよ。あなたも買ってみたらいい」
「……黙れ」
「事実を喋ってるだけよ。本当に人気よ、男にも女にもね、特に年寄りたちにはウケがいいみたい」
なんでこんな女の元に生まれて、私達はいいようにされてきたんだろう。無力な子供には抗う術など無かった、ただ耐え忍ぶことしか出来なかった、仕方なかった、そんな言葉で片付けられて、よくある悲劇として片づけられてしまうのか。
いや、そうはいかない。そんなことは許さないと、私は強く思ったはずだ。例え純潔を奪われ、青春を奪われ、幼い頃抱いていた愛さえも踏み躙られても、なんとしてでも尊厳は奪い返さなくてはならない、それが騎士の道理だったとしても。
「ママ、私はあなたと決着をつける」
「どうやって?」
「……それはまだ分からないけど、必ず」
私がそう言うと、母親は笑った。まるでこちらを見下すように嘲笑うのだった。
「話はそろそろいいか? 聞くに耐えないんだが」
衛兵の一人がうんざりした顔でそう言った。
「待ちなさい。我々は本物の巡礼団です。巡礼団が武装するのは当然でしょう」
ルーナが衛兵を睨みつけた。
「まあ、確かにそうだが、証明する必要がある」
「その証明なら、私にやらせてもらえぬか」
そう言って取り囲む兵士の間を割って入ってきたのは院長であった。
「信徒に対して狼藉は許されんぞ、槍を下ろしなさい」
院長はそう言って兵士たちを諌める。しかし彼らはまだ納得していないようだった。
「しかしねぇ、我々も通報を受けて来たのだから……」
「これを見ても、我々が単なる武装集団と思うかね」
彼は懐から神龍クピドを象る紋章が描かれた黄金のメダルを取り出し掲げる。それを見た途端、兵士たちがざわめく。
「すごい金ピカ!」
「あれは間違いないぞ!」
「かっこいい!」
口々に驚嘆の声を漏らす。
「わかったか諸君、これはただの飾りではない。本物なのだ。さあ、通してもらおうか」
「でも、それが何の証明に……」
「不信心者め! これは選ばれし修道院にのみ存在する、クピドのメダリオンだ!これ以上疑うのであれば審問会にかけることになるぞ!」
院長の気迫を込めた一喝に、兵士たちはすごすごと引き下がった。
「し、失礼しました、不勉強でした……」
「わかればよい。そしてそこで見ているがいい、弱きものを助ける、クピドの起こす奇蹟を」
彼は私の方を向くとニコリと微笑む。
「アーデルヘイト、あとは我々に任せてもらおう」
私は黙って頷いた。これから何が起こるというのか、さっぱりわからないが……。




