34話:魔人
それは、巡礼団がブサンティオを発ち、数日の道のりを経た時のことである。
「人が消えて無くなる?」
「左様でございます」
たまたま立ち寄った村にて、村長を名乗る老人がそう言ったのだ。
聞けば、数年前からポツポツと姿を消すものが多いのだという。
「村から出ただけとは考えられませんか?」
「わたくしもそう考えたのですが、仕事や予定、配偶者をほっぽり出して消えてしまうのです」
「そんなことあるんでしょうか……」
こういった困り事を解決するのが巡礼団の役目でもある。手に負えないときもある。
一同考え込むが、ウンウン唸っても仕方がないので、とりあえず村の広場を宿泊地とした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
夜になると、無性に何処かへと行きたくなった。理由はわからないが、とにかく衝動を抑えられない。
気づけば、ふらふらと外を歩いていた。まるで誰かに誘われるかのように。
「おい、アーデルヘイト、どこへ行く」
後ろから声がかかる。振り返れば、そこにはバルトロ修道士の姿があった。
「え?いや、ちょっと散歩に行こうかなって……」
「こんな暗いのにか?」
確かに真っ暗だったが、それでも私は行かなくてはならない……気がする。
「なんか、どうしても行かなきゃいけない気がして……」
「そうか、ならば私も付き合おう……怖いけど」
私とバルトロ修道士は夜の森へ入っていくことになったのだった。
森の中は不気味なほど静かで、虫の声ひとつ聞こえない。木々の間から差し込む月明かりだけが頼りだった。
「どこに行くつもりだ、何を考えている」
彼は訝しげに問うてくる。私だってわからないのだから答えようがない。
しばらく歩くと、開けた場所に出た。そこには大きな湖があり、水面には月が浮かんでいる。
畔には小さな小屋が一つ建っていた。
「綺麗な場所だ。誰か住んでいるのか? おばけだったら嫌だな……」
私たちはしばしその風景に見入っていた。すると突然、背後から声がした。
「やあどうも、お二人さん」
振り返ると、そこに立っていたのは黒いローブを纏った男だった。顔はフードに隠れてよく見えない。
「わぁ! 出た! おばけだ!」
バルトロは私の後ろに隠れた。男はそんな様子を見て笑ったようだった。
「ははは、驚かせてしまったようだね。申し訳ない。俺は単なる魔人さ」
魔人。魔族のうち、特に人類に容貌が似たものは魔人と呼ばれている。彼らにはある特徴がある。
それは他者の感情を喰らうと、魔力が成長するという点だ。
負の感情、恐怖、嫌悪、絶望などを喰らうのが悪魔。正の感情、愛情、信頼、恋慕などを喰らうのが淫魔。
そして、従属、忠誠、信仰などを喰らうのが天使と呼ばれている。
巨大な力を得ようという機運のない現代では彼らは大人しいのだが、それでも、一部には過激なものもいる。
「よかった、おばけじゃないのか……」
彼はホッとした様子で、私の横に立った。
「いやおばけよりも普通に不審者な魔人の方が怖いと思うけどね!?」
「ところで君たち、もしかして何かに呼ばれたのかい?」
「私ではなくこいつがな」
バルトロは私の肩にポンと手を置いた。
「つまり、何かしらの未練や悔恨、それにより苦痛に苛まされている」
……苛まされていないと言えば嘘になってしまう。
「それが何か関係があるの?」
「まさしく、俺はそういったものが好物なのでね」
魔人はゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「さあ、嫌な思い出はすっぱり忘れよう。時間が解決するなんて欺瞞もいいところだよねぇ?」
そう言ってニヤリと笑う。なんだか気味が悪い男だ。しかし、これはかなり魅力的に感じている。
ドス黒い気分にならない日はない。この心の奥底に溜まったドブを洗い流せるのなら、どんなにいいだろう……。
「ほら、遠慮しなくていいんだよ?」
「アーデルヘイト、良くないと思う!」
バルトロは私の手を引く。微妙に頼りない説得だ。だがもう遅い。私はもうすっかり魅入られてしまったのだ。
「……少しだけならいいかな」
「何を言っているんだ君は!?」
「俺は人々を救ってやってるんだ。誰にだって苦痛な記憶はある。俺はそれを食べる」
そう言いながら、魔人は私たちに近づいてくる。
「夜中に思い出す嫌な思い出、悔恨、未練、憎悪や憤怒。消えてなくなった人はみんな俺に感謝をしていた」
彼は両手を大きく広げた。その姿はまるで悪魔のようで、それでいて神々しさすら感じるものだった。
「人生は苦悩に満ちている。裏切られ、暴力を振るわれ、汚い言葉を吐かれ、尊厳を踏み躙られ、命を奪われる。そんな不幸を味わう人間が後を絶たない」
彼の口調はどこか悲しげで、とても演技とは思えない。本気でそう思っているのだろう。
「だから、俺がその記憶を喰ってやるのさ。そうすれば、人々は苦しみから解放されるだろう?」
彼は両手を広げたまま近づいて来る。しかし、バルトロが間に入り立ちはだかった。
「アーデルヘイト、私の苦悩など君のに比べればちっぽけなものだ、君の苦悩は私には想像もできない。だが我々は信仰の徒だ、我々の心を救ってくださるのは神龍クピドだ」
「でも、クピドが何してくれるって言うのよ……」
私達が一方的に祈るだけで、何が変わるというのか。マリカはああだし。
「アーデルヘイト……気持ち!」
「え?」
「えっ!?」
魔人まで驚いている。こ、この空気でそういうこと言っちゃう?
「気持ちだ、アーデルヘイト!」
「いや、その、気持ちが持たないって話なんだけど」
「気持ち!」
「いや、だからね、うーんと、その……」
私が言い淀んでいると、魔人が笑い出した。
「はっはっはっは、クピド信者とあろうも者がこれではな」
「アーデルヘイト、よく考えろ。私達は苦悩する生き物だ。苦悩が人生を彩るわけではないし、苦悩なんて無い人生の方が絶対に良い。だがどうすることも出来ない、過去があっての今の自分だ。今の自分を形作る一部を欠落しては、もはや別人だ。私は友人として、愚痴っぽくぼやいてばかりなのに人好しで面倒見のいい、そして勇気のある、私の尊敬するアーデルヘイトに消えてほしくはない」
「恥ずかしいこと言うわね、面と向かって」
思わず顔を背けてしまう。顔が熱いのがわかるほどだ。
魔人はそれをニヤニヤしながら見ていた。
「さて、話は済んだかな?じゃあそろそろ…」
「それにな、アーデルヘイト。私は大切な事を思い出した」
話を遮り、バルトロは言った。その顔はいつになく真剣だった。
「なに?」
「魔王国法では濫りに他者の感情を吸い取るのは固く禁じられている」
そうなると話は変わってくる。犯罪は駄目だ。
「みんなそう言う! 俺は人助けついでに腹を満たしてるだけだよ!」
「光の軛よ」
呪文を唱える。光の輪が魔人の両手両足を拘束した。
「うなぁーーっ!」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
村長に引き渡し、懲らしめてやると自白を始めた。
消えた村人たちは魔人が唆し、村への未練を消し去ったのだという。
しかしながら、彼らも村で起きた苦悩に苦しめられた被害者であるとも言える。
「彼らには、気が付かないうちにでも何か悪いことをしたのかもしれない……」
村長はそう語っていた。今後彼が良き村長となり良き村になることを祈ろう。
魔人は衛兵に引き渡され、とりあえずは一件落着というところだろう。
私もああいう甘言に引っかかりそうになるとは、信仰心が足りないかもしれない




