11話:貴族令嬢
一年経つか経たないかぐらい前のある日、修道院に貴族令嬢……元貴族令嬢がやってきた。
「こんなところ、来たくなかったわよ!」
開口一番、彼女はそう言った。
北側の近隣国、ヴァーデンベルク王国の貴族であり、なんと王太子の不倫相手だったのだという。
王太子は婚約者がいたにも関わらずこの貴族令嬢、ザスキア・フォン・ホーエンロッホと親密な関係となり、彼女との間に子供まで出来てしまったらしい。
元々の婚約者は婚約破棄を宣告された。そして、あろうことかその令嬢を新たな婚約者に据えると言い出したのだ。
当然婚約者の家は怒り狂い、挙兵寸前にまでなったのだが、それを国王が止めに入った。
王太子は廃嫡、そして王家と令嬢の家、ホーエンロッホ家から婚約者の家、カンシュトゥガルト家に賠償金を支払わせることで話が付いたそうだ。
そしてザスキアはこのヴェネトリオ修道院に送られることとなったのである。
「修道院は流刑地じゃないんだけど」
「院長が多額の寄進が来たって喜んでいましたね」
シスター・ベロニカは呆れた表情で言った。
ザスキア嬢は馬車で送られてきてからというもの、ずっと不機嫌だ。
「私は悪くないわ!悪いのはあの浮気男よ!!」
どうやら彼女の方は本気でそう思っているようだ。しかし、そんな言い訳が通るわけもない。
「浮気男って、一応は愛し合ってたわけじゃないの。お腹に赤ちゃんもいるんでしょう?」
「あんなやつ愛してないもん!!あいつが勝手に言い寄ってきただけだもん!!!」
彼女は大声で叫んだ。不貞を働いた自業自得ではあるが、気の毒でもある。
「……まぁ、とりあえず、ここにしばらくいてもらいますからね」
「なんで私がこんな所に……」
「仕方ないでしょ、あなたはもう貴族ではないんですから」
シスター・ベロニカも困った様子だ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ザスキア嬢が来て一週間が経過した。
相変わらずふてくされているようだが、大人しく過ごしているようだ。
身重の体なので、あまり重労働はさせられない。写本や説話の書き写しなどの作業を手伝ってもらっている。
彼女の美的センスはさすが貴族と言えるほどのもので、特に絵画はかなりの腕前であった。パメラが嫉妬するぐらいに。
ただ、不満なのは、食事が質素すぎることのようだ。
「なんでこんな粗末なものしか出ないのよ!」
「贅沢言わないの。まあでも、お母さんになるんだから、栄養が必要よね。私の食べていいわよ」
そう言って私は自分の分の食事をザスキア嬢に渡した。
「貧乏人から施しは受けないわ!」
そう言いながらも、お腹が空いていたようで、結局全て食べていた。
ずっと世話をしていると、なんだか妹のような存在になってくるので不思議なものだ。ちょっと生意気な所もあるけど、憎めない子である。
「あなた、名前はなんていうの?」
「……アーデルヘイトよ」
「ふーん、変な名前ね。アーデルハイトじゃないの?」
「故郷がフリース=ホラントだから、そっちの読みなの」
「どうでもいいわ」
「自分で聞いたんでしょ」
どうもこの子とはテンポが合わない。でも、こういうやり取りも嫌いではなかった。
さらに月日が経つとザスキア嬢に変化が現れた。
まず、表情が明るくなった。最初は気難しい人なのかと思っていたが、元来の性格は明るく素直なものだったようだ。
次に、よく喋るようになった。愚痴ばかりだけど、会話に飢えていたのだろう。私以外の修道士とも会話をしているのを見かける。
そして、妊娠のせいか、かなりふくよかになった。これはこれで可愛らしいと思う。
また、態度も柔らかくなり、私により懐いてくるようになってきた。
おそらく、交友関係に恵まれない生活を送っていたのだろう、そこで間違いを冒した。
今やその心配も皆無と言ってよいかもしれない。のだが……。
「お姉様!」
「お、お姉様!? ど、どうしたのよ急に、私はあなたの姉じゃないんだけど」
「いいじゃないですか!私にとってはお姉様です!」
「ま、まあいいけど……」
まさか私のことを慕ってくるとは思わなかった。しかもお姉様呼びなんて……正直恥ずかしいからやめてほしい。
そんなやりとりもありつつ、私達は穏やかな日々を過ごしていったのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
数ヶ月を経て、彼女は無事に出産した。元気な男の子であった。
「おめでとう、ザスキア」
「ありがとうございます、お姉様」
彼女は嬉しそうに答えた。修道院全体が祝福ムードに包まれる中、一人の訪問者がやってきた。
それは王太子、元王太子だった。彼は彼女に謝罪をしにきたという。
だが、ザスキアは彼を追い返すように言った。当然だろう。そもそも彼女がここに来たのは、彼の不倫が原因なのだから。
しかし、その後も度々彼がやってくるようになった。その度に追い返しているのだが、諦めの悪い男だ。
ある日、遂に彼は強引に面会を申し込んできた。さすがにこれ以上拒否し続けるのは難しいと考えたのか、ザスキアは渋々受け入れたようだ。
私と院長も同席することになった。一体どんな話をするのだろうか?
「やあ、久しぶりだね、ザスキア」
「……お久しぶりですわね、殿下」
二人は睨み合うように対面していた。お互いに思うところがあるのだろう。
「その節は本当にすまなかったと思っているんだ。僕はどうかしていた。反省している」
「……」
沈黙が流れる。
「それでだ、産んだ子供なんだが……」
「ああ、やっぱり。子供が、王家の血が目当てなのね」
「いや、違うんだ!ただ純粋に君と子供に会いたいだけなんだ!」
「嘘おっしゃい。どうせ子供だけ引き取って私を追い出すつもりなんでしょう?」
「そんなことしないさ!本当だ!!」
どうやら王太子は本気で子供にも会うつもりで来たらしい。ただ、ザスキアの方はそれを信用できないようだった。
「信じられるわけないでしょう、子供が生まれるまで便りすら寄越さなかったあなたなんかを」
「うっ……」
痛いところを突かれて元王太子は何も言えなくなった。
ザスキアの言う通りだ。仮に本気で会いたいと思っていたとしても、手紙の一つぐらい出すべきだろう。
「とにかくだ、今日は君に会いに来たんだ。子供はこちらで育てるよ」
「信じられないわ。それに、その子だって私の子よ」
「院長には話をつけてある」
「!?」
い、院長!?まさか金で裏切ったのか!?あり得る。
「今日のところはお引取りください、ザスキアは必ず送り届けます」
「わかった、頼んだぞ」
こうして元王太子は帰っていった。
「院長!!」
「まあ、待て、アーデルヘイト。待て!グーはやめろ!ちゃんと訳がある!」
院長に事情を聞くと、どうやらこの修道院に多額の寄付をしたそうだ。
「契約書も交わしてある、ほらこれ」
そう言って一枚の紙を見せてきた。確かに契約内容が記されている。
「……えーっ!?よくこれで契約できたわね!」
「不倫するだけあって、オツムの出来はそれなりのようだからな」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ひと月が経過した。赤ん坊はすくすくと育ち、ザスキアも平穏な生活をしていた。
そしてある日、業を煮やした元王太子が修道院に兵士を引き連れてやってきた。
「いつになったら連れてくるんだ!!」
「いつって、子供が成人を迎え、自分の意志で物事を判断できるようになってからだが」
「はぁ!?」
「契約書に明記されているぞ、ちゃんと読んでおるのか、契約書を」
院長が羊皮紙をひらひらと見せつける。
「なんだと!?貸せっ!」
元王太子が奪い取るように契約書を受け取ると、じっくりと読み始めた。
「……くそっ!!こんなの詐欺じゃないか!」
契約書には、成人後に引き渡す、としっかりと書かれてあった!
おそらく浅慮な元王太子の事だろう、契約書を大して読み込まずに同意の署名を書いたに違いない。
「ではその署名は一体どんな詐欺師が書いたものなのか、顔が見てみたいものだな」
「ぐぬぬ……」
歯ぎしりする元王太子。
「もういい、こうなったら力づくでも連れていく!!」
そう言って剣を抜いた。
「神聖な修道院を武力で脅そうとは!なんと野蛮なことか!修道騎士よ!」
フル装備で準備万端の騎士たちが武器を構えてぞろぞろと出てくる。もちろん私も。荒事は大好きだ。
元王太子の連れてきた兵士たちは想定外の戦力を目の当たりにし、怯んでいる様子である。
「剣を収めよ!そして契約書通り、成人までの16年待つことだ。何を企んでいるかは知らないがな」
「くそぉぉぉ!!!」
そう叫びながら剣を振り回しながら突っ込んでくるも、あっさり取り押さえられたのだった。
「あなたは改悛の心もなく、契約を反故にし、暴力で子供を連れ出そうとした!我々ヴェネトリオ修道院がその証人だ!」
こんな偉そうなことを言っているが、寄付をせしめた上で相手に不利な契約を結んだ張本人である。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
元王太子はヴァーデンベルクに送り返された、今は軟禁状態にあるという。
ザスキアもその息子も、心配事何一つ無く平和に暮らしている。めでたしめでたし、かな?
「この子は、お姉様から名前を頂戴して、アーデルベルトと名付けましたわ!」
「そ、そうなんだ……」
なんというか、この、むず痒い感じ……まあ、嬉しいっちゃあ嬉しいかな……。




