第228話 アスタロト
アスタロトは右腕に巻き付く蛇を撫でながら、ラジエルを睨む。アスタロトはヴァン神族に仕える天使。ラジエルはアース神族に仕える天使。どちらも階級でいえば、天使の中では上から三番目の座天使であり、同格である。
しかし、火炎奇書に記されるように、神話の時代にアース神族とヴァン神族が争い、ヴァン神族は白い月を追われ青い月に住むようになった。ヴァン神族に仕える天使たちも白い月を追い出され、そのまま堕天使として扱われる。つまりは、ヴァン神族に仕える天使たちは、アース神族や他の神族、白い月から見て堕天使。アスタロトからしたら堕ちてはいない。
アスタロトにとっては、ラジエルから堕天使と呼ばれるのは心外である。今もヴァン神族に仕えている。ただし、青い月でも身元を引き受けてはもらえず、赤い月に、悪魔や本物の堕天使たちと住んでいる。そして、堕天使たちとは協力関係であり、多くの悪魔を支配している。
「それにしても、良い事を聞いたわ。もうアーナム人からは勇者は輩出されないって。それ、本当なの? ラジエルちゃん。」
「神託は絶対だ。」
ラジエルは平然と答えた。アーナム人でなくとも数十年に一人くらいのペースで勇者は生まれ続けている。
「そう。それなら、もうアーナム人を滅ぼす必要なんてないじゃない。」
「そうだ。だから、見逃してやろう。アスタロト。早々に赤い月へ還りなさい。
でなければ、私としては、汝を此処で滅ぼさねばならぬが? 返答や如何に? 」
「あんたとは戦いたくはないのだけれど。それでも、アーナム人の勇者、ジーンとアランは放って置けない。ここで殺さないとね。アース神族につく天使は増やしたくないの。」
待ってましたとばかりにジーンとアランがアスタロトに飛び掛かった。
二人だけではない。サキとオズマが蛇に。レイゾーとガラハドはドラゴンに。
アスタロトは翼を大きく広げ、ストレージャーから取り出した剣と盾を構えた。勇者二人を討ち取る気満々だ。
「起源は砂漠。原形は水の都市。獅子は炎の輪を潜り、綱渡りは続く。円形競技場!」
オリヴィアが呪文を詠唱すると、マナがつむじ風のように流れて球形の檻が出来上がり、ラジエルとアスタロト、ララーシュタインと最後に戦った面子を閉じ込めた。ディナダンやクララが、その檻の外にいる者たちを避難させる。
「ええ~っ、なによお。また私は除け者なの~!? 」
「ほらほら、姐さん、邪魔しないようにここを出ますよ~。」
マチコは毒づいていたが、クララとシーナが両手を曳いて大聖堂を出た。オリヴィアが認めた者しか、この魔法の檻を出入りできない。被害を広げないための結界だ。
「あー、金網デスマッチじゃないの~。あたしもやりたかったな~。」
「今は駄目ですよー。自重してくださいねー。」
「今此処で戦わなくてもマチコさんが強いのは皆知ってますから。」
それなりの距離はあるが結界の中にいるトリスタンは、睡眠の効果付きの矢を放つ。それぞれ味方の援護になるが、アスタロトには大きな効果はない。ドラゴンにもだ。俺も追尾式の魔法の矢五指雷火弾を使ったが、やはり魔法耐性で弾かれた。もっと強力な呪文でないと駄目らしい。
たいした援護にならなかった味方六人の奇襲攻撃は、尽く躱された。さすがに最高位の悪魔。一筋縄にはいかないようだ。しかし、その隙をついてマリアがソーサリー呪文を詠唱する。
「幾千の湖を吹く風よ、北の光とともに我が道を照らし示し給え。氷雪の大地!」
氷の欠片や雹が混じるブリザード。見たところ、蛇とドラゴンは爬虫類に近く寒さに弱いのではないかと思われるので、外堀を埋めていく作戦だ。それならば、俺の火力呪文もできるだけ熱を出さない魔法を選んで使いたい。
「水流波!」
大量の水の圧力で、相手の自由を奪い押さえつける、場合によっては制圧する魔法だが、マリアの魔法とのコンビネーションだ。堕天使どもの身体の表面が氷り始めた。ホリスターとフォーゼは、堕天使どもが落ちて来るのを待ち受け斧を構えている。
ペネロープ女王や、各部族の王族たちは半分パニック状態だがディナダンや騎士たちの誘導で大聖堂の外へ避難した。悪魔に勝てるのか、これからどうなるのかと口々に勝手なことをいう向きもあるが、エルフの王ギガが一括した。
「黙りなさい! 騒いでも何も解決しない。騎士や冒険者たちが戦ってくれている。我々もやるべき事をやるのだ! 」
エルフ軍の将軍でサキの兄フォワードは、大聖堂に残ってアスタロトとの戦いに参加している。ギガは自分を守り一緒にいるイスズに命令した。すぐにエルフの軍を結集してジャカランダを包囲するようにと。飛行船を持つハイエルフが、一番早く大軍を展開できるはずだ。
ペネロープもジャカランダの兵を動かし大聖堂を取り囲むようにし、非戦闘員の避難を命じた。自分自身は兄たちと共に大聖堂のエントランス前に陣取った。パーカーがぼやくように言う。
「やれやれ、女王陛下らしいですな。警護役としては気が気じゃありませんが。これだからこそ、お仕えする甲斐があるのです。ケーヨ、頑張りましょう。」
「はい。分かっておりますよ。」
ケーヨは、ストレージャーから大楯を出し、ペネロープの前に身構えた。大聖堂内部からは剣戟の金属音が響いてくる。
サキやオズマからすると、倒したと思ったニーズヘッグが幼生とはいえ、もう一匹いたわけだ。由々しき問題。この邪竜の幼生が育てば、また世界樹やエルフ、ダークエルフの空中都市を食い荒らすかもしれない。そして、生物としての蛇の大きさの今の段階のニーズヘッグの幼生ならば、タロスの力を借りずとも打倒できる。
とはいえ、邪竜。簡単には斃せない。鱗は固く、攻撃は通らない。鎌首の動きは速く予想しにくい。サキがサーベルの手数で戦う横から、オズマがインスタント呪文で均衡を打ち破った。
「毒霧! 」
オズマが珍しい魔法を使用。緑色の毒を霧状にして口から吐き出し、ニーズヘッグの顔に吹きかけた。目つぶしの一種だ。目だけでなく、顔全体に痛みを感じ、怯んだニーズヘッグが小さくとぐろになると、その尻尾をオズマが鷲掴み。グルグルと振り回してニーズヘッグの頭を床に叩きつけた。二度三度と繰り返すうち、サキが地と水の魔法を使い、床面に大きな棘だらけの氷柱を造った。
「オズマ! そいつに叩きつけろ! 」
「おう! さすがサキだ。気が利くな! 」
一度氷柱に頭を叩きつけると、頭の皮の一部が裂けた。効き目ありと思い、さらに力を込めて振り回すと、ニーズヘッグは軽く口を開け、何かを吐き出したように見えた。いや、吐き出したのではない。ニーズヘッグそのものが飛び出した。
オズマの手に残ったのは、ミカンの網のような形状をした鱗の袋の塊。邪竜の幼生は皮を残して跳躍したのだった。
「や、野郎! この土壇場で脱皮しやがった! 信じられねえ! 」
大聖堂の床面をガラガラヘビのように横方向に這って逃げようとするニーズヘッグ。そこにロジャーの放った矢が飛んでくる。ニーズヘッグには当たらず、床面に刺さったが、ニーズヘッグの動きを止めた。
「よし、ロジャーよくやってくれたぜ。」
オズマがボーニングナイフで斬りかかろうとすると、ニーズヘッグの背中の皮がバリバリと音をたてて破れ、蝙蝠のような羽根が生えた。そして、胸、腹の皮も同様に破けると、四肢が生える。脱皮したお陰で一回り大きくなったニーズヘッグは、小さいだけの完全なニーズヘッグの成体となった。まだ若いので、サイズが小さいだけだ。
甲高い声で咆哮すると、サキ、オズマ、ロジャーを挑発する。三人を完全に敵と認識したようだ。ロジャーは弓を床に置き、ブロードソードを抜いた。
今回の魔法の呪文のネタは布袋さんのサーカス。
アジアンミストはプロレスで使われる毒霧。アジアの悪役レスラーがよく使うので英語ではアジアンミストになると。
さて、出張仕事が入りまして。次回更新はちょっと遅くなりそうです。




