第216話 イスズ
迷いの森。ガーランド群島から遥か北にある大きな島、白と黒の妖精の国の中央に広がる深い森林。迷宮の一つである。とはいえ、混沌という言葉は付いてはこない。あくまでも自然な迷宮だ。他の地域に比べて考えられないくらい多くの妖精が棲み、邪妖精も多い事から、白と黒の妖精の国と呼ばれるが、肝心なのは、もっと別のことだ。上空に宇宙樹が浮かび、月からの天使、悪魔、上位精霊の降臨があれば、この北の島が拠点となる。
宇宙樹とは一番大きな世界樹なのだが、月と地上との間にあり、天使が降臨する際には中継地点となる重要なもの。おそらく、朽ちれば別の世界樹が入れ替わるのだろうが、宇宙樹は一度も枯れたことはなく、今も少しづつ成長を続けている。何万年にも渡って。
その世界樹が群生する迷いの森の中へ、傷だらけの飛行船フェザーライトが不時着した。ハーロウィーンは終了しており、それまでにも上空でドンパチがあったために妖精ばかりでなく魔物や生物も逃げ隠れており、地上に降りた船が襲われるなどということはないが、まだ戦争が終わったことを知らない乗員たちは、生きた心地がしなかったに違いない。船長代理のメイはすぐに点検作業、六人のドワーフの鍛冶職人たちは船の周りで木材の物色を始めた。
ほんの数分の時間差だろうが、サキの使い魔木菟のリュウが森の中に埋もれたフェザーライトを見つけ出し、マストに降り立った。リュウはサキの声色でメイを呼ぶ。
「メイ! メイは無事か! 」
「サキ!? 」
「サキの旦那か? 」
まるっきりサキ本人が喋っているようにしか聴こえない。たちまち七人の乗員が甲板に集まった。リュウであったことに半分は拍子抜けだが、リュウが働いているのならば、サキは無事であろうし、重要な情報を伝えに来たのだろうからと、皆真剣にリュウの声に耳を傾けた。
「重要事項を伝えるので聴いてくれ。タロスがニーズヘッグを斃したのは周知のことだが。続いてクランSLASHがララーシュタインを倒した。作戦終了。戦争は終結だ。
だが、残念なことに、オズワルド、スカイゼルとグランゼルが戦死した。ホリスターとフォーゼも負傷。サキとオズマも怪我をしているが、軽傷だ。ただし、今すぐそちらに合流は出来ない。そちらの状況を報せてほしい。」
甲板上に嗚咽の声が漏れた。オズワルドはメイの父親。そしてダークエルフの王。ドワーフたちも自分たちの国を出て、ダークエルフの空中都市に工房を構えていたのだから、自分たちの国王に等しい。長命種のダークエルフならば、あと数百年から千年以上の寿命があっただろうに。そしてスカイゼルとグランゼルの兄弟はホリスターの弟子の中でも特に腕の良い年長者。兄貴分だったのだ。
悲しみに暮れながら、リュウを通してサキに戦果と、フェザーライトの被害状況を報告。その途中に思わぬ訪問者があった。アッパージェットシティの防空部隊、エルフの飛行船が上空に現れた。敵襲というわけではないのだが、驚いた。ある意味閉鎖的で、あまり余所者と関わりを持とうとはしないエルフが、あちらから近づいてきたのだ。
横に広がった帆を上側に畳み、洋上帆船の形になるとフェザーライトの隣に接舷した。タラップが渡されると長髪のエルフの女性がフェザーライトに乗り込んで来た。ややウエーブの掛かった黒髪に透き通るような白い肌。神秘的な美しさがある。美男美女が多いといわれるエルフだが、メイは思わず見とれてしまった。
その美女がマントを翻し、メイの前に頭を垂れて片膝を着いた。立ち居振る舞いまでもが綺麗である。
「ラヴェンダーの姫様。お初にお目に掛かります。アッパージェットシティ防空部隊指揮官のイスズ・ヴィシュヌと申します。弟がお世話になっております。」
「え? ヴィシュヌ? 弟? ひょっとしてサキのこと? 」
「はい。いかにも。愚かな弟がご迷惑をお掛けしておりませんでしょうか? 」
「迷惑など、とんでもない。現在の私たちがあるのはサキのお陰です。サキのゴーレムタロスの活躍でドラゴンニーズヘッグを退治することもできました。」
「天使タルエルの働きでございますね。姫様のお気遣い、感謝いたします。」
「ところで、ハイエルフがわざわざ地表まで出向いたのには、何か理由があるのでしょう? 」
「はい。ウッドエルフからの情報をお伝えするためでございます。」
ウッドエルフとは、迷いの森で暮らすエルフのことだ。対して空中都市アッパージェットシティに住むエルフをハイエルフと呼ぶ。ウッドエルフからの情報とは、世界樹についてのことだった。
「ここから西へ十キロほど移動した場所に、大きく成長して間もなく浮き上がりそうな世界樹があります。そして、もうニーズヘッグはおりません。」
「それは、まさか! 」
「はい。あと半年から一年程で宙に浮くそうですので、ラヴェンダージェットシティを再興するには良い条件ではなかろうかと。」
「しかし、父王オズワルドが戦死しました。」
「なんと! 陛下が崩御なされたと!? 」
「オズマ前国王と相談します。」
「では、私も急ぎ本国へこの事を知らせに戻ります。」
「感謝します。イスズ殿。ああ、アッパージェットシティは、ドワーフやホビットの力になって差し上げてください。彼らも大きな犠牲を払いました。」
「善処いたします。」
ここまでの話を黙って聴いていたリュウも南の空へ向き飛び立っていった。すぐにサキに知らせるため。素っ気ないが、情報を集める使い魔としては優秀だ。
フェザーライトの修理は応急として帆の修繕を主とし、木材は大まかにカットしただけの物を船倉に積み込んだ。エルフ、ダークエルフの飛行船の揚力推力を生み出しているのは、世界樹からできた骨組みと風の魔法の術式を組み込んだ帆である。船体の素材である木材は、骨組みは世界樹なのだが、側板は針葉樹。世界樹は貴重なので骨組みだけに留めている。全て世界樹にすれば飛行性能のアップなどのメリットがあるが、針葉樹は世界樹よりも丈夫な素材である。
せっかく迷いの森にいるので、世界樹の木材だけは確保し、側板は飛びながら修理することにした訳だ。見た目には傷だらけ、飛行能力は取り戻したフェザーライトは、西の大きな世界樹を目指す。
今はオズマやサキと合流できない。ならば、その時間を無駄にしないよう、第二のラヴェンダージェットシティになるかもしれない世界樹の調査を進める。
サキとオズマは航海中のメイフラワーにて船医から怪我の治療を受けていた。オズマは軽傷。従軍した僧侶から受けた魔法によって回復力も上がっている。すぐに完治するだろう。
一方、サキは問題を抱えていた。まず、額にうけた十字傷が意外と深く、傷跡が残ること。そして右眼の瞼を斬られたことだ。瞼の傷は綺麗に癒着して治っている。サキ自身が治癒回復の魔法を使っていたからだ。しかし、右眼には違和感があり、たびたび見えにくい場面に遭遇する。
船医はサキの右目にランプの灯りを当てつつ、軽い溜息をついた。今までにない症状だった。
「どうやら対光反射が遅くなっているようですねえ。視力そのものは問題がない。」
「対光反射というと、虹彩が開いたり閉じたりするアレですか? 」
「そうです。瞳の大きさが変わる。像の明るさの調節ですね。」
「ふむ。道理で。明るい場所と暗い場所を行き来すると見辛い。」
「見えない訳ではないですが、眼が慣れるのに時間が掛かる。原因や治療法が分からないのですよ。とりあえず、外出時には鍔の付いた帽子などを被ると良いでしょうが…。」
「悪魔と戦ったので呪いの類かもしれない。それだとドクターの領分ではないですね。」
サキは医者に治せるとは期待していないようだが、視力そのものは問題なしという言葉で内心ほっとしていた。オリヴィアかマリアに相談するのが一番良いだろう。
「なんだよ。片眼だけ死体みてえじゃねえかよ。」
オズマとしては、あっけらかんと笑いを狙って言ったようだが、船医には叱られた。ドラゴンや悪魔を相手に生きるか死ぬか、命のやり取りをした後なので、笑えるはずもないが。喧嘩っ早く、また連戦連勝の腕っぷしの強い魔王のいつもの空気を読まない言動なので、サキもなんとも思っていない。いや、いつも通りなのが、かえって嬉しかった。
診察の後、サキとオズマで今後のことを話した。宿敵のドラゴンニーズヘッグを討伐したのにオズワルドが他界してしまい、王を失ったダークエルフはどうするのか?
「あまり建設的ないい意見が出ねえな。」
「酒がないからだろう。復員の軍船の中ではどうしようもないか。」
「ああ、あるぜ。グラスも。肴は戦中食の干し肉くらいだけどな。」
オズマは収納魔法の中にウイスキーのスキットルを持っていた。狭い船室の中、二人で献杯し、ちびちびと酒を舐めながら語り合った。




