第215話 マルファス
マリアは『陽の聖剣』を左腰に帯剣。高僧の職能を持っているマリアは刃物を使うことはないのだが、サキから供給される魔力を受け取るためだ。そして、レイチェルに声を掛けた。
「レイチェル、向かい側の様子を見て来るわ。オリヴィア先生と交代して休んでもらう。もし、おかしな事があったら、サキとオズマに知らせて。」
「はい。あの、お気をつけて。」
シンディは、今はオリヴィアの『魔の密室』に拘束されている。マリアがシンディを結界に閉じ込めた魔法『魔の密室』は、もともとサリバンが編み出したオリジナルの呪文だ。強力なばかりでなく、色々と応用が利く。それを教え子のマリアと、友人のオリヴィアに伝えていた。
完全に密閉することなく、音や風、空気を通す格子の状態にしてシンディを囲っている。またその四方と天地にはペンタグラムの魔法陣があり、シンディが魔法を使おうとしても、それを阻む。
「オリヴィア先生、交代しましょう。休んでください。」
マリアが船室の扉を開けた音で、シンディは起きたようだ。目線だけを泳がし回りの様子を伺う。
「ありがとう。でもまだまだ大丈夫よ。マリアちゃんこそ休んでて。魔力を感じないわ。全然回復してないじゃない。」
「サキから借りたサーベルがあるので魔法を使えますよ。カメラオブスクラの制御は問題ありません。シンディの見張りくらいはわけないですよ。」
「ふん。小娘が。不愉快な会話だねえ。」
「あら、シンディ。起きてたのね。」
「この魔法の檻は、ちょっと変形してるけど、その小娘があたしを閉じ込めた魔法結界の応用だろ。あんたら二人とも使えるのかい? 」
「サリバンが残したものだから。貴方に使うとは思わなかったわ。」
「で、あたしゃあ、戦争捕虜ってことかい。」
「捕虜。だけじゃなく、戦犯ね。」
ここで、会話に割り込む者がいた。船室の窓の外から入り込んだ鴉が、魔法の格子の枠に留まり、喋った。
「よお。ババア。老けたなあ。まだ生きてたかあ。」
オリヴィアもマリアもシンディも、戦慄した。この鴉の接近に気付けなかった。鳥類や哺乳類の使い魔は多いのだが、誰かの使い魔なのか? 使い魔の主は、それ相当の魔力を持っているはず。だが、その点については、シンディは驚いてはいない。使い魔ではないのを知っている。
「その声は間違いない。マルファスだね。三百年ぶりに会っても、そんな態度かい。」
シンディが鴉を『マルファス』と呼んだ。マリアはその名前に心当たりがあった。師サリバンの書物にその名が載っていた。悪魔の一柱。四十の軍団を率いる地獄の大総裁。
昨夜のハーロウィーンで、エルフの飛行船団が迷いの森の上空で悪魔の軍団と戦い辛勝したが、その悪魔の軍を指揮していた鴉の恰好の悪魔『ラウム』とほぼ同格の悪魔が、このマルファスである。その『ラウム』を退けたのは、結局は天使の軍団。エルフでは歯が立たなかったろう。
「ところで、何しに来た?」
「敗戦して捕虜になったあんたを笑いに来たんだよ。元仲間の魔女が編み出した術式の結界に閉じ込められてるなんて、傑作じゃあないか。しかも、そこにいる若いのは、ババアの子孫なんだろう? ははははははははっ! 」
「そんなことのためにわざわざ来たのかい。あんたも暇なんだねえ。
どうして、今回サルガタナスの味方をしなかったんだい? 」
シンディの質問に対して、鴉は鼻で笑うように答えた。しわがれた声がますます濁る。
「俺はなあ、負け戦はやらない主義なんだよ。ババアもサルガタナスについたから、今こうして捕虜になってるんだろうに。」
「それじゃあ、あんたは、はじめっからサルガタナスが敗けると思ってたのかい? 」
「ああ。三百年前にネビロスでも成せなかった。サルガタナスにできると思うか? 高みの見物をさせてもらったさ。サルガタナスも、まあまあ頑張ってたんでな。そこそこ楽しめたよ。」
「下衆だねえ。まあ、悪魔なんてのは、皆下衆だがね。」
このシンディの一言を聞いたマノンが姿を現した。マルファスとは違い、ほとんど人の姿である。こめかみのあたりにクルリと巻いた角があるが。
「いえいえ、悪魔にも色々なタイプの者がおりましてねえ。我のような人間や精霊に近い者もおります。下衆はあんまりですよ。シンディ様。」
「グレーターデーモンか。低レベルな悪魔がしゃしゃり出てくるな。殺すぞ。」
「やはり悪意を感じますねえ。我が殺されるのは、まあ、仕方がないでしょう。しかし、マリア様と、その師匠のオリヴィア様、それからマリア様のご先祖のシンディ様に害をなすようであれば、わが身がどうなろうとも戦わねばなりません。」
オリヴィアの表情が強張った。シンディというのは、捕虜にしても厄介な存在であると呆れた。兎にも角にも、このマルファスという悪魔は排除すべきかと考えた。
「マルファスと言ったかしら? 私も魔女の一人よ。私とマリア、そしてマリアに服従するグレーターデーモンのマノン。これだけ相手にして勝てるつもり? 負け戦はやらない主義と言ってたわねえ。」
オリヴィアはストレージャーから戦鎌を出して見せた。マリアも同様にモーニングスターを出した。実を言えば、このときオリヴィアは、マルファスを退かせようとしたのではない。始末してしまうのが、後顧の憂いを断つことになると思っていた。
だが、己の保身とずる賢い思考が骨の髄まで染みついているマルファスは、あっさりと引き下がった。本当に負け戦はやらない主義だ。
「いやいや、あんたらとやりあうつもりはねえよ。三百年前のシンディを知ってるんだぜ。魔女が厄介なのは、よく分かってる。それに・・・うぅっ!」
マルファスが何かに気付いた。が、マノンがマルファスよりもさらに驚いている。
「ま、まさか! すでに終戦と思っていましたが、我々悪魔を容赦なく滅するつもりなのですか。」
マノンの態度にマリア、オリヴィアも何事か察したようである。武器をしまった。マリアはマノンに命じる。
「マノン、隠れていなさい。あんたも討伐対象にされるわ。」
「こんなモンが来やがるとは。とんでもなく大きなエーテルエネルギーの塊だ。かなり階級も高いだろう。俺も退散するぜ。じゃあな!」
マノンが渡りで移動。鴉が大慌てでバサバサと羽根を上下し、窓の外へ飛び去っていくと、船室の中に白い光が溢れ、暫くは眼も開けられなくなるほど眩しくなった。落ち着いて眼を細く開けると、円く数珠繋ぎになった目玉がギョロギョロとあちこちの方向に、部屋中を隈なく見回していた。目玉の輪が、また白く光りだす。眩しくて眼を閉じると、光の輪は形を変え、白い衣を纏った人型になった。人型といっても宙に浮いており、足は床についていない。
「やはり、大天使! 」
「こんなに人間に近づいて来るものなの? ここは神殿でもないのに。」
オリヴィアは目の前にいるのが天使にしても第九位の天使ではなく第八位の大天使であることに注目し、初めて天使と邂逅したマリアは、狭い船室の中であることに驚いている。
悪魔や堕天使との戦いでもなく天使が降臨するのは、なにか目的があるはずである。オリヴィアがいてもたってもいられず、膝をついて、両掌を合わせて指を組み話し掛けた。
「天使様、ご降臨、心より祝福いたします。私は六人の魔女の一人、オリヴィアでございます。魔女も今は五人しかおりませんが。
今回のご降臨には、いかなる理由がおありでしょうか? 」
人型の天使の背後に後光のように輪が浮かぶ。赤く燃えた。車輪が燃えているように見えるが、すぐに消えた。
「私は神々のお側に仕える七大天使がひとり、ラジエル。全てを知り尽くし、それを書に記す。そのための権能も持っている。戦争の経緯と顛末について魔女シンディに用がある。」
黙り込んでいたシンディだったが、急にガタガタと震え出した。天使を恐れている。
俺は左肩の脱臼のため、クララは脛の骨折のため、船医に診てもらい、三角巾、添え木で固定してもらった。その後、僧侶の治癒魔法もかけてもらったが、二人とも三週間は安静にしなければならないそうだ。
「クララ。俺の魔力が回復したら、領域渡りを使って早くセントアイブスに帰ろう。サキも一緒に。マチコ姐さんが待ってる。それに俺の収納魔法の中では、クララの姉さんも眠ってる。実家に連れて行ってあげよう。」
「うん。ありがとう。」
ミッドガーランド水軍の蒸気船メイフラワーは、レイゾーとガラハドを除くクランSLASHのメンバーや一部の傷病兵を乗せ、ミッドガーランド王国水軍北西方面本部の軍港リマーへ向かって巡行している。傷病者をリマー港で下船させたら、食糧や医療品などの物資を積み、またすぐバルナックへ折り返すそうだ。




