第17話 震災
何故、今こんな夢を見るのだろう。思い出したくはないはずなのに。元の世界が、日本が恋しくて昔の事を?たしかに帰りたい気持ちはあるが、なにもこの事を思い出さなくても良いだろうに。
11年前の3月。金曜日だった。大きな地震があった。学校にいて、午後の授業中だった。教科は国語だったな。急にガクンと高所から落下するような揺れがあって、椅子が跳ねあがり、教科書やノートを床にぶちまけて、女子たちはやたらにキャーキャー騒いだ。まあ、男子もうるさかったけれど。長い揺れだった。なんとか机を捕まえてしがみつき揺れが少しおさまった隙に、その下に潜って、あとはずっと机の脚を掴んで蹲っていた。しばらくすると、校内放送。しかし、その内容は憶えていない。
気持ちを落ち着けようと散らかった物を片付けている間にも余震があった。教科担任の先生も動揺を隠せずにいる。陸上部の部員だった俺は、放課後の部活動はどうなるのか、と今思うとまるっきり見当違いなことを気にしていた。やがて学年主任の先生が廊下を走ってきて声を上げている。
「全員屋上に上がりなさい。早く!」
訳も分からず、3階建て校舎の寒い屋上に出る。高い場所なので遠方の景色が見えるが、見たくない光景だった。大量の瓦礫や車が泥水に流されてくる。阿鼻叫喚というのは、こういう事かと実感した。自分自身は声を失うくらいの無力感に襲われたのだが。
家族は、家はどうなったのだろうか。徒歩数分の距離の小学校に妹がいる。家はその先、もう10分くらい。両親は会社にいるだろう。だが、そんな事を知る手段はない。
時が長くも短くも感じられたが、それでも時間は過ぎてゆく。男性教諭が校内、校舎の上層階からかき集めたカーテンやら体操着やらを羽織って寒さをしのごうとするが、気休めに過ぎない。皆が寒さに音を上げ始めた頃、学校の上空をヘリコプターが通り過ぎた。もちろん降りて来る訳じゃない。着陸できる場所などはないのだから。ヘリに向かって手を振ったり、カーテンを広げてバタバタと翻したり、それは救助を求めるための行動で、理解できるのだが、遠ざかっていくヘリコプターに向かって悪態をつく人たちってのは、何なんだろうか。
実際、ヘリコプターの乗員が知らせてくれたのだろう。周りを水に囲まれ孤島のような校舎の屋上に、暗くなりかけた頃に救助がきた。何艘ものゴムボートに乗った自衛隊が。
「もう大丈夫ですよ。よく頑張りましたね。」
なんと頼もしい人たちだろうか。屈強な男たちが、気分が悪くなったと訴える人たちを背負い、肩を抱き次々とボートに乗せていく。オールで障害物を避けてボートを進め幾度も往復する。自衛官になろうと思った最初の切っ掛けはこれだったのだ。
そして避難所に入った翌日、両親の無事を確認したが、翌々日には小学校3年生の妹が死亡していたことが分かった。体育館で体育の授業の最中に被災し、逃げ場がなかったそうだ。都心では、校舎の中、2階3階に体育館がある学校も珍しくはないが、東北の小学校では体育館は校舎とは別棟の建物で、普通に1階の高さにある。体育館前方の舞台の上に上がり、その後は舞台脇の放送室、舞台に当てる照明器具などが置いてあるキャットウォークへと避難したそうだが、水に浸かった身体は冷え、低体温症になった。怖かったろう。寒かったろう。ものの数分しか離れていない場所なのに、助けに行けず申し訳ない。人目をはばからず大泣きしたし、その夜は一睡もできなかった。
住んでいた家も失い、それ以降、両親が不仲になった。些細な事で言い争うようになってしまった。4年後の高校2年の冬、両親が離婚した。学費、生活費など、現実的な面から進学は諦めた。そこから将来の道を考えたときに思い至ったのは自衛官になることだった。もし、同じようなことがあったら、助けられるのではなく助ける側になりたい。妹のような子を救いに行ければと。両親とは確執ができてしまい、関係は複雑なまま。今どういうわけか魔物が跋扈し剣と魔法が支配する異世界にいる。
目が覚めた。気分は良くない。当然か。取調室の2階奥、従業員のための寮として幾つかある部屋の一つ。ベッドの脇にあるキャビネットの引き出しを開けると、腕時計を見る。元の世界、日本から持ってきた物。スマートフォンはもう電池切れだが、これはソーラー時計なので、壊れるまでは時を刻むのだろう。こっちの世界では、正確な時間も魔法で分かるそうなのだが、とりあえず街中では正午を含め日に数回決まった時刻に鐘を鳴らすので、それに合わせてある。午前6時20分。普段よりも少し遅く起きた。まずは顔を洗いたい。目尻が引きつっているので。
着替えて顔を洗う。タオルは首に掛けたまま。少し遅れたが、日課なのでランニングに出掛けようとすると、レイゾーが声を掛けてきた。
「おはよう、クッキー。」
「レイゾーさん、おはようございます。」
「昨日はだいぶ活躍したみたいだね。」
「いえ、とんでもない。」
「冒険者パーティAGI METAL として昨日の反省会と今後の混沌の迷宮に対しての対策を話し合うよ。正午に一番厨房寄りの個室に集まるから来てくれよ。うちの期待の新人君。」
「あ、はい。わかりました。」
「ゲストがいるからね。失礼のないように。あ、クララもいるけどね。じゃあ、ランニング頑張って行ってらっしゃい。」
ランニングについてだが、このセント・アイブスの街についてもまだしっかり地理を把握していないので、散策しがてらだ。コースを決めて走っているわけではない。ついつい昨日のことが気になり、テオのダンジョンに足が向いてしまった。まあ、ダンジョンまでは低木が点在する草原なので気持ち良く走れるのだが。
来てみたら、タムラと取調室のホールの接客係3人が見張りの若い騎士たちに差し入れを配っていた。接客係の一人と目が合った。
「あ、クッキーさん。丁度良かったです。おはようございます。」
「あ、やあ、おはようございます。早くから働いてるねえ。お疲れ様。」
「いえ、これくらいは。私たちの実力では、まだオーバーランの魔物と戦えませんから。転移者とはいえ、クッキーさんは凄いですね。」
「いや、そんなことは。俺はあっちの世界でも、騎士みたいな仕事してたから。で、丁度良いって、何か手伝いが必要かな?」
「よお、若いの。疲れてないのか?タフだなあ。丁度ってのはな、差し入れを多く作り過ぎたんだよ。お前さんも食ってけ。」
タムラも気が付いた。差し入れのチャーシューサンドとリンゴを一緒に食べるように誘われた。中途半端な距離しか走っていないのだが、せっかくなのでご馳走になった。食べながら話したのは、取調室の従業員は、ほぼ全員が優秀な探索者、冒険者、あるいは騎士の子息たちであること。ただし、皆若くて経験が足りないので、英雄レイゾーに弟子入りするような形で、店で働きつつ、魔物と戦えるように訓練を受けているのだそうだ。しかし、座学のような講習はギルドで受ける。レイゾー、タムラが教えるのは、店の休日に実践らしい。俺の場合、その座学をギルドで終え実践に入る前にテオのダンジョンのオーバーラン防衛戦に駆り出されることになったのだと。
「それじゃあ、取調室は騎士や冒険者を育てる虎の穴みたいなものですか?」
俺が質問すると、タムラが頷く。そして理由についても答える。
「この街はな、3年前の戦争のときの最後の戦場に近いんだ。南西に突き出したコーンフロール半島の付け根にあるけどな。この半島の先端が、その戦場だったんだ。街は戦火を免れたが。多くの犠牲者が出たし、この半島にはテオのダンジョンの他にも、まだ二つのダンジョンと一つの城があって、どれも自然の迷宮ではない混沌の迷宮だ。放っておけば、またマナが溜まりこんでオーバーランを起こす。取調室が街の南側の端にあるのは、あれが街を守る最終防衛線なんだよ。3年前の戦争の英雄のパーティ6人のうちの3人が、この街に残って、それぞれ後継者を育てようとしてるんだ。」
取調室が街の南側を守る砦ならば、南側に厨房の勝手口があるのも、バルコニーに面した倉庫に据え置き式大型弩砲があったのも納得だ。2階のバルコニーは弓兵が並ぶ櫓になる。たしか、3年前の戦争では、5人が敵の本拠地に潜入したって話だったはず。レイゾー、ガラハド、マリアの3人だろう。タムラはそのパーティメンバーではないのか。あとの3人は?そして、なぜ本拠地に殴り込んだのが、6人ではなく、5人なのか?
「タムラさん、3人はレイゾーさん、ガラハドさん、マリアさんですよね。あとの3人は?」
「二人は残念ながら鬼籍に入った。もう一人は王都を守ってる。」