第161話 魔王
『エノラ・ゲイ』を放った術者のシンディ自身が驚いた。爆心地から四キロ離れていたにも関わらず、強い光と熱風が押し寄せたことで立っていられず、地に伏せて頭を抱えた。おそらく小石や枯れ木など様々な物が頭の上を過ぎて行ったのだろうが、詳細は分からない。凄まじい轟音、突風の中、たまらず地面にポータルを開き、十キロ程離れた場所へ領域渡りで避難した。
そして顔を上げてみると、大きなキノコ雲が上がっている。火山の噴火のようにも見える。初めて見るそれは、とてもおぞましいものだった。
「こ…これが、神の力を使った魔法かい。神ってよりも悪魔だろう。」
このキノコ雲はバルナック城に向かい進軍するミッドガーランド軍のどの部隊からも、勿論俺達クランSLASHからも確認できた。皆が驚愕した。
「キノコ雲! まさか! そんなことが!レイゾーさん、あれは!」
「なんてこった…!」
あのキノコ雲を見て瞬時に理解できるのは異世界人の、日本人の俺達だけなんじゃないだろうか。おそらくは、異世界人でもアメリカ人であろうウィンチェスターは、俺たちと同じようには認識していないだろう。でなければララーシュタインを止めているはず。
「おそらく、あれが火炎奇書の禁呪ですね。使ったのは、ララーシュタインか? それとも魔女シンディ?」
「もう、どちらでもいいけどね。止められなかったな。」
「二発目は防がないと。急ぎましょう。」
「そうだね。皆、あれがいかに恐ろしいものかは、あとで説明する。とにかく二発目を撃たせないためには、一刻も早くバルナック城に押しかけてララーシュタインを倒すよ!」
赤い狼煙が上がってすぐ、強い光と音。そしてキノコ雲。遠目にだがすべて視認していた飛行船フェザーライトの乗組員たちも驚き戸惑っていた。
「おい、オズワルド。あれは、間違いなくアレだな。」
「ああ、エノラ・ゲイか、ボックス・カーか、どちらかは分からないけど。間違いなく火炎奇書の禁呪だね。」
「騎士団の後方の陣地の場所だよな?」
「赤い狼煙は敵襲の合図のはずだ。そしてすぐにあの爆発。やられたね。」
「この戦の本陣だ。兵站と支援部隊。おそらく一万人以上だよな。これから、どうする? 俺たちダークエルフの王はお前だ。お前が決めろ。俺は黙って従う。」
「もう上空の警戒と空からの支援、だなんて言ってられないね。まっすぐララーシュタインの首を狩りに行こうか。」
その時に、ドワーフの職人の一人が異変に気付いた。何かが浮かんでいるのが見えた。
「オズマの旦那。あ、あれを見てくれ!」
ドワーフが指差す右舷方向には、木が浮かんでいた。宇宙樹だ。
「宇宙樹! おいおい、ここは西ガーランド島のはずだろうが!」
六人のドワーフが集まって話し出した。この状況の確認と分析だ。ドワーフの半数、三人が鬼火のような物を見かけたと言う。輪になっているので、話しながらでも手分けして周囲を警戒して見回しているのだが、船の後方には、宇宙樹以外の世界樹もチラホラと見えだした。遥か北方の白と黒の妖精の国の上空、地上と月の間にあるはずの世界樹の群生域。
元々、エルフやドワーフは、亜人の中でも天使や妖精に近い存在と云われており、人間より寿命も長い。『白と黒の妖精の国』という地名も、エルフとダークエルフの両方が棲んでいる土地だからだ。
そして、亜人のなかでも、特に人間と関わることに抵抗の少ないドワーフは、人間の風習にも詳しかった。ジャザム人の古い習慣、霊祭の事を思い出した。
「今年はうるう年だよな。今日は何月何日だ?」
「十月三十日だ。」
「やはり。ハーロウィーンだ。」
それを聴いたオズマは思い当たったようだ。オズマはメイと一緒に貿易をしながら世界各地に散ったダークエルフを探して旅をしていたため、各地の風俗に詳しい。
「『死者の魂が還って来る日』だったか。ジャザム人の祭だ。あの世とこの世が交わる日だな。『あの世』ってのが『三つの月』だと考えれば、その中間に位置する宇宙樹があそこに見えるのも納得だ。」
「オズマ。それは、ある意味チャンスだ。地上にはタロスがいる。だが、困ったことも多すぎるな。」
「おう。その困りごとを解決しようじゃねえか。」
「では、神託を受けに行ってくる。フェザーライトの運用を頼むよ。」
「畏まりました。陛下。」
双子の弟とはいえ、オズマから見たオズワルドは仕えるべきダークエルフの王。自ら王位継承を放棄して、オズワルドが王になるべきと、当時のラヴェンダー・ジェット・シティの宰相たちを説得したのもオズマである。
普段は乱雑で横柄な態度だが、ここぞという場面では臣下として振舞う。また、姪のメイに対しても、彼女は王女である為、同様であった。
オズワルドは領域渡りとは似て非なる移動手段の入口を太い帆柱の壁面に開き、そこへ飛び込んで行った。オズワルドが入ると、五色の光の壁はすぐに輝きを失い、元の帆柱の木肌に戻った。
ドワーフ達も初めて見るポータル。ドワーフの一人が訪ねる。
「オズマの旦那。これは一体? 」
「ああ、ホリスターから聞いてねえか? あれは『次元渡り』って移動手段だ。時間も空間も超える特別なもの。異世界へだって行ける。アレを使える者は魔王か勇者と呼ばれる。オズワルドと俺は所謂魔王ってヤツだ。代々、エルフの王とダークエルフの王は魔王なんだ。」
「何処へ行きなすった?」
「アース神族の国だ。神学者の中にはアースガルズは人間の棲み処の一部だ、なんて言う奴もいるんだが。ハーロウィーンのせいだったんだな。腑に落ちたぜ。
ああ、それから。これから魔物や死霊どもが山ほど出て来るだろうが、フェザーライトの心配はいらねえ。俺一人で動かせる。この船の船長は俺だからなぁ。」
六人のドワーフたちは、それぞれ担当の弩砲の操作に戻った。そして、魔物たちとの肉弾戦も覚悟し、気を引き締めて武具の点検をするのだった。
キノコ雲は海峡を挟んだミッドガーランドの各地でも観測された。初めて見る奇妙な雲に、当然ながら騒ぎとなった。
セントアイブスでも同様。マチコが見れば、すぐに何が起きたのか察しただろう。オリヴィアとシーナが、マチコに余計な心配をさせないようにマチコの部屋の窓は締め切り、外からの情報は絶っていた。
ただ、ページ公の領事館やクランSLASHの事務局であるレストラン取調室では、緊張感が漂う。オリヴィアは取調室のシーナにマチコの世話を頼んだ。そして領事館へ赴き、ページ公に話す。
「あれは、おそらく火炎奇書の禁呪を誰かが使ったのね。誰かと言っても、マリアやサキではないと思うわ。くれぐれも使い道を間違えないようにと教えたもの。私が重点的に教えたのは、アレに対抗できる打消し呪文の『対抗呪文』と『却下』。ただ、打ち消すためには、その呪文そのものの体系を知らないといけないからね。忌まわしい火力呪文の術式構造は理解しているし、いざとなれば使うこともできるでしょうけどね。特にマリアは優秀な子だし。エルフの三人も尋常ではない強い魔力を持っている。」
ページ公は一見落ち着いているが、声が震えている。普段よりも声が小さく、背中を丸めている。
「バルナック側が使ったのだとしたら、当然ジャカランダの我らの軍が対象になったでしょう。大勢の兵が戦死したのでは?」
「そうねえ。私は様子を見に行ってみますわ。」
「護衛をつけましょう。騎士団から斥候の職能を持った者を帯同させます。」
「感謝します。」
オリヴィアは二名の護衛と共に臨時の冒険者パーティを組んだ。馬を駆り領域渡りを使い爆心地から十キロほど離れた地点まで瞬時に移動した。オリヴィアとしては、予想はしていたのだが、それ以上の言葉にできない酷い有様だった。
護衛の騎士二名を含めた三名分の魔法の防御結界を張っており、自分から離れてはいけないと説明し『却下』の呪文を詠唱。キノコの形の煙が晴れていった。