第160話 エノラ・ゲイ
レイゾーが加護を受ける火の精霊火蜥蜴のガラモーンは、良い働きをした。火の精霊としては、魔人イーフリート、不死鳥フェニックスと、まだまだ上位の存在はあるのだが、それらの上位精霊に負けない大量の魔力、高熱の火力を持っていた。
何本もの火柱がゾンビの行く手を阻んでそそり立ち、進軍を遅らせた。融解し表面がガラス状になった土はゾンビの足をとり、避け切れず火柱に突っ込む列もある。
しかし、多勢に無勢。いかに強力な精霊といえど殲滅は無理というもの。ある程度の足止めは達成できたと判断。ガラモーンは火柱を定置網のように弧を描いて取り囲むよう設置し、レイゾーのもとへと還った。
進路の転進を余儀なくされたゾンビの軍団は、そのまま進めばミッドガーランドの主力部隊であるガウェインが率いる重歩兵と当たるはずだった。だが、大きく迂回して南寄りのライオネルの騎馬隊を中心に編成された機動部隊とぶつかる事になる。
そして、アンデッドの軍団が稼働し始めたのを確認した魔女シンディは、オーギュストとカミーユに、さらに地下墳墓の入口の守りを固めるようにと命じ、自らは出掛けて行った。
「あたしゃ外の様子を探りに行ってくる。実験施設を荒されたりしないように見張ってな。」
「おばば様、どちらへ?」
「敵が上陸した海岸だよ。前線で死体があれば、それもこちらの兵力にできるだろうが。お前たちにも兵を与えてやるから、待っておいで。」
オーギュストに飴を与えるような振りをしながら、シンディは領域渡りを使い、姿を消した。オーギュストがマナの流れを探知しても行先は分からない。それが、シンディとオーギュストの魔法使いとしての実力の差であった。
シンディには目的があった。敵情視察ではなく、魔法の実験だ。
ジャカランダからの軍が上陸を果たした海岸から西へ。磯の匂いが気にならなくなるくらいの内陸の少しだけ標高が高い、丘とも呼べないくらいの盛り土の上。ミッドガーランド軍の本陣。指揮と兵站の拠点である。
ハーロウィーンの影響で鬼火が大量に発生し小競り合いが起きているが、その中でも魔法使いや職人たちが協力しゴーレムを製造している。身の丈五メートルから十メートル級の土のゴーレムは、ララーシュタインの鋼鉄のゴーレムとは、まともに戦えない。だが、僅かでも戦力になる事と、この本陣からの物資を前線の部隊に届けるために必要不可欠だった。ゴーレムとしては小さな個体であっても動けるようになった物から、食糧や飲料水を背負って前線へと向かわせた。
「一番移動距離が長いのはライオネル卿の部隊だ。まずは、そちらの部隊を追ってゴーレムを向かわせろ。続いてガウェイン卿の本隊、ベネディア卿の順だ。
そして航空部隊は、上空からゴーレムを安全な経路に誘導する。余を含め、全騎出陣するぞ。」
「なにも殿下自らが動かなくとも。」
「いいや、臣民を守るのは王族の義務だ。本陣でふんぞり返っている場合ではない。それに余が動けば士気も上がるだろう。」
国防大臣で今回の遠征の大将であるゴードン王子と側近の近衛兵二名、三騎のグリフォンライダーが、ゴーレムの上空を先行して飛んでいった。ゴードンとしては、自分自身の眼で直接前線の戦況を確認しておきたい思いと、後方からの援護があるのだと兵に知らせたい気持ちがあった。グリフォンよりは数が多いペガサスライダーも交代しながら周囲の警戒に当たっている。
そのミッドガーランド軍の本陣から北西へ四キロほど離れた小高い丘の上に領域渡りで移動していたシンディは、風の魔法による千里眼、地獄耳の魔法を使い敵軍の動きを探った。ガウェインの本隊、ライオネルの騎馬隊の進路の間にある丘であり、ライオネル隊は、この丘を避けて進軍している。魔女シンディがこの丘に着いた時点で、ガウェイン、ライオネル、ベネディアの部隊とも、もっと北のバルナック城に近い地点にいたわけだが、シンディにとっては好都合だった。
シンディの狙いは後方部隊。ミッドガーランド軍遠征の本陣だった。ララーシュタインから古文書『火炎奇書』を譲り受けることを条件に、バルナック軍に協力することを約束したシンディだが、実はすでに火炎奇書は受け取っており、解読も完了していた。
そして、解読したからには、その太古の神々が使った魔法を試してみたい。とはいえ、どれほど強力なものなのか想像もつかず、バルナック城の近くで使うわけにはいかない。選んだ標的が、ミッドガーランド軍の本陣であった。
「古代の神々が戦をして、地上の大半を燃やしたという禁呪。実験するには絶好の機会よの。そして忌まわしいアーナム人どもを一斉に葬れる。信仰心などはないが、神々に感謝するよ。いや、ララーシュタインに、か? くふふふふふ。」
不敵に笑う魔女シンディだったが、ミッドガーランド軍の本陣から四キロも離れた丘の上、しかも低木の影である。すっかり油断していた。周囲を警戒して飛んでいたペガサスライダーの一騎がシンディを発見した。地上からも斥候たちが四方を取り囲んだ。
「いかんね。舞い上がっちまったよ。」
斥候の一人が背後から弓で狙ったが、シンディの防御結界が矢を弾いた。小剣を持った別の斥候が飛び掛かってきたが、氷の矢を放つインスタント呪文で返り討ちにし、地面にボコボコと穴を開けて地中から現れたアンデッドが残りの斥候たちも皆殺しにした。
「くそう、死人使いめえ!」
一人の斥候が懐から厚紙の筒を取り出し、ポキンと折ると赤い煙が立ち上った。アンデッドが後ろから首根っこを掴み絞め殺したが、本陣に向けて信号の狼煙を送られた。気付けば上空からシンディを見つけたペガサスライダーも本陣へ向かって飛んでいく。
「ふん、仕方ない。少し急ぐかね。」
魔女シンディは目を閉じて集中力を高め、五芒星が上下に重なった立体魔法陣を作り出した。シンディの足下にあったその魔法陣は、無音で浮かび上がるとサッと飛んでいき、ミッドガーランド軍の本陣の上空に留まった。それから出来上がったときには直径三メートル程しかなかったものが、大きく広がり十倍ほどに。シンディはこれでもかと大きな声を出し、アース神族の火の呪文を詠唱する。
「心に掛けるのも畏れ多いアースガルズにおわす神々に申し上げ奉る。大神のお怒り、激情と導きにより、信仰厚い民を助け、欲得に溺れ脅威となる異教徒へ罰と戒めを与え給う。エノラ・ゲイ!!」
ミッドガーランド軍の本陣上空六百メートルほどの高さ。魔法陣が爆ぜた。目を開けていられない眩しい光と強い爆風が押し寄せる。




