第142話 迷いの森
オリヴィアは毎日午後からはマチコの様子を診に通ってくる。まめな性格だ。マチコが欠伸をしながらオリヴィアに尋ねる。
「なんだか眠いのよね。おなかの子の分まで寝ないといけないわけぇ?」
「もうちょっと頑張れば安定期に入るから、そんなに眠くもなくなると思うわ。今のうちは、しっかり休んで。お仲間がいるんだから、めんどうな事は任せちゃえばいいのよ。」
「そうですよ~。姐さん。たまにはあたしたちに甘えてよ。」
「はい。それじゃあ、次はクッキー君ねー。」
オリヴィアは居間のソファーの上で魚河岸のマグロみたいに転がっている俺のところへ来ると質問した。クララもオリヴィアの後ろを付いてきている。
「さて、クッキー君。マリアちゃんから、魔法使いが魔力を上げるためには瞑想するのが良いって教わってるわよね?」
「ああ、はい。ここんとこ、ちょっとサボり気味なんですけど。」
「それね、続けなさい。瞑想はね、魔法使いの修行だけじゃないのよ。」
「お坊さんの精神修行ですか?」
「? それは良く分からないけど。今のクッキー君には必要なものなのよ。マリアちゃんにも教え直してるわ。」
オリヴィアは俺の膝を軽くたたいてソファーに座るように促した。
「いい?床に座るなら胡坐で。椅子ならば背もたれを使わないように。掌を下に向けて、手はひざの上に置いてリラックス。目線は二メートルくらい先の床を見て。凝視しないでね。目を閉じてもいいわ。それから呼吸を意識して。呼吸だけを意識する。」
オリヴィアの言う通りにしていくと呼吸が深くなる。普段よりも酸素を多く取り込んでいる気がする。
「あー、なんだか了ちゃん気持ち良さそう。」
「クララちゃん、これから毎日クッキー君にこれをやらせてくれる?短い時間でもいいわよ。初めはね。少しづつ時間を伸ばしていって、一時間くらいできるようになるといいわね。」
後で説明されたが、魔法を使うためのエネルギーは二つある。『マナ』と『魔力』。マナは土地から生み出され、空気中に漂っている。自動車に例えればガソリン。精霊魔術であれば、契約精霊がマナを肩代わりしてくれるので、マナがない場所でも使用可能な事もある。一方の魔力は、車ならばバッテリーの電気であり、魔法を使う術者自身が持っていなければならない。
その魔力を生み出す生物の器官は自律神経であるらしい。黒魔術など攻撃魔法を使えば交感神経が刺激され、精神は興奮状態、躁となる。車のアクセルペダルだ。心拍数が早く、血圧は上がり、発汗を促進、臓器の働きが良くなる。
そして、白魔術などの防御回復などの魔法は副交感神経が刺激される。副交感神経は、交感神経とは相反する動きをし、血圧を下げ、筋肉を弛緩させる。
この交感神経と副交感神経を纏めて自律神経と呼ぶが、このバランスが大事で、最も上手くバランスを取って魔法に活かせるのが、賢者という職能なのだそうだ。なるほど。たしかにマリアの魔法は安定している。いや魔法だけじゃなく。いざという時に頼りにされるのも納得だ。
で、俺は、この自律神経のバランスを崩しているらしい。ユーロックスに来てから使い過ぎてギンギンの交感神経よりも副交感神経を優位にできるようにと。
これだけの診断、指導をすると、オリヴィアは探索者ギルドのマリアのもとへ。マリアに古代魔法を教えに。マリアは『対抗呪文』をものにし、練度を高めるための修練を積んでいた。これでオズマが火炎奇書の解読を終えれば、ララーシュタインかシンディが使おうとしているのかもしれない禁呪を防ぐ手立てを得られる。
それはそれとして、オリヴィアはマリアが魔導士として新しいことを憶え成長していくのが楽しかった。纏まりのない魔女の中で、オリヴィアとサリバンは珍しく気が合った。マリアは、そのサリバンの教え子である。
そして、教え子の成長を喜ぶ騎士もいる。かつて、ラーンスロットはスコットの守役であり、ガウェインはゴードンの守役であったように、トリスタンはアランの守役である。
トリスタンは部下のパーシバルと共にアランに礼儀作法に騎士道精神から剣、弓、馬術と必要な知識、技術を教え、将来有望な若者になっている。ゴードンは君主という希少な職能を持つが、アランも同様に期待されている。
また、トリスタンが指導者として優れているのは、アランだけではなく養子養女としたレイチェルとジーンからも窺い知れる。この二人は生まれ持ったものもあるかもしれないが、トリスタンの下で急成長している。
エルフの空中都市アッパージェットシティで飛行船フェザーライトの修繕にあたるホリスターは不参加だが、あとの人員は、地上のドワーフの都市デズモンドロックシティにいた。
南側には大きな湖があるが、これはもともと露天鉱床だった。建材としての石材、様々な鉱石を掘り出した跡の大穴に水が溜まり湖となった。北側の山は今も鉱山として掘削しており、掘った穴は構築物の一部となり利用されている。鉱山がそのまま城となっているということだ。
そして西側には大きな森。『迷いの森』と呼ばれる混沌の迷宮。その中にエルフ、ダークエルフの国がある。
ただ、今回目指すのはエルフの国ではない。エルフの国同様、迷いの森に隠れるように棲む妖精たちに会うために森に入る。
急造の六人のパーティは前衛に槍のパーシバル、魔法も使える騎士アラン、光の加護持ちジーン。後衛にリーダーとして狙撃手トリスタン。魔導士メイ。回復役のレイチェル。急造の割りにはバランスの良いパーティではあるが、一つ残念なのは、斥候がいない。
「パーシバル、戦闘時のパーティの指揮を頼む。私が斥候として先行しよう。」
「いいえ。トリスタン卿。餅は餅屋ですよ。森の中ならば、ダークエルフの私が斥候をやりますから。」
トリスタンとメイで、どちらが先行するか話していると、目の前の高い樹がガサガサと揺れた。緑色の鞭のような物が閃くと細い木をなぎ倒す。高さ六メートルほどの食人植物だった。熱帯植物の板根のような三本の脚で歩いて進んで来る。
レイチェルがボウガンを撃つと三日月のような白羽が飛び、株の上部を斬り落とす。椿の花が散るように大きな花が首からポトリと地に堕ちた。花粉だろうか、毒々しい黄色の粉が舞う。
粉を避けるように蛇行して進んだパーシバルが幹に槍を突き刺すと、両脇からアランとジーンが飛び出し、ブロードソードで板根をなで斬りにして、トリフィドは後ろへ倒れた。
「あのう、父上。戦闘はこの六人で良いと思います。斥候には、適役が他にいますから。」
「他に?」
「はい。ジーン、お願い出来る?」
「うん。ほら、出番だよ、マメゾウ。」
レイチェルが進言し、ジーンが呼び出すと光を象徴するホタル型の精霊、マメゾウが草木を掻き分けるように現れた。行先に危険や異変があれば強い光を放って知らせるし、他の精霊たちの気配を探せると云う。またレイチェルが契約するチョウ型の水の精霊アゲハも後方を警戒させれば役に立てるとのことだ。
「では、それで進もうか。目的は狩りではなく精霊たちを探すことだから、それは忘れないように。余計な戦闘は避けよう。」
しばらく進むと鈍く低いが大きな音、というよりも揺れがあった。聞き覚えのあるような低周波。
地響きの方角へ視線を向けると大きな金属の柱。見上げるとメタルゴーレムだった。単眼巨人のような大きな一つ目がギョロリと睨んだ。
「しまった、見つけられた。上からだからな。戦闘は避けられないか。散開しろ!各自攻撃。額に狙いを集中するんだ。」
トリスタンの指揮で、それぞれが幹の太い樹木を盾にしながらジグザグに走り回り、頭を狙い攻撃する。しかし、パーシバルは魔法が使えない。他のメンバーが弓や魔法で攻撃する間に槍を陸上競技の棒高跳びの棒のように使い、幹や枝の太い樹の上に登り、木になっていた赤い果実に矢を刺した。槍を幹に刺して手を空け、半弓を構えると、一つ目を目指して果実付きの矢を放つ。矢は刺さらないが、赤い実は潰れゴーレムの視界を妨げた。
トリスタン、アラン、ジーン、メイが一斉に魔法攻撃。額のemethの文字が消え、ゴーレムは動きを止め、魔法攻撃の煽りで仰向けに倒れた。