第133話 産婆
午後になるとサキは、クアールを召喚。マチコと俺に休んでいるように、クララに二人の面倒をみろと言って出かけて行った。行先はホリスターの工房だ。
サキは、何故クアールを召喚したのか?自分の留守中に何かあれば、俺達三人を助けるようにと命じていたのだが。何かあれば、とは?まあ、いいか。
「了ちゃんは、二階で寝てて。マチコ姐さんは、書斎のソファーで休んでて。あたしも出掛けるけど、すぐに戻って来るわね。」
クララがそう言うとクアールの肩から伸びた触手が俺を捕まえて持ち上げ、黒豹のような大きな身体が階段を上がっていく。見た目よりも温和な生き物だというのは分かっているし、なによりも面倒なので、されるがままにしておいたが、俺がベッドに横になった後もずっと俺の傍を離れない。それどころか、ベッドの端に顎を乗せてこちらを見ている。馬鹿でかい猫のようだ。身体が怠いといっても眠れるわけでもなく、目だけ閉じダラダラとベッドの上に転がっていたのだが、なんとなくクアールがいるのが嬉しかった。
ホリスターたちドワーフの工房では大騒ぎだった。サキがタロスを召喚すると腹に穴が開いている。ミスリル製のボディに穴が開くなど考えられない事態だった。
「おいおい、サキ。こりゃあ、いったい何があったんだ?」
「人馬型のゴーレムが衝き槍を持っていた。タロスの反応からすると希少金属かもしれん。」
「そういう事か。それだと、これから先、厳しくなるな。」
「ああ、面倒掛けてすまないな。」
「まかせておけ。フェザーライトよりずっと簡単だ。」
ホリスターの言葉のとおり、フェザーライトの方が重大なダメージを受けていた。舷側が破れ大穴が開き、洋上船ならば浸水して沈没だろう。
フェザーライトはエルフの技術で造られた空中船。船体はエルフの住む森の針葉樹の木材だ。ドワーフたちは金属加工のエキスパートだが、木工にはまた別の技術が要る。
木目による反りや節の有無など、金属にはない特徴があるため、セントアイブスにいる船大工や木工の職人に声を掛けている。グローブで林業をやっていたタムラがいれば心強い存在になっただろうに。オズワルド兄弟も心配なようだ。
「まあ、まったく元通りってわけにはいかないがな。俺達だって木工が出来ないわけじゃない。木材の入手の問題はあるが、複合素材でなんとかしてやるさ。いや、もっと良い物にするぜ。」
ホリスターは豪快に笑っている。一抹の不安はあるが、任せるしかない。今は次の作戦に備えることだ。
クララは、病院や避難所として使われている旧領主の城へ来ていた。難民や負傷した兵士、騎士でごった返していたが、クララはなんとか目的の人材を見つけ、家へ連れ帰った。熟年の女性である。クラブハウスに住んでいたが、戦場となってしまったためにセントアイブスへ避難してきたのだった。
「ただいまー。マチコ姐さーん。お産婆さん、連れてきましたよー。」
勢いよくドアを開けて帰宅したクララは、産婆の手を引っ張ってドタバタとマチコを休ませている一階の書斎の部屋へ入って行った。この騒ぎにマチコはキョトンとしていたが、クララの行為自体は嬉しかった。
「こんにちは。クラブハウスの港町通りで産婆をやっているオリヴィアです。ご機嫌はいかが?」
「あ。こんにちは。マチコです。冒険者をやってます。」
「冒険者なのね。無理に身体動かしたりしてない?」
オリヴィアと名乗る産婆は早速診察を始め、三人で世間話をしながら、あっという間に終わらせた。産婆として腕がいいのだろう。
「おめでとう。わたしも嬉しいわ。最近は、この戦争で看護、介護の仕事ばかりしていたのよ。やっと本業の産婆の仕事ができるわ。たいへんな状況だけど、一緒に頑張りましょうね。」
「いいお産婆さんで良かったですねー。姐さーん。」
「こうして手伝ってくれるお仲間もいるから安心よね。」
「そうよ~。明日マリアさんにも伝えて来るから~。」
マリアの名前を聴いて、オリヴィアの眉がかすかに動いた。
「お仲間がたくさんいらっしゃって、ますます安心だわ。」
「了ちゃんを起こさないと。でも、まずサキに知らせないとね。」
俺は頭がボーっとしたまま、一階でなにがあったのかも知らずベッドの上で過ごしていた。いつの間にやらクアールがベッドの上にいて、俺の脚を枕にして寝ていた。ますます猫っぽいぞ。ペットか。ちと重いな。そして俺が寝てしまうとサキが帰ってきたらしい。
オリヴィアは、素敵な夫婦ね、と褒めながら、マチコの妊娠をサキに伝え祝福の言葉を述べる。サキは驚くが、それと同時にとても喜んだ。サキのガッツポーズというレアなものが見られたそうだ。
「マチコ、ありがとう。大事にしなければな。」
そして、夕食前に起こされた俺はサキと一緒に、二階の真ん中の部屋、クララの姉の部屋のベッドと一階の書斎のソファーを入れ替えた。マチコに階段の上り下りをさせたくないからだ。これから暫くは、マチコは一階で寝起きする。まあ、とてもめでたい事なので、荷物運びを面倒な労働とは、まったく思わなかったが。というより、楽しくやった。クアールも懐いてくるし。俺が調子悪いのを気遣ってくれるのか。ちょっと明るい話題が続く。少しだけ気持ちが前向きになった。
ジャカランダの王城の騎士団の庁舎の地下には牢があり、先代のアルトリウス王の頃からミッドガーランド王国に仕える古参の騎士ダゴネット伯爵が幽閉された。ベネディア卿がクラブハウス奪還作戦中にダゴネットの不自然な動きを見つけたためだ。作戦の戦後処理、奪還したクラブハウスの復興、地雷処理に追われる中ではあるが、敵前逃亡とスパイの容疑のかかった者を放っておくわけにもいかなかった。
トリスタンとパーシバルとしては、やっと一人捕まった、という思いだった。これで一網打尽というわけではない。他にも間者はどれくらいの人数がいるのか分からない。ダゴネットを捕らえたベネディアでさえ、敵になる可能性を考えなければならない。ダゴネットは切り捨てられたのではないか、とさえ思える。
ただ、ベネディアのダゴネットに対する事情聴取は容赦がなかった。それさえも演技なのかもしれないが、魔法兵団から黒魔導士を呼び出して精神魔法での自白を促す行為などは、本気でダゴネットに怒りの感情を持っているのだと思わせるに十分だった。
そして、自白剤とされるメスカリンなどの植物系アルカロイドの薬品の使用や、睡眠をとらせない拷問など、様々な方法でダゴネットから情報を引き出そうとしたが、成果はなかった。鋼の忍耐力だ。
これにはベネディアだけでなく、ライオネル伯爵も感嘆し、聴取はあきらめ、内務大臣のジョン、外務大臣のバージルらとの間でダゴネットの処遇についての協議へとうつっていった。