欲望の末路
カメラの明かりを頼りに、撮影者は廃墟の町を走った。
握る録画装置が嫌に重く、うっかり落とさぬよう、手首に巻き付け固定した機械が煩わしい。既に痺れと疲労を訴える体は、けれどカメラを投げ捨てる事も出来ない。この撮影機材のライトは貴重な光源だ。
それに……大変癪に障る事だが、この機材に収められた衝撃映像は価値がある。化け物の実在を記録したデータは、間違いなく様々な方面に使える。この金の卵を手放す選択肢は、もう撮影者の頭になかった。仲間を犠牲も仕方ない事。生き残りをかけて、あの化け物とのかくれんぼを終わらせよう。
(アイツはどこだ?)
古臭い町並みをライトが照らし、照らした先を瞳で見つめる。レンズが記録する映像の中に――ボロボロの布切れに包まれた、足首がはっきりと映った。
慌てて足音とライトを消し、風化の酷い店内に逃げ込む。レジの後ろへ回り込み、身を縮こめて声を殺した。空いた手で口元を塞ぎ、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
心臓が早鐘を打ち、抑えたはずの呼吸音が指の隙間から漏れた。
かつり……かつり……
石の床を踏む音が近づく。
鬼はボロボロの体の割に、足を動かすペースは速い。
かつり……かつり……きぃぃっ……
足音に交じり、耳障りな金属擦れの音がする。
多分、手にした刃物の音だろう。仲間の腹を裂き、血を吸った刃物の。
どこだ……金はどこだ……
囁く声は虚ろで、欲望だけを口から吐く。ありもしない幻想と金を求め、亡者は生き物を探している。
ふーっ……ふーっ……
口を押えた指の隙間から呼吸音がする。
抑えている。聞こえている筈がない。胸の内で言い聞かせても、恐怖と心音が耳に響く。焦れば焦るほど荒くなる呼気に、静かにしろと自分に命じた。
ふーっ……ふーっ……
言う事を聞かない体。歯と顎が小刻みに震える。早くどっかに行け。見つけないでくれ。念じても念じても、気配は遠ざかる事はない。
かつり。
足音が、止まった。
近づくことも、遠ざかる事もなく、亡者の足が止まった。
見つかった? 真っ先に浮かぶ最悪の想像。黒い瞳が開き、ますます荒くなる心臓。際限なく膨れ上がる恐怖と心音で、今にも壊れてしまいそうだ。
見開いた双眼から涙が流れ、死にたくないと叫びたい。張り裂けそうな胸を刺激するのは、激しく響いた足音だった。
半分意識が飛び、迫る死を覚悟するも……音が徐々に遠ざかるのを感じる。
理由も次の行動も考えられず、腰を抜かし撮影者はへたりこんだ。
***
見られた。見られてしまった。なんで好奇心を出してしまったのか、迂闊な自分に腹が立つ。
犠牲が出るまで相手を放置し、カメラマンより先に逃走した男。彼は化け物をより良く知り、投稿用の動画のネタとして集めようとした。カメラ本体の回収する必要もある。一度は恐怖に駆られて逃げたものの、今度は欲を出して見つかってしまった。
かつ、かつ、かつかつ、かつかつかつ!!
返り血に濡れた化け物が、早歩きで距離を詰めて来る。ギラリと闇に光る刃を手に、腹を裂こうと迫ってきた。
が、発見された男は怯まない。こんなこともあろうかと、護身用のスタンガンを取り出した。人通りの少ない道を通る以上、身を守る武器はたしなみだ。真っ暗な闇に電撃が走り、突っ込んでくる化け物の首筋に直撃させた。
小さな雷が弾け、がくがくと人型が痙攣する。スタンガンを直撃した殺人鬼が、握った刃物を取り落とした。男はボロボロの刃物を拾って、痺れて動けないソイツを腹を裂いてやる。激しく血を噴き出して倒れ、びくびく震えて虚ろな目が男を見た。
「へ、へへへ……ざまぁ見やがれ」
激しく鼓動する心音は、恐怖からか興奮か。荒く呼吸する男は、ちらりと周辺に目を向けた。すると、ボロボロの店の奥からライトが灯り、男は仲間の姿に手を振った。
「お、お前……」
「よぅ! ぶっ殺してやったぜ」
カメラマンは微妙に距離を取る。恐ろしい化け物、人殺しの怪物とはいえ、殺してしまって良かったのか? 目線を察したのか「正当防衛だ」と胸を張った。
「やらなきゃ、俺たちが殺されてた。仕方なかったんだよ」
「……」
カメラマンは不快に眉を歪める。それを使えば、仲間の女は死なずに済んだのではないか? 湧いた疑問を口にする前に……驚愕の映像が映りこんだ。
恐怖で脳が酸欠を訴える。ぱくぱくと金魚のように口が蠢く。絶望に染まった顔を眺めた男は、湿り滴る液体と、体を引きずる肉体の音を聞いた。
恐る恐る背面へ振り向く。
刃で空いた穴から血を零し
壊れたような笑いを口から溢れさせ
反撃のスタンガンに目もくれず
化け物は顔へ手を伸ばして、男の顔を握りつぶしてくる。
致命傷を負った筈の化け物は、傷を意に介さぬ様子で喜悦の声を上げた。
「お前か? お前の腹に金があるのか……?」
「んんっ!? な、な、な……!?」
金への執着が、死さえも跳ねのけたと言うのか。いつの間にか拾い上げた刃物で、化け物はニヤリと笑って――
ごりっ……
ごりっ……
骨が軋む音。ねじ切れる内臓。妄想に取り付かれた怪物が、現実に生きる一人の腹を開いてまさぐる。金切り声を虚空に吐いて消えていく仲間の命。震える手でカメラを回す男は、化け物の背中に言葉をぶつける。
「あ、あ、アンタ。自分が何やってるかわかってんのか? 腹に金なんて詰まってる訳……」
かけた声は虚空に消える。
語りかけても聞いちゃいない。
一度黄金を手にした経験に引きずられ
失態を受け入れられず、現実を受け止める事もない。
妄執が生命の法則さえ捻じ曲げた
――いっそこの男には、何も与えない方が良かったのかもしれない。
「……」
失望の後、次の相手に濁った眼差しを向ける怪物。
妄想と欲と執念に濁った瞳に、死んだ仲間の顔が映る。
……やっとわかった。
自分も
この怪物も
死んでいる男も
金でも名声でも、欲に取り付かれた人間に理性は働かない。
……話し合いや説得が通じないと、見るからに危険な相手だと、一目でわかるじゃないか。
欲に駆られて目が眩み、足を止めてカメラを回した時点で
目の前のコイツと、自分たちに差など無かったのだろう。
醜悪に口を開けて刃物を振りかざす化け物から
逃げても、隠れても、悟っても手遅れだ。
対岸の火事を眺める暇があるのなら
備えるなり、最初にいた彼女のように、逃げるなりすれば良かったのだ。
近くで野次馬をしてるから
燃え移ってのたうち回る。
……火は燃えてからでは遅すぎるのに。
あるいはこれは、お似合いの末路なのだろうか。
投げ出されたカメラレンズに映る、男の腹は裂かれていた。
怖くなってすぐ逃げ出した私は、真っ先に警察へ駆け込みました。
一緒にいた撮影仲間は行方不明とだけ報道され、今も事件は迷宮入りです。
……警察の人は私の話を、とても真剣に聞いてくれていたと思います。でも一人死んだのに『殺人事件』ではなく、三人とも行方不明と扱われています。
……裏切られたとは思いません。多分本当の事を、知っているんだと思います。