諦めないで良かった
「そうですか」
『ええ、これであの女は近づかないと思うわよ、安心して』
「ありがとうございます山口さん」
『どういたしまして、それじゃ切るわね』
通話が終わり電子音が鳴る。
ようやく山口さんの話が終わった。
世話好きなのは良いけど、彼女の話は少し長い。
でも邪険には出来ない、離れていても彼女の情報網は侮れないからだ。
この先、女がまた来襲する可能性を考えたら、隣町のここが絶対安全とは言えない。
「やれやれ」
受話器を置いて背伸びをする。
やはり1時間近くの会話は疲れるもの。
殆ど向こうが喋っていたけど。
「終わった?」
「ええ」
後ろで私の電話が終わるのを待っていた1人の女性。
彼女の名は石井沙織、私の幼馴染みで親友。
そして私の恋人の妹でもある。
「あのオバサン長話好きだもんね」
「こら!
山口さんが居たから雄一さんを助ける事できたんでしょ」
「そうだった」
余り反省してないな。
沙織は単なる噂好きの主婦と思っているが、マンションの生活では彼女の様なコネクションを持つ人は貴重な存在だ。
私の実家もマンション暮らしだったから身に沁みて分かっていた。
「味方になってくれたもんね」
「そうね、あの女が外出する頻度まで教えてくれたし」
山口さんの情報で女が家を空ける時間から日にちまで分かった。
お陰で浮気調査はかなり容易かったそうだ。
「兄さんもおかしいって思ったら早く私達に言ってくれたら良かったのに」
「女を信じてたみたいだから」
「嘘!
分かってて目を背けてただけだよ。
全く、兄さんは昔から女を見る目が無いんだから」
沙織は不満げな態度でテーブルに用意されていたお茶に手を伸ばす。
私も飲みかけだったほうじ茶を...
「淹れ直すよ」
「ありがとう」
すっかり冷めていたお茶を捨て、新しく淹れ直してくれる沙織。
彼女は私と雄一さんの新居へ毎日の様に顔を出し、引っ越したばかりの頃は荷物の整理を手伝って貰って本当に助かった。
でも1年近くなるのに合鍵を返してくれない。
「やっとだね」
「うん、今夜よ」
やっと雄一さんは出張から戻って来る。
今回は1ヶ月間の出張だったから本当に嬉しい。
「早く兄さん本社勤務にならないかな」
「そうね、会社には配属の変更をお願いしたそうよ」
「そうなったら私毎日顔を出すのに」
「沙織、あんたね」
今でも数日おきに来てるじゃないか。
で、雄一さんが戻ったら毎日だって?
私の新婚生活をこれ以上どうしたいの!?
...入籍はまだだけど。
「本当に良かった」
「...沙織」
「結子、貴女が兄さんの奥さんになってくれて本当に良かった。
昔から兄さんが大好きだったもんね」
「うん」
私まで涙ぐんでしまう。
沙織と私は雄一さんと8歳も年下。
私まで妹扱いで、恋愛対象として見てくれなかった。
私はずっと好きだったのに。
告白だってしたよ?
小学生の頃から雄一さんが結婚する直前まで。
お陰で私はずっと恋人が居た事が無かった。
「あの女がバカで良かったね」
「良かったって...」
とんでもない事を言うね、女の不倫で雄一さんはどれだけ傷ついたか。
「でも女の親はまともだったのに、どうしてあんなバカが生まれたんだろ?」
「さあ?」
そんな事分かる訳ない。
計算高く合コンで雄一さんを奪って(私と付き合ってた訳じゃないが)おきながら、アッサリ一年後に元彼と浮気。
しかも3年に渡る不倫生活。
理解不能だ。
「兄さんの独身時代の貯金まで折半して寄越せって、本当バカだったね」
「それは...男の入れ知恵だったそうよ」
「男?あのクズバカの事?」
「うん」
クズバカとは大層な言われ様だな。
でも沙織の気持ちも分かるよ。
離婚調停が不調に終わり、離婚裁判となった雄一さん。
調停員がいくら説得しても女は納得しなかった。
『もう私には何も無いのよ!
雄一さん、貴方には情けって無いの?
私に愛は無いの?』
そう叫んだそうだが、アホかって話だ。
既に貯金の使い込みだけで財産分与はマイナスだったそうなのに、なぜ更に盗人に追い銭を?
それに不倫した当人が愛は無いのか聞くのもかなりだ。
裁判所の人達もさぞ困った事だろう。
「あいつ、裁判所の外で待ってたんだ。
兄さんを待っていた私を見て、いきなりナンパだよ?
頭オカしいって」
「そうらしいわね」
女を餌にするしか生活出来ない男。
私は男を見る事は無かったが、碌な最後しか迎えられないだろう。
「あの女も見る目が無かったのね」
「無さすぎだよ、宝石と犬のウンコを間違うくらい」
沙織の怒りは収まらない。
まあ、最初に会った時から胡散臭いと感じていたらしいが。
「結子、落ち込んだもんね」
「そうね」
いきなり雄一さんが結婚すると聞かされた時は落ち込んだ。
長く大学を休んで、沙織が居なかったら留年、いや中退していたかもしれない。
「早く籍入れなよ、結子なら大歓迎だよ。
もちろん私の両親もね」
「ありがとう」
笑顔の沙織。
本当にブラコンだね。
親友の私じゃなかったら雄一さんの再婚は難しかったんじゃないかな。
「次は沙織だね」
「...彼氏いないもん」
落ち込んでしまった。
心配だ、本当に入り浸るつもりか?
「でも結子をなんて呼べば良いの?
義姉さん?いや結子さんかな?」
「好きに呼べば?」
「じゃ結子で」
「はいはい」
他愛ない会話。
こんな幸せが来るなんて。
諦めないで良かった。
雄一さんを支えて良かった、もう絶対に離さないからね。
「どうしたの?」
「ううん、早く雄一さん帰って来ないかなって」
「そうだね!」
沙織も嬉しそう。
雄一さん早く帰って来て、話があるんだ。
まだ沙織に内緒の大切な話。
『貴方の子供がここに居るのよ』
お腹をソッと触った。