第四話 再会
この小説には、気分を害するような表現があります。閲覧時ご注意ください。
「クロ?
どうしたの、そんなに震えて」
僕が何となく部屋の隅に目をやると、人の姿をとったクロがかたかたと震えていた。
それは、純粋な恐怖から来るもの。
僕はまるで見当がつかなかった。
だって、彼がこんなに震えることなんて、今まで一度も無かった。
泣いたことはあったけど。
そこで僕はやっと異変に気付く。
部屋に必ずいる筈の魂が、一つも居ない。
消えたとしたら、薄い霧のようなものが消えたところに暫く漂っているから、消えた、という線は無い。
僕と同じ奴に消されでもしなければ。
……嫌な感じがする。
僕以外の『何か』が、この建物内に居る。
人じゃ無いことは、確かだ。
人ではこんな嫌な感じはしない。
霊媒師や霊能力者は、肌にちりちりとした僅かな痛みを感じるだけだから。
強い力を持っていたとしても、クロが怯えることなんか無い。
では、何がいる?
僕はそこまで考え、そしてそれを中断した。
足音が聞こえる。
それに混じって、何かの話し声。
それらは僕が今居る教室の前でぴたりと止まった。
呼吸の音すらも、この場では煩く思えた。
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それは入ってこない。否、入ってこれない。
僕がそういう風に仕掛けたから。
木の戸はがたがたと揺らされている。
「…………」
何も言わない。
それは僕も向こうにいる何かも同じこと。
でも、クロは相変わらず部屋の隅で怯えて居るし、小さな話し声も聞こえてくる。
一体どうしろって言うんだ。
僕はそう思いながら、不自然に疼き出した胸の古傷を服の上から押さえた。
その時、がたがたっ、と戸が大きく揺れた。
どうやら無理矢理入ってこようとしてるみたいだ。
「ひ、ぃ……っ」
クロが小さな悲鳴を上げ、耳を手で覆う。
そんなに怖い『何か』がこの戸の向こうに居るのか。
僕がそんなことを考えている時も、戸はがたがたと揺らされていた。
「……ちっ」
聞こえたのは舌打ち。
なかなか開かないことに苛立ち始めたんだろう。
「クロ」
僕は小さな声で彼を呼んだ。
「逃げるよ」
続けて言う。
クロは震えながらそれに小さく頷く。
僕はなるべく足音を立てないようにクロのところへ歩いて行った。
でも、逃げる、ということは出来なくなってしまった。
僕がクロのところについた途端、大きな音を立て、戸が吹っ飛んだからだ。
「っ……!!」
恐怖が最高潮に達したらしいクロは、声にならない声をあげ、床に倒れる。
「はぁ、俺ってば嫌われてんだな」
砂ぼこりが舞う中、戸を吹っ飛ばした本人が声を出す。
その人影の後ろからは魂がわらわらと溢れるように姿を現した。
話し声の正体はきっとこいつらだろう。
「っげほ」
その人影はわざとらしく咳をして、砂ぼこりから姿を現す。
「よ、少年」
馴れ馴れしく僕に声をかけたのはフードを着ている男。
「早速だが死んでくれ」
出会ったばかりでこんなことを言ってくるなんて、どれだけ自分を過信して居るんだろうか、と思ったけど、それを言う暇は無かった。
男がフードのポケットから取り出したのは、液体が入った瓶。
僕はそれを見て、瞬時に危険を感じ取った。
あれは、硫酸か?
間違いなく只の害の無い液体では無い。
もし僕の予測があっているとすれば、人がその液体を被ってしまえば、跡形も無く消えていってしまうだろう。
僕はいいけど、クロは実体がある。
被ってしまえば、何らかの影響を受けるだろう。
僕は倒れているクロを庇うような姿勢をとった。
それを見て、男がにや、と笑う。
「少年の推測は当たりだ。
ただ、それを自分の身を呈して庇ったということは、俺の推測じゃ少年は実体が無いな」
男はそういって、くつくつと笑う。
不気味な笑みだった。
ひとしきり笑った男は手にしている瓶の蓋を開け、中身を僕に、或いはクロに、かけた。
ばしゃん、と音がして、じゅっ、と何かが焼けたような音がした。
「ぃ……っ」
後ろでクロが小さな悲鳴をあげた。
僕はそれを聞いて、絶望する。
クロが悲鳴をあげた、ということは、瓶の中身は少なからずクロにかかってしまった、と言うこと。
男は瓶の中身を全部撒いたから、最悪の場合、クロは溶けて無くなってしまう。
「ぅぐ、っ」
そこまで考えて、僕は自分の身体に走った鋭い痛みに気付く。
「あ、ぁ」
クロが後ろで呻いている。
その間にも、男は笑みを絶さず、寧ろ深くなっているように思えた。
「合格」
男が呟く。
一体何が合格なんだ。
「お前らすごいよ、俺とスイじゃそこまで行かない」
男はローブの中から再び液体の入った瓶を取り出す。
そしてそれを僕にだけかけた。
冷たい。
でも、それと同時に、身体に走っていた痛みは消えていった。
「……?」
「あれ、俺ってばもしかして忘れられた?」
「はい……?」
一体何を言っているんだ?
僕にこんな知り合い居ただろうか。
「あ、マジで忘れられてる。
スイはどうだ?
覚えてるか?」
「スイ…………?」
クロが声をあげる。
まるで、何かを思い出した、という風に。
「スイが、いる、の…?」
「ん?
おう、いるぜ。
スイー、お呼びだぞー。」
男がそう言うと、教室の入り口から淡い水色をした髪の男が入ってきた。
「クロ」
その人物は確かにクロの名前を呼んだ。
そして、身体を起こしたばかりのクロに抱きついた。
すごい速さで。
「クロ、く、ろ……っ」
「ぇ、あぅ」
スイと呼ばれた人は、クロの名前を呼び、泣き出した。
クロは当然、困っている。
「よか、っ」
よかった、と言いたいらしい。
「鎌は鎌同士で再会を楽しむっつーことで。
よっす、アリス」
その男が紡いだ言葉は当に捨てた僕の名前。
「……どちら様ですか」
「先輩様です」
「……先輩?」
先輩、と言うと、僕が以前、一人の人間を殺した時にちらっと記憶の片隅に浮かんだ言葉だ。
「すいません、知らないです」
「マジかよ
でも流石にこれは覚えてるだろ」
そう言って、自称僕の先輩は、ローブのフードを取った。
そこから出てきたのは猫耳。
どうやら本物らしい、ぴょこぴょこと動いていた。
「……猫」
「チェシャ猫だよ」
「チェシャ、ち・ぇ・し・ゃ」
「相変わらず器用だな」
男は笑うと、僕の頭をわしゃわしゃと撫でた。
乱暴な手付き。
でもどうしてだか、落ち着けた。
「ま、ゆっくり思い出せ」
そう言って、また撫でた。
何でか知らないけど、涙が溢れて来て、初対面である筈のチェシャ猫に抱きついて泣いてしまった。
その間もチェシャ猫は僕の頭を撫で続けた。
僕は、涙が止まらなかった。
傍らでは困っていたクロが尚更困っていた。
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僕が思うに、クロはこの、チェシャ猫とスイを知っていて、記憶をここに堕ちた際にほぼ忘れてしまった僕に気を使い、言わなかったのでは、と思う。
クロがあんなに怯えたのは、いきなりチェシャ猫とスイがこの建物内に入って来たから、臆病なクロはどうすればいいか分からなくなって怯えたんだと思う。
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それからというもの、僕はチェシャ猫のことを先輩と呼び始めた。
というよりは、チェシャ猫がこの廃校に住み着いたから、どう呼べばいいのか分からないからそういう風に呼ぶようにした。
昔の関係を考えればそうせざるを得ないような気がして。
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でも、先輩とスイが住み着いたことによって、この廃校に新しい噂が増えてしまったのは、言うまでもない。