8話
「アスラーゼ。下がってなさい。」
「しかし!コイツは倒しておく必要が!」
「罠だ。あそこまでこちらの手札を見透かしている状態でこの状況。場合によっては、お前の術式に仕込まれている可能性もある。下がっていなさい。」
男魔族に強く言われ、渋々ながら男の後ろに下がる女魔族。男魔族の毒々しい魔力が練られていくのを感じ、俺とネリシアは一層警戒を強める。
ネリシアの方は既に火炎魔術の準備が整っている状態だ。俺の魔力量を鑑みるに男魔族は何とかなるが、女魔族は怪しいだろう。あとの判断はネリシアに任せたい。
「随分と舐めた真似をしてくれたね。」
「…短時間で手札を無理矢理曝け出されると、どうしても打てる手札は限られてくる。手札に何かしら仕込まれている可能性を考えれば、魔力量の勝負などという悠長な時間を与えることが、どう転ぶかわからない。一撃で、確実に決める必要が出てくるだろう?」
軽い応酬ではあるが、今の状態で魔族二人の側が、俺たちと魔力量での削り合いを出来ない理由はここだ。俺が魔族側の手札に何かしら罠を仕掛けたという感触から、魔族側は俺が仕込んだ罠でアドバンテージを奪われ、最悪そのまま一気に勝負を決められる可能性に勘付いた。
魔族側が優位に慢心し魔力量で押し潰す戦法を取れば、下手をすると相手の罠を誘発してしまう。魔族側は俺たちに罠を仕込む時間を与えないために、かつこれまでに仕込んだ罠の発動を許さないために、俺たちに見せたことのない手札で、即座に勝負を決める必要が出てきてしまった。
加えて先程までの魔術の応酬で、男魔族もある程度俺の魔術の力量を理解しているはず。残存魔力という意味では男魔族がどちらかと言えば優位にあるが、男魔族側は先程から強固な防御障壁を展開しており、魔力の消費が抑えられない。
一方こちらは魔力量の面では不利にあるが、相手の手札を一方的に制限できることを見せつけつつ、現時点で恒常的に魔力を消費して何かをする必要はない。今のままなら何もせずとも俺たちの方が一方的に優位な状態になる。
それを警戒して数瞬、男魔族の方はいくらか動いて魔術触媒を準備するそぶりを見せるが、俺が即座に動く素振りを見せるだけで、お互い動けなくなる。女魔族の方も手札を出そうとするも、男魔族に止められ、またネリシアに睨まれて動けなくなる。
そのまましばらく経った頃に、男魔族が口を開いた。
「お互い動けないな。また後日というのはどうだい?」
「…今の状況の方が、俺にとってはありがたいな。」
「なるほど。やはり消耗は狙ってるのか。」
「嫌なら障壁を解けばいい。苦しまずに終わるぞ。」
「それは困るが、何分こちらも優位を奪われたまま居るのが気持ち悪くてね。」
そういうと障壁を横に広く展開した後、魔力を足元に流し始める。
直後、無数の魔法陣が足元から立ち上り、目算だけで数百は優に超えるであろう、骸骨の群が俺たちの前に展開した。黒魔術、死兵召喚。当然女魔族の手駒ではない。一体一体にかなりの力が込められ、育て上げられているのが分かる。
間近に見えるだけで数百。だが、これらが先程の女魔族の操っていたゴブリンやコボルトのように、押し寄せる波のように突撃を繰り返されれば、二人程度の魔術師なら数分も持たず壊滅するであろう。
「悪いが、これで終わらせてもらうよ。広域の攻撃魔術をどれだけ撃てるかはわからないが、目前で無限に再生する、一万を超える大軍勢を、魔術師二人で削りきることはできないだろう?悪く思わないでくれ。」
男魔族はそう言い、まさに全軍に一歩踏み出させた瞬間、事態は動いた。
「そんな真正面から、お前に付き合う義理もない。」
俺の放ったそんな言葉と共に。男魔族の胴体を障壁ごと貫いたのは、剣。
刃渡りは十メートルを優に超え、剣身の幅は両手で抱えるほどもある巨大な剣が、男魔族の胴体を縦に半ば両断するように貫き、宙に縫い留めた。その剣は俺が展開した魔法陣から、まるで腕のように伸びている部分に握られている。
男魔族は己の体を貫く剣に触れるように手を伸ばしたが、体を中心から縦半分に引き裂かれ、首と腰で辛うじてつながっている状態では抗う術もなく、そのまま体から力が抜け、同時に周囲の骸骨の群も立ち消える。
いつしか魔法陣から伸びた腕は燃え広がるように展開範囲を広げ、俺とネリシアを胸部にかくまう、骨で出来た巨人の半身を模っている。巨人は無造作に剣を振るい、胴体を貫かれた男魔族の骸を放り捨てた。体を貫いた剣から放られ、転がった骸を目で追った女魔族を、同じ剣が逆袈裟に斬り捨てる。
「じゃあな。」
女魔族が絶命したのを、俺が見届けた数瞬後に巨人も立ち消えた。
結局、その夜は野宿となったらしい。
らしいというのは、女魔族を殺した瞬間俺が魔力切れで意識を失った結果、すべての魔法が即座に立ち消えたのだ。すぐそばにいたネリシアはというと、あまりに唐突な幕切れと事態の変化に全く動くことができず、我に返って必要になったのは意識を失った俺の介抱で、あたふたと動いている間に夜が明けてしまったとのことだった。
結局俺の魔力が回復して目を覚ましたのは夜が明けた後、だいぶ日が高くなってからで、一旦ネリシアに仮眠してもらう時間をとってから山を一通り雑に調べ、町に戻って報告を行ったのがつい先ほど。既に日が沈むまであと一時間もないだろう。今は諸々の準備を整えてもらっている間にネリシアに問い詰められている状態である。
「で、あの術式、何?」
「…俺の切り札。正式名は剣装。あまり公にしたくないから、喋るなよ。」
「何で隠してたの。」
「使い勝手も、燃費も悪いんだ。無理に使うと、すぐ倒れる。」
ただし報告書の中では、二人いた魔族は二人ともネリシアが倒したことになっている。ネリシアは事実を報告しようとしたが、表立っては呪い師の俺が魔族を倒したと言っても、さすがに信じてもらえない可能性が高い。ネリシアには悪いが無理矢理止め、今回の表立っての報酬は大半をネリシアが受け取る形になった。
そして俺の意向を通す代わりに、色々質問に答えると伝えたところなのだが。どうにも俺の奥の手が与える印象は度肝を抜くに余りあるものだったらしい。聞かれる内容は主に、アレがどの程度の魔術なのかということだ。
「…無理に使うと、って?」
「あの魔術、全力で展開して暴れようとすると、魔力全快の状態から全魔力つぎ込んでも三分くらいで魔力が尽きる。魔力供給手段があればもう少し行けるし、今回は展開規模を抑えたから何とかなったが、現実的な展開規模だと、戦闘能力を維持できるのは十分くらいだな。」
「…大体どれくらい攻撃力あるの?」
「わからん。性能確認した限りだと、結構お高い複合防御能力持ちの盾も、真正面から普通に貫いた。これ以上やろうとすると、王城とか魔王とかを相手にしないといけなくなる。」
「…戦略兵器レベルじゃない。」
「ある意味そうだが、使った直後は頻繁に魔力切れになるからな。実戦投入しても、危なっかしくて見てられん。」
そこまで聞くとネリシアは溜息を吐く。剣装は基本的に魔力供給をきちんと行う必要があるだけだから、剣装を安定して運用するだけなら一応手はあるのだが、準備にそこそこ時間が必要になる以上、緊急事態の対処という意味では使えないのだ。
魔力増強の魔道具などを大量に仕入れるにも元手とコネが必要で、そっちは時間をかけるしかない。歯がゆい所ではあるが仕方ないだろう。
そこである程度聞きたいことが終わったのだろう。今の体調や、今どのような仕事をしているのかという話をし始めたところで、部屋の扉をノックする音が響いた。
入ってきたのは先程報告の際に会った、町長である壮年の男性とギルド長、そしてなぜか、勇者殿だ。勇者殿が何の用があるのか、と訝しんだが、ひとまず話を聞くことにする。
「呪い師様、導師様。この度は、この町に迫った重大な危機から町の住民たちを救ってくださり、誠にありがとうございます。」
「私は公爵閣下の意向に応えただけです。魔人の討伐に関して、導師様への報酬の話が公爵閣下を通じて別途あるはず。そちらに誠意をもって対応していただきたい。」
「かしこまりました。ただ、これだけのことを成していただき、この町から表立って何もしないわけにもいきません。可能であれば、この町からもお礼として差し出したいものがありまして。」
「必要ないものに関しては受け取れませんが、ご理解いただきたいと思います。」
「えぇ、それはもちろん。ただ、私どもとしましては少し込み入った内容となってしまうのですが、何分当面物資の困窮が予想されておりまして。この町からの誠意の証といたしまして、こちらのヴィスト・ランを、導師様のお傍で役立たせていただ」
「要らないから帰って。ウル、もう終わりだよね。」
町長が報酬についての話を切り出したが、町長が話し終える前にネリシアがサックリと切り上げてしまった。町長もギルド長も勇者殿も、ネリシアのあまりに素早い決断に二の句が継げずにいる。
まぁこの町でネリシアへの報酬払おうとしたら足が出る分、誰か付き人として差し出すから減額を考慮してくれ、という内容だもんな。
…こういう事態を片付けるのも俺の役割ではあるけど、勇者殿を差し出そうとする辺り嫌な予感しかしないな。