第5話
「ルリミアーゼ殿下、それはいけませんよ。王宮で働く者をそのまま他国に引き抜くなどと言う、国を裏切るような行為の提案は受け入れられません。普通は裏切ることに抵抗を覚えて断る他なくなりますし、そのまま受け入れた場合でも、裏切りを平気で行う者、とのレッテルから逃れられなくなります。」
「そうですよね、つい気が逸ってしまいました。不躾な行いをしてしまって申し訳ありません。」
「いえいえ、手紙をやり取りするような仲ですからね。公に問題になることはしないと誓いましょう。皇国との関係が悪化するのは、デメリットしかないですから。」
「ありがとうございます、ウルタムス様。」
「お気になさらず。」
王城の応接間で行われている、ルリミアーゼ殿下の応対。突如王国を訪れた彼女は、俺を王国から引き抜こうとしてきた。しかし当然、いきなり所属する国を裏切れと言われてその誘いに乗るような輩が居る訳はない。
ただ、こういう交渉は王国と皇国との間など、友好関係にある相手とのやり取りではよくある話だ。相手側がある程度譲歩できるラインを見極めるために、まずは受け入れられないものでもいいから、要求を述べる。次に相手と条件をすり合わせる段階に移り、譲歩できるラインを見極めて取引を確定させるのだ。
自分のことを、相手側がきちんと信頼してくれているかどうか、と言うことをしっかり見極めた後でなければ使えない手法ではある。現にルリミアーゼ殿下の誘いの言葉を俺は即座に断り、またルリミアーゼ殿下はそれが不躾な行為であることを即座に詫びた。
これが友好的でない間柄の相手だと、相手の国の威信などといった影響力を無下にする行為と取られ、最悪その時点で宣戦布告が通達される、と言う事件になりかねない。国としては、政を取り仕切る役割を持つ貴族の要望は、可能な限り叶えた方が良いものなのだから、協力してくれない相手と友好的に付き合う意味はないということだ。
「ルリミアーゼ殿下は、こういう交渉の場を既にご経験で?」
「…えぇ。ですが、当初はその場に居合わせる程度でしたので、自身が交渉を担うのは今回が初めてです。すごく緊張しますね。慣れていらっしゃるウルタムス様が羨ましいです。」
「それは光栄です。ただ、私とて場数が少しだけ多い程度ですから、ルリミアーゼ殿下ほど優秀な方であれば、私程度すぐに手玉に取れますよ。」
「それは楽しみです。是非ウルタムス様を皇国にお迎えしなければ。」
「ははは。まぁ、私は王城に仕える者ですから、そう簡単に所属を変えるわけにはいきません。どうしてもとおっしゃるなら、少しずつ話を進めていただきたいですね。おそらく手紙のお返事と言う形となると思いますので、今回皇国までお帰りの際に、お手紙をお渡しする形となると思います。」
「それについてなのですが、私は今回の訪問の後、皇国に帰ろうとは考えていません。しばらくは王国に滞在し、そのまま王国の魔導学院へ編入、と言う形をとりたいと思います。」
ただ、こういう交渉は、最初の交渉で全てが完結したりはしない。最初の交渉は相手との信頼関係、要は自分に対して、相手が丁寧かつ真摯に応対してくれているかを確かめるための物だ。
相手に信頼してもらえていると判断できるのであれば、相手の要望を叶えつつそれに見合う条件の見極めやすり合わせが始まり、友好的でないということであれば、要望を取り下げつつも国同士の友好関係を保てるかどうかの確認に移る。
ルリミアーゼ殿下にとっても俺にとっても幸いなことに、少なくとも皇国が王国に敵意を持っている訳ではなく、純粋に友好の意味でルリミアーゼ殿下を遣わした、と言うことは分かった。殿下が直接と言うのは、それだけ今回の手紙の内容が重要であると相手に印象付けるためだろう。
しかし、今回ルリミアーゼ殿下が皇国に帰らない、と言うのはどういうことだろうか。よく平民が、結婚相手を見つけるまで帰ってこなくていい、と言う意味で自身の荷物ごと家の外に出されるという話は稀に耳にするのだが、仮にも皇族なのだから、まさかそういう話ではあるまい。
国と国との交渉なのだし、手紙でのやり取りを何回も行う必要があることを考えると、流石に最低でも今回は皇国に帰らないと、最低一年は王国に逗留することになる。
…あ、まさかそう言うことか?
「それは、今の状態のまま、王国との交渉を続けられる、と言うことでしょうか?ご要望に対する条件に関して、皇国とのやり取りが最低数回は必要になると考えているのですが。」
「はい。概ねその通りです。重要なことについてはお父様とお母様に確認していただく必要があると考えてはいますが、交渉に関する詳細な条件はこちらで詰められる程度には、許可を与えられております。…とはいえ、あまり出せる条件として過激なものだと難しいのですが。」
「なるほど。留学はそのための逗留期間としても機能する、という訳ですね。条件のすり合わせなどについては、殿下と直接交渉させていただく形でよろしいのでしょうか?」
「はい。よろしくお願いします。」
「かしこまりました。では細かい条件などの打ち合わせについては、王宮からの使者が殿下の下をお伺いする形を取らせていただきたいです。返事の手紙を使者に渡すか、私の下に届くようにしていただければ、と思います。学院の寮に入るのであれば、寮長や教員の方に連絡を付けていただければ、誰かしらに連絡できるように致します。」
「分かりました。…交渉のお相手を、ウルタムス様が務めていただけると、私としては安心できるのですが…難しいでしょうか?」
「それについては明言致しかねます。ただ、殿下の留学中、御用聞きとして傍に付ける人員に任じられる可能性があると、先日私に連絡がありましたので、場合によっては交渉の場に同席させていただくことになるかもしれません。ご不快でなければ、よろしくお願いしますね。」
「それは願ってもないことです。ぜひよろしくお願いします。」
つまり今回のルリミアーゼ殿下の突然の訪問は、皇国と言うよりもルリミアーゼ殿下の要望を、王国に聞いてもらいたいがために行われたものの可能性が高い。皇国としては、ルリミアーゼ殿下を援助することは許容しているものの、基本的にルリミアーゼ殿下の要望であるという形式をとると同時に、皇国が納得できるような内容になるまで、自身で直接交渉してまとめてみろ、と言う試練を殿下に与えたようなものだろう。
こうなると、殿下ご自身がどのような要望を考えているかによる。手紙こそ直接リディや国王陛下にお渡しする必要が出来ているが、これはルリミアーゼ殿下が本物であるかどうかの確認で、ほとんど形式を整えるだけのものだ。要望の詳細はリディに確認するか。
…殿下が出した最初の要望が、そのまま通らないことを祈るのみだ。
「ありがとうございます。それでは手紙は必ずお渡しいたしますね。」
「よろしくお願いします。ところで、ウルタムス様は本日、ご都合よろしいでしょうか?」
「都合をつけることは構いませんよ。いかがいたしました?」
「実は、先日お話させていただいてから、ずっと手紙でのやり取りばかりで、可能であればまたお話をさせていただきたいと思っていまして。」
「そう言うことでしたか。それでしたら、少しお時間を頂ければ、ぴったりの場をご用意できますよ。」
「ぴったりの場、ですか?」
「えぇ。本日クロークス公爵がご令嬢の誕生パーティを開いてくださるのですよ。光栄なことながら、私の元へも招待状が届いていますので、殿下にもその会に参加していただければ、お話させていただく機会ができると思います。」
「パーティ、ですか。いきなりの訪問になってしまう関係で、ご迷惑になりませんか?」
「クロークス公爵は、そんなに狭量な方ではないですよ。皇国の皇女殿下から祝っていただけるなど滅多にない事ですし、ご令嬢も喜んでくださると思いますよ?」
「それでは、喜んで。」
「かしこまりました。それでは手紙をしたためて参りますので、少々お待ちください。」
ルリミアーゼ殿下にそう言い残して俺が部屋を出ると、部屋の外に控えていた二人の小間使いの内一人がこちらに確認の問いを投げかけて来る。
片方はルリミアーゼ殿下側から要望があった時のために付ける必要があるとして、もう片方には伝令代わりに走ってもらおうか。そう考えると用件を告げる。
「呪い師様、いかがなさいましたか?」
「悪いが大至急、ルリミアーゼ殿下が持参した手紙と、これから俺が書く手紙を届けてもらいたい。小間使いを一人と、クロークス公爵邸まで走れる者を一人、俺の執務室まで呼んでくれ。」
「かしこまりました。」
小間使いが一人駆けていくのを見つつ、俺も念のため手紙の中身を魔術でチェックしながら部屋に移動する。リディやクロークス公爵に対しては事後報告になってしまうが、突然とは言え訪問して来た皇国の皇族を、放置してパーティに出席するなどと言う事態は避けた方がいいだろう。相手の要望も聞かなければいけないのは事実だから、パーティに誘って、そこで歓待することにした、と言い伝えれば、文句は出ないはず。
そんな文面を考えつつ俺の執務室に戻ると、そこにはローブを脱いで俺の仕事用の椅子に座り、優雅にお茶を飲むネルの姿があった。俺の部屋に居座る際に大抵着ている薄着姿だ。もしやさっき俺が部屋を出てから、しばらく寛ぐつもりだったのだろうか。
「何やってんだ、お前。」
「…お、おかえり、ウル。どうしたの?」
「手紙を書きに戻って来たんだが。…さっきから帰ってなかったのか。」
「…あ、アハハ…ちょっと、気分転換にね?ウルがどんな仕事してるか、少し気になっちゃって…。」
「…まぁいいが。」
そそくさとお茶が入っていたであろうカップを持って立ち上がるネルに言葉をかけると、強張った笑いを浮かべながら受け答えするネル。まぁ、書類を汚している訳でもないのだから細かいことを言うのは止める。先にリディとクロークス公爵に手紙を書かないと。
「…ホントにどうしたの?」
「…さっき来た客っていうのが、ルリミアーゼ殿下だった。歓待するために、クロークス公爵のパーティに連れて行った方がいいと思うから、リディとクロークス公爵に手紙を書く。」
「…ルリミアーゼ殿下のドレスとか装飾品とか、私が手伝った方が良い?」
「…あぁ、それがあったな。必要なら頼んでいいか?ルリミアーゼ殿下も持ってきてるとは思うし、魔道具あるから量はいらないと思うけど。」
「…ん。聞いて準備するよ。私の執務室に連れて来てくれる?」
「分かった。手紙を書いたら、殿下と会わせる。後は任せるから。」
「うん。お願い。」
そう受け答えしたネルは、急いでローブを羽織って部屋から出て行った。考えてみれば皇族なのだから、ルリミアーゼ殿下もパーティのために着飾る必要は出て来るだろう。
しばらく王国に滞在する予定と言っていたからドレスの数着は持ってきているとは思うが、王国での滞在が長引くことを考えるなら、ドレスも装飾品も増やす必要が出て来るかもしれない。ここでネルと会わせれば何らかの不測の事態に陥っても、ネルとの伝手で助けが得られる。
ネルが俺の部屋で寛いでいたのは、運が良かったのか悪かったのか。そんなことを考えながら、手紙をしたためる。時刻はもうしばらくで昼、と言う頃合い。クロークス公爵には悪いが、色々とこっちも余裕がなくなっている。
もう少しゆっくりとする時間が欲しい。切実に。




