3話
大罪魔法。古くは魔王の系譜に連なる、魔人の操っていた魔法である。勇者やその仲間の操っていた元徳魔法と並び、凶悪な能力を持つ魔法の筆頭だ。
大罪魔法についての研究は比較的進んでいないが、記録から類推する限り、どちらも勇者もしくは魔王からそれぞれの権能を譲り受け、己の素質とその権能を結び付ける形で固有魔法として発現する。
元徳魔法は、英知、勇気、節制、正義、信仰、希望、慈愛の七つ。大罪魔法はそれに対立するように、暴食、憤怒、強欲、傲慢、嫉妬、怠惰、色欲の七つ。
それぞれの権能を開花させられるかどうかこそが、古来の勇者と魔王の争いにおいて、最重要項目だったこともあるくらいには、強力な魔法である。
ただし、それは昔の話。当時から現在に至るまでに一時、魔法技術の衰退期が存在し、その時期にどうやら元徳魔法も大罪魔法も、権能の保持もしくは譲渡に関する鍵となる素質が散逸してしまった。
結果どちらも、勇者や魔王が仲間を強化する形で発現させる魔法としては存在しなくなり、今はそれぞれの魔法を発現した者を見つけ出すことが重要になっている。
その経緯ゆえに通常は発現しても、それと判断する根拠がないものなのだが、七大罪と七元徳の権能持ちを、本人以外が見分ける方法は二つある。
一つは権能持ち、もしくは勇者や魔王の判断を仰ぐ。勇者と魔王以外であれば、七元徳の権能、正義と、七大罪の権能、嫉妬。それぞれの権能持ちは、相手の能力を把握する能力に長けているため、その権能を使えば、容易にそれぞれの能力を識別することが可能だ。
もう一つは特徴としてだが、大罪魔法や元徳魔法の持ち主は、占星などの占いや、呪いの効果を、受け付けなくなる場合が多いこと。大罪魔法も元徳魔法も、通常の魔法に比して出力や効果が非常に大きいため、持ち主の立ち回りで占いや呪いの効果が容易に変わってしまい、結果として占いや呪いによる予測や予知があてにならなくなってしまう。
今回はローヴァス卿が、正義の権能持ちであったがために察知出来た、という訳だ。俺の権能について聞いたローヴァス卿は、得心したように椅子に身を沈めている。
「怠惰…怠惰か。能力に心当たりがないわけだ。」
「えぇ。表向きに色々と、曰くつきの能力でもありますしね。能力は凶悪だが評判ばかりで、表舞台に出ることがない。英雄譚に顔だけ出しても、能力に一貫性がなく、権能としての特徴に乏しい。大罪魔法の中でも影が薄い方ですから。」
「そうだね。…君自身はその権能と魔法を、使いこなせているのかな?」
「使いこなせるようにしている、と言うのが正しいですね。元々の私自身の固有魔法を、扱いやすくする形で昇華させたのが、怠惰なる精霊たちです。」
言いにくいことに突っ込んでくるローヴァス卿だが、まぁこの際敵でないことは分かったことだし、包み隠さず行こう。下手に隠し事をして敵認定される方が、今後の影響が大きそうだ。
「扱いやすく?…と言うことは、制御できない固有魔法があるのか?」
「術式の制御は可能なレベルです。ですがその魔法を使うと、私が魔力酔いに陥りやすくなってしまって、決まった効果を期待できない、と言うのが正確ですかね。」
「…魔力酔い?そんなに多量の魔力を、取り込むことが出来るのか?」
「そうです。作った段階で元々、燃費が度を越えて悪い、と分かりきってた別の固有魔法を、なんとか展開、維持しようとした際に発現したのがその固有魔法なので。初めて発現したときは魔力を供給できた代わりに、何をしたのか全く覚えていなくて。」
魔力酔いと言うのは治癒術に関連する症例だ。個人で扱う魔術装導器官の内、魔力を生成、保有、格納する魔力炉に格納できる魔力量と、肉体が保有できる魔力の全容量を合わせたものを、個人で保有できる魔力の総量として魔力容量と呼ぶのだが、それを超える魔力を個人が保持しようと、もしくは扱おうとした場合、酩酊感や高揚感、酷い場合は認識の錯誤や幻覚など、まるで酒に酔った時のような症状が現れる。
あくまで個人の魔力容量の数倍以上の魔力を扱おうとした場合にしか現れないため、ほとんどの場合は知識だけのものだ。術士として未熟な者に、先達たる熟練の魔術師が魔力を多量に与えようとした場合などに現れる、過度の干渉は相手にとって毒だ、ということを印象付けるような症例でしかない。
ただ俺にとっては、それが発生するか否かは俺自身の命運を分ける。多量に魔力を消費する俺の固有魔法と言えば剣装以外にはない。剣装展開中にそれが発生してしまえば、後から何があるか分かったものではないのだ。
最悪、敵軍のど真ん中で俺の意識が途絶え、剣装が消えてしまったりしたら。その時点で俺の命はないに等しいだろう。
「それを制御できるようにしたのが、怠惰の権能に連なる魔法、と。」
「そうです。干渉する領域を弱める代わりに、私が魔力酔いに陥らないように作っています。その影響で魔力の供給力が弱くなったので、使いどころを選ぶ魔法なのは変わっていませんが。」
「…そうか。色々と、難しいものだな。しかし、そんな魔法を発現したのであれば、もっと有名になっていてもおかしくないのではないかな?」
「もう既に、十分すぎるほど有名になりましたよ。“幻の天災”、“血涙の巨人”と、表では持て囃されました。今は“血雨”の名に落ち着きましたので、今後噂になることはおそらくないですね。」
「…ちょっと待ってくれ。…“幻の天災”を、引き起こしたのが、君なのか?」
「えぇ、そうです。“血雨”の名を、その時にいただきました。」
「…つまり噂話にあった、“血涙の巨人”を作った魔法と言うのが、先程君が言った、燃費が悪い魔法、なんだな?」
「…そうです。術名は、剣装と言います。
さらに言うならば、怠惰なる精霊たちの元となった魔法が、赤い雨。地域一帯の魔力をすべて、俺の支配下に置く魔法です。赤い雨が降った、と形容されて、“血雨”の名と、赤い雨をもたらす者という姓の元になりました。」
そこまで聞いたローヴァス卿は大きく息をつき、俺の出した茶を飲んだ。飲んだ後に少し静寂が漂ったが、ローヴァス卿は随分と清々しい表情を見せている。
俺としては言えることを言ったつもりなのだから、後はローヴァス卿次第だな、と茶を口に含むと、ローヴァス卿が口を開く。
「いや、本当に、君が敵でなくてよかったよ。藪を突いて蛇を出す、と言う程ではないが、なかなか心臓に悪いやり取りだったね。」
「…まぁ、そうですね。例えばこれが武勲なりになれば、下手な貴族位では釣り合わないくらいの扱いになるでしょうし。」
「…貴族になるつもりはないのかな?」
「えぇ。手柄を挙げたところで他の貴族から睨まれて動けなくなるだけですし、貴族としての教育を受けたわけでもないですから。…それに今貴族になると、色々と厄介なことになりまして。」
「…厄介なこと?」
「…呪い師として王宮で働き始めてから、小間使いが仕えてくれているんですが、実は公爵家の妾の子で、公爵が溺愛してるご令嬢だったことが後で判明しまして。」
「あぁ、目をかけてくれているのかな?滅多にないことだし、羨ましい事じゃないか。」
「…それはそうなんですが…下手に公爵家令嬢と結婚なんてことになったら、ネルとの結婚が遠のきません?」
「…あぁ、そうか、そうだな。ネリシアは男爵家の長女だったな。まぁ遠のきはしないと思うが、爵位の上下関係を考えると、側室なりと言う扱いになるかな?」
「奥さん複数とか、俺の手には余ります。ネル一人、ニーシャ一人でも、割と手に余りかけてるんですから。」
「ニーシャ嬢なのかい?王国の花として誉れ高い方じゃないか。そんな機会、普通は滅多にないよね?」
「…滅多にないからこそ、嫉妬とか恨みとか、それこそ聖山より高く買うのが目に見えるんですよ。
私が爵位を持ったとしても、武勲での爵位がそんなに高い訳でもないですし、貴族としての知識とか教育とかに長けてる訳でもないから、ニーシャは他の貴族家に嫁いだ方が多分幸せでしょうし。」
「でもその辺りを決めるのは、多分公爵家の人間だろう?君が生きていくにあたって、手柄を立てるに越したことはないと思うよ?」
「…それはそうですが、嫌な予感はしてるんですよね。公爵はニーシャに甘いし、公爵家としても、奇貨居くべしと考えて有望そうな人間を手元に置くことは考えてもおかしくない。
“幻の天災”なんて頻繁に起こるようなことでもないですから、絶対に人が群がってきますけど、俺自身それを上手く捌けるほど、立ち回りが上手い方ではないので。」
「ふむ。なんとかして、ネリシア君と二人で生計を立てていく術がないかと、そう考えているのかな?」
「…そうなりますね。」
俺の言葉を一通り聞いた後、考えるような素振りを見せるローヴァス卿。俺としても悩みどころではあるのだが、ローヴァス卿は驚くようなことを言い始めた。
「…ウルタムス君。私としては君の気持ちを汲んであげられないのかもしれないが、一つだけ言っておくよ。」
「…はい、なんでしょう?」
「…多分君は、今のうちに爵位と手柄を手に入れて、ネリシア君とキチンと付き合える立場になる方がいいよ。
君の考え方は、なぜ怠惰の権能に目覚めたのかが、分からない程に誠実だ。だけど、それを未だに活かせていない。おそらくだが今後、今と同じような選択を、今より強い圧力で迫られたとき、君は誰かの顔に泥を塗るしかなくなる。
…君が味方と思っている人のことまでは流石にわからないけど、君と一緒にいる者を不幸にさせないためにも、君はもっと色々なことを学び、もっと色々なことを欲して、もっと色々なものを手に入れようとしないといけない。」
「…ご忠告、ありがとうございます。参考にさせていただきます。」




