11話
「いらっしゃい。合鴨亭へようこそ。」
「二人、相部屋でお願い」「ネル、滅多なこと言うな。すみません、個室を二つ。隣り合わせがいいんですけど、取れますか?」
「…一つのベッドに二人ってのは、随分狭いですよ?」
「そんな予定はありません。一人部屋を二つ、隣り合わせで。」
「…一部屋、大銅貨二枚です。…変な音がしたら、問答無用で色宿の方に行ってもらいますからね。」
「わかりました。二部屋で大銅貨四枚ですね。」
「二階の奥二つの部屋を使ってください。これが鍵です。」
「助かります。食事は取れますか?」
「うちは寝床だけなんですよ。食事がしたければ、向かいの酒場に行ってください。夕方の鐘が鳴る頃から、遅くまで開いてますから。」
「はい、鍵。なくすなよ。」
「…向こうを意識してる間、こっちを意識するのって難しいんじゃなかった?」
「慣れないと難しいが、コツを掴めれば、ってところだな。」
「…あとで教えて。」
「おー。」
宿屋で部屋を確保し、荷物を置くとネルがすぐに入ってくる。鍵はかけたのか気になったが、気付けば荷物もこちらに運び込んでいるようだ。変な誤解が生まれなければいいんだがな、と思いつつも、ヴィストの監視を再開する。
ヴィストの方は今、ネルの予想通りに町の出入り口近くの馬車の預かり場で馬車を一通り見て回っていたが、前回みたいに目立つ馬車ではなかったのが功を奏し、一旦諦めて町の外へと出て行ったところだ。
何をするのかと見ていれば、ある程度開けたところで剣を振り始める。まぁ、魔法剣士とはいえ剣士なんだから、鍛錬の時間も必要か、と考えていたが、ネルに言わせれば奇妙な素振りのようだ。
なんでも、魔王討伐パーティとして動いていた頃は、多少自主的に柔軟体操などをすることはあっても、剣を振るなどの訓練は依頼をこなすことで事足りてる、と言って真面目に取り組まない方だったらしい。
しかし、魔法越しにとはいえ実際に剣を振っているのが見えている現状、それを否定するわけにもいかない。何か心境の変化でもあったのではないか、などと適当なことを言っていると、状況に変化があった。
夕方の鐘が鳴ってしばらく経った頃、何者かが町の外から現れ、ヴィストに話しかけたのだ。
「アルタル殿。ご機嫌麗しゅう。」
「…あぁ、アンタか。」
「右の手の紋の調子はどうですか?」
「あぁ、だいぶ痛みも引いてきたよ。慣れるには、まだ少し時間がかかりそうだけど。」
「それは良かった。しかし魔力への順応が相当早いですね。」
「…これでも元勇者だ。魔力の扱いには慣れてるさ。」
「そうですか。しかし油断は禁物ですよ?まだ傷が痛むということは、完全に魔力が順応していないということです。
我々の魔力は、同じ状態にならなければ扱えない。それを今の内から無理矢理扱おうとしているのですから。」
「分かってるさ。焦らずに、だろう?」
「その通りです。」
女性、だろうか。開拓村という土地柄に不似合いなほどに小綺麗な格好をしている。
何者かがヴィストに手を貸し、アルタルと言う偽名で活動させている理由の一端が、今の会話にはありそうだ。右手の紋、か。
「…まだ、動かないのか?」
「えぇ、もう少しお待ちください。現在ある程度数は揃いましたが、先走った者が集まっているのみ。本隊が来れば単純に倍は手強くなります。そこまですれば、たとえ貴方が向こうに寝返ったとしても止められませんから。」
「…そうだよな。ネルなら一掃できそうだけど、本隊を含めた数ならいくらネルでも先に魔力が尽きるだろうし。」
「あら、まだご執心ですか?」
「…ギルドで、俺宛に伝言があったんだ。ネルとあと一人…アイツの協力者かな。聞いたことのある名前だったから、どこかで会ってるはずだけど、思い出せない。」
「…その方々から、何と?」
「話がしたいと。今更、何も協力できないけど。」
「そうですか。お返事は致しました?」
「いや。明日の朝に一応、話すことは何もない、と言うつもりだ。」
「わかりました。」
「…今更、どうしようもないからな。」
「…そこまでご執心であれば、少しお話しません?」
「え?」
「ご執心の方、ネル、でしたか?その方の本名と、特徴を教えてください。上手く事が運べば、生け捕りにしてあなたの下僕にするくらいはできるかもしれませんよ?」
「…本当か?」
「えぇ。ただ条件を呑んでもらう代わりに、あなたにもっと価値のある協力をしてもらう必要がでてきそうですが。」
「…わかった、協力する。名前の方は、後でいいか?」
「えぇ、構いません。少し交渉してみますね。また明日、ここで訓練をしていてください。その時に色々と聞かせていただけると。」
「頼んだ。」
そこまで話すと、女性の方はスルリと村の外の方向に歩いて行ってしまう。もう日も沈みかけている時間帯だ。暗くなってしまってはどうしようもない。話している間に影が接することもなかったようで、女性の方は追えないようだ。
ただ、先の一幕でかなりの量の情報が手に入った。頭の痛い情報だが、さすがにこれは早めにリディや探索者ギルドに連絡すべきだろう。手元に筆記具を引っ張り出し、先の会話をまとめ始めると、ネルが話しかけてくる。
「…何話してたの?」
「いろいろ、頭の痛い情報。
まず、ヴィストに協力する何者かが居る事は確定。ソイツの正体は不明だが、ヴィストの右腕に何か細工をしている様子なのは分かった。ヴィストはその療養、兼慣らしとして、今活動してる可能性がある。
次に、何かしら大規模な軍勢侵攻のようなものがあることが、会話の端に出てきてた単語から推測できた。目標は分からないが、ヴィストが寝返っても、と言ってたから、ヴィストに協力している勢力が、少なくとも王国の敵であることは分かった。
最後はヴィストの協力者の出方次第だが、何らかの条件をヴィストが呑む代わりに、俺たちが提案した話し合いに参加した際に、ネルを生け捕りにする算段をつけようとしてる。」
「…かなりヤバくない?」
「かなりヤバいな。あの数ならネルの魔力で一掃できない、とも言ってた。確認するけど、ネルの魔力を一気に全部使って最大規模の魔術を撃ったとして、どれくらいの数の敵を倒せる?」
「え?えーっと…」
「あ、悪い。聞き方が悪かった。えーと…記憶にある中で、大体どれくらいの魔力を使って、最大でどれくらいの数を倒せたか、を、全魔力使った場合に換算してくれ。」
「うーん…最大だと、砦の前の平地に展開した軍に向かって撃って、全魔力の半分くらい使って、大体七、八割くらい倒せてたかな。展開してた敵の数はその時、確か一万くらいだったと思うから、倒せた数が七千から八千かな?」
「なら敵勢力が二万以上いれば、ネルが魔力切れまで魔術を使っても殺しきれない数、になるか。」
「…そんなこと言ってたの?」
「あぁ。本隊が到着すれば、ネルが全魔力使っても倒しきれないはず、と。とりあえずここまで、先にリディに報告する。」
「…ん、分かった。」
しかしまぁ、予想以上の大事になって来た。ネルの捕縛を躱すのだけなら何とかなるかもしれないが、二万を超える軍勢など流石に俺の手には余る。
「最初はヴィストの状況確認だったが、妙な流れになったもんだ。」
「…うん。…大丈夫だよね?」
「とりあえず、話し合いについては何とかする。軍勢については、王国軍を早めに編成して前に出してもらうしかないな。あとは軍に任せて、俺たちはさっさと逃げる。」
「…ウルの奥の手、使う訳にはいかない?」
「…剣装の魔力消費と、怠惰なる精霊たちの魔力供給を比較すると、若干剣装の消費の方が激しいんだよ。最初の方はある程度自力で維持しないといけないことを考えると、ちょっと分が悪い。
それに、剣装はゴーレム術を応用したものだから、結局多対一の構図を変えられない。そもそも敵が広域に分散したら、それだけで相手を止める術がなくなる。」
「…そっか。やっぱり、“幻の天災”みたいなことって、珍しいケースなんだ。」
「あの時とは状況が違うからな。さすがに敵の軍勢の状況が分からないのに、誘い込んで一網打尽、なんて奇跡は起こらないだろ。」
「…“幻の天災”の状況、知ってるの?」
「…資料か書物で見た。軍勢がある程度固まらざるを得ない拠点を、特大規模の魔術で急襲すれば、少数でも“幻の天災”を起こせる、って研究だったかな。まぁ、“幻の天災”はそもそも発生地点が不明らしいから、分からないけど。」
「…そっかそっかぁ。でもそんな研究あったかなぁ。あっても多分、すぐに禁書庫行きなんじゃない?どう思う?禁書庫の管理担当職さん?」
「…禁書庫だったっけか?そこまでは覚えてないが。」
「…残念でしたー。王国では“幻の天災”に関しての研究を禁ずる旨の命令が、秘密裏に貴族家当主と各種研究機関に送られてるはずだから、そんな研究は書物になることがないはずです。」
「………今、何も言えることはないからな。」
嫌なところを突かれたものである。今の時点でそこを話すほど、時間的にも精神的にも余裕がない。溜息を吐きつつ釘を刺すと、ネルは微笑を浮かべる。
「うん、大丈夫。ちょっと気が晴れただけ。頼りにしてるからね、“血涙の巨人”さん?」
「………ま、逃げることは変わらないけどな。」
「それでも、武勲が不明な強い人に守られるよりは、凄い武勲を持ってる人の方が安心感出ない?」
「それは確かに。まぁ、話し合いから逃げ帰るくらいは何とかする。」
どの道、明後日の話し合いでどうなるかが不透明であることは変わらない。明日の朝一でリディに書類を送れるよう準備して、早めに寝ることにしよう。




