8話
結局、その日のヴァルトとミルツについてだが、二人とも思うところがあったらしく、その場はその時点で解散。詳細な調査と確認についてはまた後日、と言うことになった。
ミルツの方は落胆激しく、ヴァルトの方も表立っては普通だがあまり頭が働いていない様子で、その場での事情の確認が上手く進まなかったからだ。
まぁ、ある日突然生まれ変わり、文明的に劣った世界に飛ばされ、帰る手段が存在しないと言われたようなものなのだ。
自分が死んだときの記憶がない上に、似たような境遇に陥った者が、自力で元の世界に帰って来たという物語も地球では広まっているらしい。自分も元の生活に戻りたいと考えてしまうのも、無理のない事だろう。
この世界で十数年と過ごしてきたと言っても、やはり上質な生活を知ってしまうと低い品質の生活に戻りたくないのは、どんな立場の者でも同じらしい。
ちなみに、二人ともに地球という世界で死んだ記憶がないのは、珍しい事ではない。
死んだという記憶が定着する前に転生し、この世界の記憶と言うくくりで忘れ去れなかった記憶が残るとかいう説もあったような気がするが、詳細はよく分かっていないし、研究するにしても仮説の立てようもないのが現状だ。
場合によっては地球での死を加齢とともに徐々に思い出す場合もあったらしいが、所詮書物の中での出来事。別にこの研究が進んだからと言っても利があるわけでもないし、二人が地球でのそれぞれの死を思い出すかどうかは二人次第だろう。
ミカグラ卿とラスティエル卿だが、ヴァルトとミルツのサポートを手厚くすることは確約してくれた。転生者と言うことで仕方のない事ではあるし、場合によってはそれぞれの組織の発展に大いに役立つ可能性のある手駒である。少なくとも粗末に扱われることはないだろう。
ミルツが禁書庫に侵入した件についても、大目に見ることになった。まぁ、侵入したと言っても本の中身を見られた訳でもない。
見られる前に取り押さえ、問い質したところ転生者であることが判明。反逆の意志も見られないことから、軽い罰を与え釈放、と言う形で報告が上がるのみである。禁書庫に入るとは思わなかったが、あらかじめ例の二人が迷い込むかもしれないことは伝えておいたのだから、許容範囲ということだ。
この迷い込むという表現だが、これは転生者にありがちな特定パターンの行動のことを言う。
例えば、道に迷ったと言って公開されていない場所に入り込む。例えば、立ち入った場所にて偶然なんらかのアクシデントが発生する。例えば、要人のアクシデントに自身が、もしくは自身のアクシデントに要人が巻き込まれる。
初代勇者や転生者の言葉を借りて言うならフラグ、もしくはクエストと言うらしいが、とにかく一定の行動の結果、何らかの事象により転生者にとって優位に働く事象が発生するのだ。
さすがに王城でアクシデントが発生することはほとんどないと思われたが、この点に関して言えば理不尽に発生するものだということは書物から推し量れていた。
結果として、ミルツがある程度行動の自由を得た直後、アクシデントこそ発生しなかったものの彼女は禁書庫に侵入。ヴァルトとミルツの両名は紆余曲折の後、ミカグラ卿とラスティエル卿に直接会う口実を得ている。
通常、平民がある程度王城に出入りできるようになったからと言って、そう簡単に爵位持ちの騎士や衛兵隊のエースなどと簡単に話せる間柄になどならないのだから、不自然なほどに出来過ぎている状況である。この結果が吉と出るか凶と出るかは、今後の二人の動き方次第。
「まぁ、仕方ないと言えば仕方ない状況だよな。任せろ、別に自由にさせやしないさ。」
「そう言ってくださるのは心強いです、ラスティエル卿。」
「しかし違反するようなら首も撥ねるが、アイツはそこまで心臓が強いわけでもなさそうだぞ。注意しておくが、おそらくは取り越し苦労だろうな。」
「…そこまでですか?」
「昨日の今日と言うのもありそうだが、あまり訓練に乗り気でなさそうだ。あまりに気が反れるからと、監視をつけてしばらく遠出する班に同行させてる。」
今俺の部屋に来ているラスティエル卿は、一応、念のためと言う名目で事の報告に来てくれている状態だ。
もう一つの目的も見当はつくが、別にそちらは長期戦になりそうなのだから急ぎで進めることでもないだろう。
「彼女の方はどうなんだ?」
「今のところ、ミカグラ卿から連絡が来てませんね。ラスティエル卿から連絡してくださるならありがたいんですが?」
「…なんの切っ掛けもなしに、直接連絡するのは不自然だろう?いくら元の家柄にはほとんど差がないとは言え、使者と会って打診、という手順は大事だからな。」
「否定はしませんが、だからと言って私の部屋で待ちますかね?」
「何かあったら使者なり本人なりが、貴殿の下に来るのは間違いないだろう?」
「…まぁミカグラ卿なら、ラスティエル卿に使いを出すのであれば、こちらにも一筆寄こしそうですが。」
「だろう?」
もう一つの目的と言うのは、ミカグラ卿との関係だ。ミカグラ卿に執心しているラスティエル卿は、ミカグラ卿が現在俺に気があるようだ、と何やら変な勘繰りをしているようで、何かと様子見と称して話をしに来るのである。
先日のお茶会についても、なぜ声をかけなかったと詰め寄られる始末だったし、俺としては武闘大会準優勝者であるラスティエル卿が招待されていなかったのが予想外だった。
結果として、何とかしてミカグラ卿とお近付きになりたいラスティエル卿が、転生者をかくまう者同士の情報交換を口実に、彼女と連絡を取るのに不自然でない理由を作ろうとしているのである。
そのために朝一で俺に口裏合わせの手紙をよこし、昼一で俺の部屋に居座ると言う強硬手段を取る辺り、思うところがないわけでもないが、普段は懐が広く良識のある貴族なのだから、あまり細かく言うべきでもないのかもしれない。
色々あるということだろう。ラスティエル卿も、ミカグラ卿も。
「私の部屋に使者が来た際に、ラスティエル卿から連絡があったから、と取り次ぐことも出来ますが?」
「まぁあまり邪険にしてくれるな、ウルタムス殿。ミカグラ卿なら直接この部屋に来て、私の部屋に使者をよこすという方法もとれる。貴族が貴族の下を直接訪れるなら、その前にまず使者を寄こすのが常だからな。」
「…昨日の今日で状況が動かない可能性もありますが。」
「…なに、焦ることはないさ。魔王討伐パーティの出陣までの間に、なんとか連絡が取れれば。」
「…ラスティエル卿がミカグラ卿と直接連絡を取りたがっている旨、ミカグラ卿に手紙を出しますので、私に宛てた体で一筆頂けるとありがたいのですが?」
「…それで頼む。今書くから紙をくれ。」
結局、ミカグラ卿に出す手紙をラスティエル卿と共にしたため、ニーシャにミカグラ卿の下まで持って行ってもらった。ラスティエル卿が手紙に自分の香水を吹きかけ、それは男に出す手紙の作法ではないと俺が指摘し、書き直す羽目になっていたため少し時間が経ってしまったが、まぁ許容範囲内だろう。俺の仕事への影響を除けば。
「しかしまぁ、公爵家のご令嬢に侍ってもらえるとは、随分と羨ましい生活をしてるね?」
「別にいい事でもない気はしますけどね。彼女に侍られてるせいで、クロークス公爵から睨まれてますし。」
「それは大変だ。でも高嶺の花に手が届く、いい機会じゃないか?」
「一緒に聖山よりも高い恨みを買いますね。友人にも殺されます。」
「アッハッハ。大変そうだな。細かく聞くのは野暮というものだし、頑張ってくれ。」
…疲れる。
その後、結局ミカグラ卿が部屋にいなかったとのことで、ニーシャは従者に手紙を渡したらしい。
それを聞いたラスティエル卿はすぐに部屋に戻っていったが、その後に訪れたネルの部屋で、脱力するような情報を聞かされた。
「ミカグラ卿なら、さっきまでここにいたよ。」
「…お茶会の時に話した、アレ?」
「そうそう。あとウルがここに来たら、転生者の件についても一応話があったみたい。今のところ目立った動きはないからしばらく注意しとく、って。」
「…転生者を受け持ってるのは俺じゃなくてラスティエル卿なんだから、そっちに話持って行って欲しいんだけどな…。」
「ラスティエル卿相手だと口説き文句ばかりになって、話が普通に進まないからって。」
「…ラスティエル卿、ホントにミカグラ卿の事好きなー。」
「思った。結構なんでも食いつくよね、ミカグラ卿の事だと。」
「…その様子だとミカグラ卿、意図的にラスティエル卿を躱してる?」
「うーん、多分…。転生者について話そうにも、ウルの所にラスティエル卿が来るだろうし、ミカグラ卿の部屋にもラスティエル卿の使者が来る可能性が高い。転生者があまり目立った動きをしていない現状、必要に応じて連絡するだけでいいでしょ、って。」
「なんか、ラスティエル卿がウザがられてるっぽいな…。」
「思った。ミカグラ卿って、ベタベタと来ない人が好みなのかな?」
「あー、口数は多くないけど有能、って?…先代ロードネル卿が確かそんな風だったけど、今そんなことやったら手柄の奪い合いになって埋もれる気がするな。」
「まぁ、確実に埋もれるよね。二つ名でもあれば別だけど。」
「“銀狼”卿の奮闘に期待しよう。」
「だね。」
結局、何事も様子見らしい。こちらについてはしばらく静観を決め込む必要があるだろう。もう一つの方は、そろそろ動くべき時らしいが。
「とりあえず、今仕事は立て込んでないか?ちょっと頼み事があるんだが。」
「今は立て込んだ用事もないから、明日からでも行けるけど、何かあったの?」
「先代勇者、ヴィストの目撃情報が入った。ちょっと遠出するから、手伝ってくれ。」




