1話
遅くなってすみません。
色々詰め込んでたら遅くなりました。
とりあえず皆様、ご自愛ください。
「いやー、埋火卿もようやく身を固める気になったか。これはめでたい。」
「パーセル伯爵、残念ながらそういう話ではありません。」
「違うこともなかろう。彼女も年頃だし、公爵家出身とはいえ庶子。埋火卿には手ごろなお相手だろうて。まじめに働いてさえいれば、公爵殿も安心して彼女を任せられるだろうに。」
「本当に何の話をしてますか。伯爵。」
世間では春という時期も過ぎ、そろそろ雨期に入ろうかという時期。俺は少し聞きたいこともあり、財務卿の下を訪れていた。
パーセル伯爵は王城で財務に携わる重鎮だ。もう老境に差し掛かっている御歳の人だが、ボケることもなく日々精力的に仕事に邁進している。しかし俺が訪れるや否や、なぜか見当違いの方向の話をしてしまうため、度々方針をしっかり修正していかないと、変な方向に飛び火して行きかねないから、そこだけは警戒すべきご老人である。
まぁ、伯爵はあまり堅苦しい言葉遣いが好きではないという点だけでも、俺にとってはありがたい相手でもあるのだが。
「お主もそろそろ結婚をまじめに考えんと、世間から笑われる歳だということだ。ホレ、身近に手頃な者もおるなら、別に不自然という程の事でもあるまい?」
「…公爵家出身とおっしゃると、ニーシャ以外には該当者は居ませんが?」
「そうそう。お主の傍付きのような扱いになってもう長いだろう。そろそろ話をしておかんと、婚期を逃すぞ?」
ちなみにこのご老人が言っているのは、王宮内での俺の結婚相手に関する、伯爵からの叱咤激励だ。
一般的に言うならば、赤い血の者に、まともな立場を持つ青い血の者との縁談を持ちかける選択肢はありえない。
貴族として平民を家に迎え入れるための正しい対応は、従者として雇った上である程度の貢献の後、適当な理由をつけて傍流の家を任せるという流れで、平民が思い描く最高の立身出世の王道がこれだ。
例えば爵位を持つ家の実子と平民が恋に落ちたからと言い、それまでにどんな経緯があっても、平民が爵位を継ぐ立場に躍り出ることはない。通常は平民が貴族としての立ち居振る舞いを学ぶ機会などないのだから、当然そのための教育を受けられる立場の者にしか、爵位の継承はありえないということになる。
例えば俺は王宮で呪い師をやっているが、立場としては平民。ある程度傍付きを雇う権利こそあるが、それは王宮である程度の役職に就く者が傍付き一人雇わないことの外聞が悪いからで、俺の役職自体、本来何らかの爵位を継ぐ者が任されるべきものだったという意識は根強い。
まぁ役職自体の悪印象から長年埃を被っていたような呪い師という職に、多くの者はあまりいい顔はしないであろうことは置いておく。爵位分の年金が支給されないという点を踏まえても、王宮内では分不相応な役職に就いている印象が強いのが俺の立ち位置だ。ある程度の爵位を持つ者が少し掛け合えば俺をこの職から蹴落とせる、と考えられる程度には、俺の王宮内での立ち位置は弱い。
片やネルは王宮筆頭魔導師でありながら男爵家の血を継ぐ女性で、現時点で男爵の爵位を継承できる立場にあるのはネルのみ。ネルとの縁談が成立すれば、青い血の者であれば自身に、赤い血の者であればネルとの間に出来た子に、男爵の爵位が継承される。
加えて王宮筆頭魔導師という職は、平時であれば重視こそされないが、有事の際は非常に重要な権限を持つ要職である。任じられるのは実力のみという非常にシビアな条件を持つことからも、彼女を自身の勢力に取り込もうとする輩は多く、彼女に縁談を持ちかける者も後を絶たない。現在爵位を持つ彼女の父親も、ネルの結婚相手の選定には苦心している様子である。
そしてパーセル伯爵が口にした、ニーシャという少女。王宮で行儀見習いとして働き始めた小間使いで、最近は俺の傍付きという印象が強いらしいが、元はクロークス公爵の妾の子だ。
彼女自身は公爵家に属する者でありながら、親が赤い血の者であることから、公爵家としては政略結婚を考えるための駒として非常に優秀な部類に入る。ニーシャ自身が見目麗しい少女であることも考えると、たとえ他国の王族と縁談が組まれたとしてもおかしくないと万人が口を揃える程には、彼女の立ち位置は盤石なものだ。公爵家としては有能な者を抱え込むための手札として、ニーシャを手元に置いておきたいであろう。
そして現在、ネルやニーシャといった王宮の高嶺の花たちのお相手として考えられているのが、王宮や騎士団、衛兵隊で名を馳せる有能な者たちだ。例えば“銀狼”など、現衛兵隊の副隊長にして未来の騎士団長と目されるほどには腕が立つとの話だし、騎士団にも有望な若者は数多い。公爵がニーシャのお相手として考えている一番有力な候補が“銀狼”である、と王宮で噂されるのも当然である。
こういった話に、当初俺としては正直興味がなかった、というのが実情だ。
城で働き始めた頃には、ネルとの縁が今に至るまで続くとも思っていなかったし、“断罪”や“血雨”として動く機会がそこまで多くなるとも、それに関係する形で手柄が増えるとも思っていなかった。
城で働き始めてからしばらくは密かに囁かれ始めた二つ名“血雨”に押し潰されないよう必死で結婚相手など考える余裕もなく、最近になってネルとの交流が増え、ネルとの結婚に関連する話をあれこれとリディにけしかけられて、ようやくお互いの立ち位置を踏まえた二人の将来的なものを視野に入れ始めた程度である。
爵位という格差が厳然としてある以上、男爵の地位を継承できる立場にあるネルに見合った立場を何らかの形で得る、と言うことが難しいということくらいは知っているつもりで、どうしたものかと頭を抱え始めたところでもあるが。
しかし今俺の目の前にいるご老人の目には、 “血雨”こと俺と、“天魔の炎精”の二つ名を持つネルの二人が、裏と表から別々に王を支える看板として役職に就いた方が、今後のためになると映ったらしい。
気付いた頃には“断罪”や“血雨”の噂を耳にする機会が多くなり、挙句の果てにはそれらの二つ名が、“銀狼”の対抗馬として挙げられるようになってしまっていた。噂の発信源であろう目の前のご老人を問い詰めようにも、所詮噂であるからなどと、どこ吹く風である。
今の状態で“血雨”や“血涙の巨人”、場合によっては“砂煙の巨人”などの正体がバレようものなら、俺にとっては厄介なことになる。現状平和な今のご時世、俺の二つ名の挙げた功績は王宮が持て余すほどには目立ちすぎるのだ。
そして現時点で様々な噂が広まってしまった結果、貴族やその他の組織間で何らかの騒動が起きてもおかしくない状態となっている。具体的には手柄の取り合いや、ライバルの蹴落としなどの一騒動だ。
俺としてはただただ、自分の二つ名に関する噂が囁かれなくなることを祈るばかりである。例えばクロークス公爵が“血涙の巨人”や“断罪”にニーシャを嫁がせることに乗り気になってしまった場合。立場の関係上この話を断ることは、王国で生きていけなくなることを意味する。
「残念ながら、公爵はニーシャを手元に置いておきたそうな感じでしたけどね。それはともかく、少しお聞きしたい点がございます。」
幸い、公爵は今の時点で、俺に対してはそれなりに圧が強い。ニーシャの意向こそ不明だが、彼女は公爵家の駒としてそれなりの貴族家に嫁に行った方が幸せだろう。
適度に公爵の態度を匂わせつつ、伯爵の話題振りを流して本題に入る。
「なんじゃ、公爵はまだ娘離れが出来ておらんのか。全く、貴族の責務が分からない訳でもあるまいに。まぁいい、聞きたいこととは?」
「…騎士団や衛士への手当について、最近、特に渋っている訳ではありませんよね?」
「いつも通り出しとるぞ。変な内容で申請されたら流石に却下しとるが、言い方はともかく、内容が妥当ならキチンと出しておる。…何か不満な点でも?」
「不満な点はありません。…こっそり懸念している点が少し。」
そう言いつつ、親指と人差し指を立て、二本の指だけで円を描くように指を回すジェスチャーをすると、伯爵は理解したようだった。
先程までの好々爺然とした態度とは打って変わって、張り詰めたような緊張感と共にパーセル伯爵は俺に言葉を投げかける。
「…ふむ。阻害は?」
「今は自分のみです。部屋についてはお任せした方が?」
「いや、お主に任せよう。酔わないようにした方が良かろう?」
「わかりました。それでは起動します。」
そう言いつつ、この部屋に入った時から起動している怠惰なる精霊たちを、この部屋全体に作用するように展開範囲を広げ、同時に防音や聴取妨害の魔術を展開する。これで魔術を展開している限り、一切の情報はこの部屋から漏れることがなくなった。
このパーセル伯爵、財務卿という役職上、影に属する者に報酬を与える必要があるため、俺の“断罪”や“血雨”の二つ名を知る数少ない一人なのだ。
俺の二つ名を他に知っている者は伯爵を除けば、王太子リディと、先代“断罪”こと現王国騎士団副隊長のみ。先程行った俺の指を回す仕草は、影の者としての立ち位置、具体的には“血雨”もしくは“断罪”の立場から意見具申を行う時の合図だ。
「気になった点を聞こう。」
準備ができたと伯爵に向き直ると、伯爵は張り詰めた緊張感をそのままに、鋭い視線をこちらによこす。良い方向に話が運べばいいんだが、などと思いながら、俺は口を開き始めた。
「魔人の活動が活性化しているように思われます。魔王の再臨が起こっている可能性も含めて、魔人への警戒を強めた方がよろしいかと。」




