9話
先程叫ぶように周囲の者に自身の狂気を曝け出した男。目を見開いているサルビア殿下。おそらく同じように俺に驚愕の視線を向けているであろう傍付き達。
全員の視線を受けていることに居心地の悪さを感じながらも、俺は魔力を纏った男の腕を、音が立つかのごとく強く握る。苦痛に多少顔を歪める男だが、不意にニヤリと笑みを浮かべる。
「アンタ、邪魔するつもりか?潰されたくなけりゃ這いつくばってろよ。」
「そうもいかない。これが俺の仕事なんでな。」
「潰すぞ。」
「お好きに。」
瞬間、男が腕を振り払い、殴りかかってくる。流派も何もない雑な攻撃で、少し武術をかじっている程度の者なら即座にカウンターを繰り出せそうな攻撃だ。男もおそらくそれを考慮したうえで、それを狙わせるつもりなのだろう。
しかし、俺が障壁の魔術で男とサルビア殿下を隔て、まず行ったのが攻撃でなく防御だったことを理解した男は、先程胸元に射かけられ、未だ胸に刺さっている矢を右手で抜くや否や、見せつけるように自分の左腕に突き立てた。
その瞬間鋭い呻き声を上げたのはサルビア殿下だ。やはり呪いだな、と確信する俺をよそに一瞬顔をしかめた男だったが、すぐさま優越感に染まった声色で話しかけてくる。
「どのみち、そこらの嬢ちゃん共を、殺すかどうかは俺にかかってるんだ。ツベコベ言う前に、殺されたくなけりゃ俺に跪けよ。」
そう言いつつ、男は自身の左腕に再度、次は腰から抜いたナイフを突き立てる。今度はサルビア殿下ではなく、最初に隠蔽をかけていなかった、傍付きの一人が腕を押さえて蹲ったところだった。
ニヤニヤと優越感に浸る男に、俺は答えを返す。
「趣味の悪い話だな。まぁ、気持ちはわかる。これだけの魔法を固有魔法としてもっているなら、全能感も湧くだろうな。」
その言葉を聞いた男はニヤニヤとした笑いを深めるが、続いた俺の言葉を聞いて、すぐに失望したような表情を浮かべた。
「だが、その呪いで俺を縛れると思ってるのか?…自分が傷付きたくないだけなら、まぁ退く選択も理解だけならできるが。」
その言葉を聞いた男は、ヤレヤレ、とでも言うかのように困り顔で首を左右に振る。その仕草を終えた男の顔には、また優越感を漂わせた笑みが浮かんでいた。
「わかってねぇなぁ。アンタ馬鹿だろう?そこにいるフラスタリアの“宵”だって、俺の魔法には無力だったんだぞ?“断罪”なんて噂だけの、裏世界最強の名前気取って名乗ってんならさぁ。これくらいは理解してもらわなきゃなぁ!」
そう叫びつつ、自身の左腕に、今度は勢い良く、腕を貫通させんとの勢いでナイフを振り下ろし。
瞬間、息を呑む傍付きと殿下だが、次に起こった光景は彼女らを驚かせただろう。
「ギャッ!?」
その瞬間感じたであろう、痛覚の反応、困惑、驚愕。様々に含んだ呻き声が、腕を刺した男の口から上がる。驚愕と共に身構えた殿下と傍付き達だが、彼女らのいずれにも、先程起こったような、攻撃に対する反射のような反応は起こっていない。
驚きと共に腕を刺したナイフを手放し、腕を押さえるも、既に男の近くに黒い靄はない。こちらを睨みつける男に、俺は声を投げる。
「その呪いの効果、傷と痛みを相手と分かち合う能力だろう。呪いの範囲内にいる相手と、自分への攻撃を分かち合うことで、自身の負う傷を軽くし、相手にその傷を負担させる。自身の傷は適当に魔道具で癒してしまえば、一方的に相手の攻撃を相手に負担させ続けることが出来る。」
驚愕に目を見開き、次第に憎々しげにこちらを見返す男だが、既に大勢は決している。これはどちらかというと、サルビア殿下が今後影として活動するにあたっての、指導に近い形だろう。
「だが、この類の呪いは、基本的に分け合うことを主体とする性質上、攻撃を仕掛ける相手側が複数である場合など、使っても事態の打開に結びつかない場合がある。呪いの性質上、自身が敵と意識している相手全体に呪いの効果が及ぶからだ。
傷を分け合う相手が居ればその数だけ軽減されるのだから、一度の傷につき分け合う相手を一人のみに絞るか、分け合う痛みを増幅させて、全員に同じ痛みを割り振るかなどしなければ、相手側に呪いを元とした決定打を与え辛い。
そしてそのどちらであっても、この呪いは突き詰めてしまえば、術者とその相手全員が純粋に殴り合ってタフな方が生き残る、という呪いでしかない。魔道具である程度補助するとしても、結局は魔力を体力や耐久力として換算可能になるだけだ。」
途中からはこちらの言葉を唖然として聞いていた男だが、俺の言葉が終わったと感じるや、震える声で言葉を紡いだ。
「…なんでだ。俺の呪いだぞ。なんであんたが俺の魔法に、俺の呪いにそんなに詳しいんだよ!…固有魔法だぞ?俺が形にしたんだ。俺の魔法なんだ。俺以外に対処できるわけがねぇ!」
「対処できるわけがない?本当にそうか?…あんたのさっきの言葉、聞こえてたよ。あの女さえいなけりゃ、って。」
「…それがどうしたってんだよ!」
「…あの場にいたんだろう?…“幻の天災”。フラトスカイア神託国に。…あの時。あの場所で。あんたの魔法は使えたか?…使えなかっただろう?」
「…は?」
言葉を紡げずにいる男の前で、俺は剣装を起動する。魔力で作られ緑青色の燐光を帯びた骨の巨人が俺の障壁から生えるのを見て、腰を抜かした男の前で、俺は剣装を、一段階進める。
「赤い雨が降った後、お前たちを潰したのは……こんな巨人じゃなかったか?」
瞬間、骨の巨人が、肉付くように燃え上がる。赤い火の粉を、畏怖と共に周囲にまき散らす巨人を目の当たりにし、恐怖に口を開けたまま言葉を紡げず、腰も抜け、後ずさりすらもままならず。
「ウワァァァアアアア!」
「…冥府で眠れ。もう二度と、俺と会いたくないなら。」
炎の巨人が拳を振り下ろし、あったかも定かでない抵抗の後に、男は炎の拳に潰された。
路地裏を黒く焦がす一撃を経て、俺は改めてサルビア殿下に向き直った。向き直った俺を見た瞬間はビクリと体を硬直させる殿下だったが、俺の放った言葉にはつっかえながらも言葉を返す。
「…治療をします。傍付きの皆さんをこちらに。」
「…あ、分かり、ました。…皆、…集まりなさい。」
集まった傍付きの面々だったが、総じて傷としてそこまで深いものはない。固有魔法がどうのと叫んでいたから警戒だけはしていたが、呪いとしてはそこまで強い方ではなかったかもしれない。そんなことを思っていると、殿下が声をかけてきた。
「…シゼルの足取りについて、全く分かりませんでした。」
「…今探しております。術者の魔力の痕跡を追っていますので、すぐ見つかるかと。…殿下と傍付きの方は、まず気を落ち着け、傷を癒すことが先です。」
「…“断罪”、だったんですね。」
「えぇ。数年前に、当代“断罪”として名を継ぎました。内密にお願いします。」
「…わかりました。…あの呪い、どうやって解除したのですか?」
「切り札を使いました。詳細は言えません。」
「…“幻の天災”、について、心当たりは?」
「私が起こしました。結果として、 “血雨”の二つ名を頂きました。」
「…“血雨”?」
「“幻の天災”を引き起こした際に発現した、私の固有魔法です。…赤い雨が降ったように見えましたので、そう呼ばれています。」
「…先程の巨人は、なんですか?」
「切り札を使いました。“血涙の巨人”と、呼ばれるようになっていますね。」
「…“砂煙の巨人”との共通項が、多いように思うのですが。」
「同じ魔法ですから。内密にお願いします。」
「…色々と、起こり過ぎて。ちょっと混乱しています。」
「疲れているんでしょう。ゆっくり休んでください。」
そんな言葉を交わしている間に、周囲に傍付き達も集まり終えた。簡易な治癒の魔法をかけつつ、次の準備を行い、サルビア殿下に声をかける。
「殿下。僭越ながら、当代“断罪”として、当代“宵”に、一言アドバイスを。」
「…お願いします。」
「殿下は少しだけ、自身の能力に頼り過ぎだと思われます。」
「…どういうことですか?」
「連合国内で“宵”を名乗ってきた者は、反逆者に朝日を拝ませることはありません。一つの例外を作ることは、その名を汚すことにつながります。」
「……そうですね。」
「少なくとも、私の殺した先々代の“宵”は、私が殺すまで、必勝を確信した相手にしか戦ったことがないと断言していました。」
この言葉には驚愕したのであろう、傍付き達からも殿下からも驚愕の気配が伝わってくるが、この際は無視する。一応、全員の意識を俺に向けることが必要だ。
「…“幻の天災”というイレギュラーがあった場合であれど、“宵”の名に例外を作らせないために、先々代“宵”は、“幻の天災”の最中で“血涙の巨人”に戦いを挑み、事故の名目で死にました。」
「……」
「名を背負って任務に失敗すれば、当然その名に泥が塗られるのです。殿下には当代“宵”として、フラスタリア連合の安定のため、何があっても“宵”の名を汚さぬよう動く義務があります。例え、仲のいい誰がどうなろうと、敵がどんな手を使って来ようとです。」
今回殿下に一番気にしてほしいのはここだ。今回は俺がいたから何とかなったが、俺が居なければ、結局フラスタリア連合諸国は“宵”の名を背負う者を秘密裏に任務に出し、見殺しにしていた可能性が高いのだ。
当然こんなことが度々起こり、“宵”の名が権威を失うと、フラスタリア連合諸国には影に潜む罪人を罰する能力がないとも受け取られかねない。
自身の力を振るうべき時を見計らうこと。どんな状態に陥ろうとも、結果を出せるように立ち回ること。必要によっては傍付きを見殺しにしてでも相手の手の内を明かし、相手に対して必勝を確信できたときにしか戦いを挑まないこと。場合によっては自身の手を汚すことも必要になるだろうが、その必要のない時にまで“宵”の名を使うことはないこと。
どれも当たり前だ。しかしどれも、学院生として講義で学ぶ機会の少ない事柄だ。自身の力を振るうべき時をしっかりと見極めるための修練を欠かさず、その上で自身の力の研鑽を止めなければ、殿下はまだまだ伸びるだろう。
「…わかりました。貴重なご意見、ありがとうございます。今後の糧にさせていただきます。」
「受け入れていただき、誠にありがとうございます。それでは最後に皆さんにお願いがございます。」
そんな言葉を発しつつ、傍付きの方々と殿下にまとめて回復魔法をかけ、その裏でもう一つ魔法を展開。驚く殿下と傍付きの方々に、にこやかに投げかける。
「忘れてください。“断罪”と、“血雨”と、私との相互のつながりと、その詳細の全てを。今晩、殿下方は、“血雨”により助けられ、“断罪”が元凶を裁いたという、結果だけを持ち帰ってください。」




