8話
聞いてみた話によれば、いなくなった人物は先日も俺や殿下と行動を共にしていた、シゼルという傍付き。なんでも昨日の晩には間違いなく部屋に戻っていたのだそうだが、今朝当番の確認などで顔を合わせようとしたところ、居なくなっていたことに気付いたらしい。
学院の警備からは外出の報も受けていない、もしかして何かあったのでは、と話していたところだったようだ。
傍付き達は心配こそしていたが、数日前から少し活力がなくなっていたという点以外には違和感はなく、今日も調子が悪そうなら、休みを交代しようと申し出るところだったそうだ。
何らかの厄介事に巻き込まれた、もしくは足を踏み入れた可能性は高いが、気がかりになる点はある。活力がなくなるなどの症状は呪いに近いものがあるが、呪いをかけられたにしてもかけたにしても、目的が不明だ。
これは多くの禁術にも当てはまることだが、呪いは基本的に、その効果が不特定の存在に対応できるほど強いものはそこまで多くない。例えばある範囲、ある人物など、一つの事柄、一つのものを基点にする必要があるし、その効果範囲から外れるか、少なくとも術者や基点となっている事柄から離れてしまえば、呪いや禁術の効果はすぐさま失われてしまう。例えば呪いの基点となっている場所から十歩程度でも離れれば、その効果は十分の一にも届かなくなってしまうのだ。
今回の件が呪いを発端とするものなら、シゼルという傍付きが活力をなくし始めた時点で、その場、もしくは術者から見えない程度まで距離を取れば済む話なのである。かといって他の傍付きに聞いてみた感触では、そんなことは一切なかったという話だから、何かしら距離を置けない理由があった可能性はある。
何かしら傍付きということで王城に干渉した結果、何らかの呪いに引っかかった、という可能性については微妙なところだろう。
なにせ王宮の呪い師として、城にかけた防衛機構としての魔道具は概ね俺が作ったものだし、内訳としても城に近付かないようにするためのものが多い。城から離れればすぐに効果を失うから、魔道具に引っかかり最悪呪詛返しなどを受けたと仮定しても、症状が重い方で寝込むか倒れるくらいで、行方知れずになるようなものは使っていないのが現実だ。
となると、何らかの形で王城を狙っている者に、どこかで目を付けられ、何らかの形で狙われた結果、現時点で連絡を取れていない、という可能性が高い。しかしそうなってくると、俺としては手が出せなくなってしまう。
結局のところ、傍付きが一人行方不明となったところで、俺の仕事はサルビア殿下の護衛なのだ。王国の呪い師としては、殿下が傷付きさえしなければ問題はない。そもそも国賓と言えど他国の人間なのだから、自衛という意味では自分の身は自分で守るのが常識だ。
ましてその原因が、勝手に外を出歩いたことにあるというのであればなおさらである。学院の警備は傍付きが外に出たことを確認していないのだから、無許可での外出という事実は変わらない。
つまり、安全性を保障するための対応を無視して勝手に外に出たのだから、居なくなったのは居なくなった者の責任、ということである。王国の者としては事態についての説明責任はあるが、安全を保護するという責務を欠かしていない以上、勝手に庇護の外に出た者のことで責められる理由もないという訳だ。
結局その日は、あまり大きな出来事はなかった。常のごとく講義が終われば、サルビア殿下の魔術戦の修練に付き合い、後は日暮れまで各種の指摘や指導を行う。
基本的に俺は護衛なのだ。傍付きについて情報が得られないままなのは残念であるが、捜索の依頼だけ出して、殿下は殿下の、俺は俺の、傍付き達は傍付き達の仕事を全うした形である。
そしてそのまま日没が迫り、サルビア殿下が寮に帰り、俺が王城へと帰ろうとした時点で、殿下の動きに反応。傍付き達と何らかの情報交換を行っていたのだろうか、一ヵ所に固まっていた反応が、突如として移動し始めた。
慌てて隠蔽の魔術を行使し後を追ったところ、目的地となっているであろう王都の端、位置的には大通りから少し離れた、スラムに近い地点付近で殿下たちが足を止めた。
日は既に沈みかけている。さすがに殿下は自分が勝手に出れば自分が狙われることを熟知しているのだろう。厳重に隠蔽の魔術をかけて身を隠す厳戒態勢で臨んでおり、傍付き達もほぼ同様だ。囮もしくは正面から対応する予定であろう三人だけは隠蔽をかけておらず、細剣や短剣、弓などそれぞれの武器を構えている。
そんな彼女らの前にフラリと現れたのは、元は貴族の物だったのであろう薄汚れた服を着た、壮年の男である。髪の色は真っ白で、老人と言われても納得してしまいそうな風貌をしていた。
「どうしたい、お嬢さん方?もうあんた達みたいな小綺麗な格好したのがうろつける時間じゃないよ?」
「…我々は、連合の影です。そう言えばご理解いただけますか?」
「…大体わかったが、もう渡せるだけのモノは渡したはずだぞ?アンタら、まだ俺から搾り取ろうってのかい?あれだけ親切にしてやったのに、恩をあだで返すのが連合の流儀かぁ?」
「白を切るつもりなら、無理矢理にでも聞くまでです。」
「…やれやれ、世知辛いねぇ。」
そう言うや否や傍付き達は手にした武器で男に攻撃を仕掛け始めた。しかし剣で斬りかかり弓で射る、複数人による流れるような連携を、男はまるで意に介していないかのように次々とかわし続ける。
よく見てみれば、相手は魔力を雑に体に流して軽く身体能力を強化しているだけで、特別な術式を使ってなどいない。傍付き達もそれには気付いているのだろうが、見せていた余裕が次第になくなり、苛烈さを増し続けているにも拘わらず、男の方には全くの変化がない。
しばらく攻防を続け、一連の攻防の区切りとなったのであろう。傍付き達が攻撃を止め、次の攻撃に移れるよう再度展開し始める。男の方はというと余裕の態度を崩しもせずに傍付き達に話しかけ始めた。
「アンタら、随分な真似をするじゃないか。俺が何をやったってんだよ。こっちはせっかく出せる情報は出してやったのによぉ。」
「しらばっくれないでください。あなたが私達の一人と連絡を取っていたことは洗い出しました。」
「連絡を取ってたのは事実だが、俺からは話を通せないように万端整えちまったじゃねぇか。俺からの連絡には反応しなかったくせに、散々引っ張り出して挙句の果てに使い潰してポイたぁ、笑わせるね。」
「だから今の事態を引き起こしたとでもいうつもりですか。」
「そんな大層なことは言ってねぇじゃねぇか。運がねぇって話だよ。」
男はそう言うとニヤニヤと笑みを浮かべながら、懐から懐中時計のようなものを取り出してそれをチラリと見る。瞬間、隠蔽で隠れていた傍付きが放ったのであろう矢が四方から男を襲ったが、即座に起動した障壁の魔術が男を覆い、矢を弾く。
弾かれることは想定内であったのであろう、矢が弾かれた瞬間に傍付き達の雰囲気は変わらなかったが、次の瞬間男から発せられた言葉に、傍付き達の顔色が変わった。
「まぁ、過程はどうでもいいんだよ。当代“宵”なんてデカい餌が釣れたんだからなぁ!」
次の瞬間、男の胸元に魔法陣が一瞬浮かび、その魔法陣から矢が男に向けて放たれた。
その次の瞬間には男の手に黒い魔力の塊が浮かび、胸に矢の刺さった男がその塊を握り潰すと、それが薄い靄のように男の体にまとわりつく。
胸に矢が刺さったにも拘わらず倒れる様子のない男に、斬りかかろうと傍付き達が身を沈めた直後、短い呻き声と共にサルビア殿下が倒れ、殿下が自身にかけていた隠蔽の効果が解ける。
動揺したのであろう、傍付き達が即座に男に対して攻撃を仕掛けるが、まるで仕掛けた攻撃が跳ね返って来たかのごとく、攻撃した部位と同じ場所を押さえて蹲ってしまう。
攻撃を仕掛けられた側はというと、浅く傷こそ付いてはいるが、負っている傷は明らかに、仕掛けられた攻撃で付けられたとは思えない位には浅い。警戒し始めた傍付き達に、男はニヤニヤと語り始めた。
「訳分かんねぇよなぁ。理解できねぇよなぁ。それが俺だ。俺の魔法だ。俺の、呪いだ。あの女さえいなけりゃ、今頃こんなトコに流れてきちゃいねぇんだ。“幻の天災”だの、“血涙の巨人”だのと持て囃されて、あんな煌びやかなトコに立ってる女なんていなけりゃ、俺があそこに立ってたんだ。あの女だって俺が好きなように出来てたんだ。俺をまともに見ないやつなんざ!潰れちまえばいいんだ!」
すでに独白のようになっている、狂気の入った男の叫びに、傍付き達は硬直する。男はすぐにサルビア殿下の方に足を向け、傍付き達はすぐさま矢を射かけ、間に入ろうとしたが、男の近くに漂う黒い靄が傷口を覆うと、即座にいくつもの呻き声が上がる。
もはや手の届く距離まで近付き、警戒もあらわに睨みつけるサルビア殿下に、手を伸ばす男。しかしその腕は、灰色のローブを纏った青年に止められた。
「…なんだ、お前。」
憎々しげにこちらを睨みつける男。驚愕と共に目を見開く殿下。その二つの視線を受け止め、男の腕を握った俺は、その名を名乗る。
「…“断罪”。」




