3話
御者の案内で馬車を降り、建物の中へ案内される。ここは探索者ギルドの内部で、勇者殿はその中の一室を借り、ほとんどの時間をそこで過ごしているらしい。やはり思い入れが深いのだろう。そういう状態の人間に、宣告を告げる側の人間としては気が重い。
そしてある部屋の前で御者が部屋をノックし、内容を告げてドアを開ける。部屋に入ると、少しヒヤリとした空気が肌を撫でた。
まず目に入ったのは、部屋の片隅に置かれている、大きな氷の塊。おそらくそれが話にあった、勇者殿の奥方の遺体が中にあるのであろう、勇者殿の作った氷塊だ。周りに少しだけ霜がついている様子で、氷の中の状態はよくわからない。
部屋の片隅に置かれてはいるが、何の変哲もない部屋の片隅にあるだけで異様な雰囲気を醸し出している。
次に、その氷の前にある椅子に座っていたのであろう、こちらに向き直った青年が目に入った。茶髪に碧眼、少し細いがしっかりとした体格の青年だ。
ヴィスト・ラン。今代の勇者だ。聖剣といくつもの魔法を縦横に繰る優秀な魔法戦士だったらしい。勇者契約解除後の今でも奥方の入った氷塊を維持し続けることが可能である辺りでその才能の片鱗がうかがえるが、その顔には少し陰りが見えていた。
「久しぶり。ご飯食べてる?」
「ネル!?」
その勇者に真っ先に声をかけたのはネリシアだった。勇者は驚いたのだろう、ネリシアの愛称を口に出してしまっていた。まぁ、多分王宮から説明の人員をよこされるという話だったであろうから、元パーティメンバーがそこに含まれていれば驚くだろう。
「初めまして、勇者殿。公爵閣下からのご相談を受け、事情の確認と説明に参りました、呪い師のウルタムスと申します。」
「あ、どうも、初めまして。元勇者の、ヴィストです。」
「王宮筆頭魔導師のネリシアです。顔合わせと、万一の事態の対処に来ました。」
とりあえずお互いの自己紹介をする。今回は内容は事情が深刻ではあるが、事態としてはそこまで難しくない。ただ、事実を説明するだけである。
「公爵閣下からお話しいただいた限りですと、死んだ奥方を蘇生する方法がないか、確かめようとしていらっしゃるとか。詳しくお話しいただきたいです。」
「…はい。妻、クリスが、少し前の魔物の襲撃事件で、死んでしまったんです。俺と一緒に、魔物の討伐を行っていたんですが、突出した俺を止めようと、クリスが無茶をしてしまって。」
「そこで、魔物に襲われたと。」
「…はい。かなりの深手で、すぐに町まで戻ったんですが、町の病院に着いた時には…。」
「亡くなっていたと。」
「…町の薬師にも神官にも、諦めるほかないと言われたんですが、勇者としての任務中には、死んでも最後に寄った町の神殿で生き返ってたんです。それで、何か手段があると考えると、どうしても諦めきれなくて…」
まぁ、よくある話だ。なまじ知識として、経験として、生き返ることを知ってしまったからこそ、次も同じ結果を得ようと固執してしまう。それだけ大切な相手だったのだろう。
だが、だからこそ非情にならなければならない。
「口に出しづらいことではありますが、勇者殿のその意向は、叶えることができません。」
「…え?」
「死者の蘇生は、不可能です。」
勇者殿は絶句している。思考が止まってしまっているのだろうか。とりあえず、受け入れてもらおうと話を進める。
「勇者殿の、魔王討伐依頼中は、死んでも最後に寄った神殿で生き返った、という話ですが。」
「…はい。」
「これは勇者としての契約が結ばれていたからこそ、起こりうる現象です。」
「…勇者として?」
「正確に言えば、神殿で勇者として任じられた際、神器の貸与と、勇者としての契約を行ったはずです。」
「…はい。勇者と認められるためには、必要な儀式だと。」
「勇者は基本的に、魔王討伐を主要任務、および最終目的としています。」
「…はい。」
ここまでは受け入れてもらえるだろう。なにせ、自身が体験したことだ。そしてここからが、俺の領分。
「勇者契約は、今でこそ契約内容や術式などが形骸化していますが、発する効果はすべて、魔王を倒すだけのために、機能が集約しています。」
「…はい。」
「経験と知識を受け継いだ状態で生き返るのも、魔王と戦った記憶を、魔王討伐に経験として活かすためです。」
「…勇者契約ができれば、生き返るんですか?」
「…契約は、相手が生きていることが前提です。」
「なら、なんとかして魂を呼び戻して…」
「勇者殿。…残念ですが、奥方を生き返らせることはできません。」
「何でですか!?」
「勇者契約は、魔王討伐のためだけに存在する魔術です。今は契約を行うことができませんし、契約を行える状態だったとして、すぐに行うこともできません。」
勇者契約とは、魔王討伐が社会的に必要とされていた時代、何とかして魔王を討伐するために、複数の種類の魔術効果を組み合わせることで編み出された魔法だ。魔王討伐を成し遂げるため、契約者にはいくつかの手順を踏むことが要求される。
まず初めに、神器の貸与を行うと同時に、魔術紋を勇者およびパーティメンバーに記す。これは契約を行った後、実際に勇者としての証明として有効となる、多くは手の甲に記される紋章だ。
次に、勇者として契約したことを各国の神殿に立ち寄り報告、神殿で儀式を行ってもらうことで、勇者としての権能を強化する。これは、勇者としての権能や技能を確実に上げていくために必要となる手順だ。
最後に、魔物を倒す。これは魔物を倒し、依頼を達成することで、勇者自身が路銀を稼ぐことに役立てる以外にも、依頼を受けた場所周辺に、勇者の助力を得られる地域であることを宣伝することになり、勇者の活動領域には多くの人が集まり、多くの助力を得られるようになる。
これらの手順を踏むことで勇者としての契約が少しずつ強固なものとなり、魔王討伐を成し遂げるための実力をつけることができるようになるのだが、ここには勇者契約が勇者契約として成立するための、かなり巧妙な仕掛けが含まれている。
まず一つ目として、勇者であることを証明するための魔術紋。これは元々勇者であることを証明するためのものではなく、勇者契約を行った者の魂と肉体の情報を記録し、限界を超えて強化するために必要な術式である。この紋章は契約者の能力の成長および強化を補助するための機能を持っており、契約者の肉体を保護するためのものでもある。
これを記した者が魔物を倒し、経験を積むことで、紋章が記された者の強化を、意図的に行えるようになる。つまり、剣術を振るい魔術を使えば、それに見合った技術が身に付く。その状態を魔術紋が記録し、意図的に成長を促進することで、通常の人の数倍の速度でその戦闘技術を向上させていくことができるようになる。
そして二つ目として、神殿での儀式。これは勇者としての能力を強化するためのものではなく、勇者としての権能を保護するためのものだ。具体的には、神殿で儀式を行うことで、その神殿には最後に勇者が儀式を行った時点での魂の状態や身体能力が記録される。
その状態で、魔術紋が記された者が死んだ場合、死んだ状態で魂が体から離れる直前に魔術紋は効果を発揮し、最後に状態を記録した神殿に肉体ごと呼び戻されるのだ。
これは元々魔物の使役術や、召喚術を利用した契約術から派生した技術で、最後に儀式を行った神殿にある程度の情報を残しておくことで、魔術紋が効果を発揮する瞬間に共鳴し、二つの地点を即座に結ぶことができるようになる。
これを利用することで、魔術紋が記された者の魂と肉体が神殿まで転移される。そして魂が転移した直後、魔術紋が記された者の肉体が著しい損傷を受けていた場合は、儀式を行った神殿側の情報に基づいて、肉体が神殿側に記録されていた状態まで修復される。
これが勇者契約を行っていた者が、最後に立ち寄った神殿、正確に言えば儀式を行った神殿で生き返る理由だ。そしてこの術式を起動し、維持し続けるために、勇者契約を支持する国は、勇者に関する諸条約を締結している。
俗称は、勇者条約。これを締結した国において、勇者はある種の特権階級となり、様々な恩恵を受ける代わりに、魔物の討伐などと言う形で一定の義務を負う。そして国は魔法陣を起動し続けるための魔力を一定量確保し続けるために様々な手法で魔力を徴収し、また勇者が必要としたときに魔力を供給する義務を負っている。
「ただ、勇者条約は、魔王が出現した際、勇者を擁立するために協力し合うことを目的として結ばれている条約です。昨年目的は達成され、現時点で魔王出現の報告は上がっていません。」
「…………」
「国として、そんな状態で勇者契約を持ち出す必要がありません。また契約したとして、契約した時点での情報が記録されるだけです。蘇生には至りません。」
「……勇者契約中に最後に寄った神殿に、記録されている状態まで、戻すことは?」
「魔王討伐が成った後、神器の返納と勇者契約の解除をもって、全ての神殿に記録されている魂と肉体の情報は破棄されます。昨年の儀式の際、全ての情報は破棄されていますから、戻せません。」