11話
その後、部屋を訪れたメイドに、男性の介助を頼んで部屋を出た。俺のかけた忘却の呪いは一番強いものから一段階だけ弱いもので、かけられた直後から自失状態が続き、今後は何を見ても何を聞いても、反応できないという状態が続く。息をする、歩くなどと言った、生きるにあたって必要な動作だけは忘れられないものの、自身に関する一切の記憶を忘れ、道具を正しく使うことすら難しくさせる代物だ。
当然そんな状態では、誰であろうと介助なしには生きていられなくなる。今後あのロッカーズと名乗る男が、自発的に何かを成すことは不可能になった。
結果として俺は多少の予定の遅延はあれど、その日のうちにオアシス巡回を再開できる準備を整えられたわけだ。大いに胸を撫で下ろしつつ、殿下に準備が整った旨を報告。馬車の準備は既に整っていたようで、すぐに出発となった。
時刻は既に昼頃。気温はそこそこ暑いといえるものだが、活動に支障をきたすようなものではない。騎士たち三人も機嫌よく案内や護衛を務められると軽快に笑っていた。
そんな状態が破られたのは、先のオアシスを発った直後だ。俺が念のため展開していた探知の魔術に反応があり、次いでしばらく後に騎士たちから、接近する武装集団ありとの報が届けられる。
目視で確認できる限りだと数十人規模、探知の魔術ではそれ以上の数が見受けられる。どう見ても敵性、遠目にも武装をしていることが分かる以上、非常に不穏なことは自明だ。
ただ不可解なことに、おそらく戦士を数人積んでいるのであろう馬車には、ベルクールと書かれた紋章が見えたとのことだ。ベルクールと言えば先程忘却の魔術をかけた相手の姓だったことから、何かしらの仕掛けを行っていたものと思われる。
しかし俺の使った忘却の魔術は不可逆性が強く、忘却の術で忘れたことを思い出すということは理論上ありえない。何らかの形で事情聴取は必要だな、と思いつつ、護衛の騎士には先に次のオアシスに向かってもらうよう言い伝え、俺は走る馬車から飛び降りた。
走る馬車と言っても、急ぐ旅路ではなかった関係上、馬車の出すスピードというのは魔導列車などとは比べ物にならないほど遅い。下が砂地であるという点を考慮しても、きちんと走りつつスピードを緩めていくことで慣性のスピードを殺し、追いかけてくる武装集団を待ち構える。相手はこちらから見て、扇形に展開している状態だ。
武装集団はこちらを無視して馬車を追いかけようとしたのだろうが、俺が何かしら術を仕掛けてくることを予想したのだろう。中央集団から声が飛び、周囲の集団が一斉に矢を射かけてきたため、すぐさま障壁の魔術で防御する。お返しとばかりに山のように氷の矢を作ってばら撒くように撃ち出すと、魔術に対しての構えをしていなかったのであろう、数名が矢を受けて落馬する。
しかし全員が矢で倒れるわけでもなく、魔術を予期していたのか障壁を張って防御する集団も見て取れる。さすがに討ち取れはしないか、などと思い直し、即座に次の魔術を構築。かなり大きめの流砂を敵後方にある馬車の進行方向に設置し、そこに追い込むように竜巻の魔術を構築する。
「爪竜!」
俺の起動した魔術は襲撃部隊(と言っていいだろう)の左翼を襲い、かなりの数の兵が馬ごと吹き飛ばされ、傷を負う。敵右翼はそれを見て警戒したのか散開しようとしたが、そちらにも同じ魔術を起動し、全部隊を先程設置した流砂に追い込むように吹き飛ばす。
しかしここまでで、デザートリザードの変異種を狩った際の魔力消費と合わせて、七割ほどの魔力を消費している。これ以上の消費はあまり望ましくないな、などと思いつつ、次の魔術を準備する。
幸い、両翼を引っ掻き回したことで俺への警戒心を強めたか、敵は俺を先に仕留めようと動き始めている。このまま進めば敵の馬車が流砂に飲み込まれるため、撤退を装いつつ牽制とばかりに近寄ってくる敵に氷矢の魔術を立て続けに放った。
そして敵の馬車が次の手を打とうとしたのか、中央から声が飛んだ瞬間。設置された流砂に馬車が飲み込まれ、敵の指揮の声が驚愕に包まれる。すぐさま探知の魔術を使って敵の陣容を確認。敵の両翼は先程吹っ飛ばした後、立て直しに時間がかかっている。中央は流砂に飲み込まれたためしばらくは動けない。距離を置いて前方に暗殺者などの類の気配あり。数…四。
次の瞬間、隠蔽を貫いて察知されたことに気付いたのであろう。暗殺者が同時にとびかかって来た。距離はそこそこ開いていた場所から、体術を使ったのであろう。連携し、高速で斬りかかってくる。
即座に魔法で身体能力を強化し対応する。一人目は腰から抜いたメイスで武器をいなし、メイスを抜いた腕を狙ってくる二人目を狙って、左手で作った氷の矢を撃つ。右手で握ったメイスを捨てつつ左手側で立て続けに、今度は氷の槍の魔術を構築し、左手側から来る敵に向かうや否や、魔術で作った槍を使って斬りかかると、相手は虚を突かれたのか一旦下がった。
しかし四人目が即座に背後に回り、即座に槍を振り回す要領で薙ぎ払いをかけ、後ろにいる相手二人に攻撃。相手は即座に反応したのだろう、武器ごといなされた一人目と共に斬りかかってきた四人目は、二人とも薙ぎ払いをかわして即座に襲い掛かる構えをとる。
即座に連携してかかってくる辺り相当場慣れしている様子だ。そこまで時間はかけない方がいいと判断し、即座に次の魔術を構築。魔力残量が怪しいが、手間をかけてもいられない。
奥の手を起動したところで、敵の部隊が流砂を逃れてこちらに来たようだ。近付いてくる集団のうち、身なりのいい一人が、こちらにニヤニヤとした笑みを浮かべながら話しかけてくる。
「…やれやれ。随分と手間取らせてくれましたね。本当に厄介ですよ、私の部隊をこんなに引っ掻き回してくれるとは。」
「お互い同じことを思ってるようで何よりだ。仲良くしたいわけでもないんだから、退いてくれれば助かるんだがな。」
「そうはいきませんよ。商会の副会長として、長をグダグダにされたらやり返すしかないでしょ?」
「仕掛けてきたのはそちらが先だぞ。やり返されるとは思わなかったか?」
「どちらが先とかどうでもいいんですよ。勝った方が残るんだから。」
そういった瞬間、相手の生存者十数人がこちらに武器を向ける。暗殺者もすぐにでも飛び掛かれる構えだ。こちらは魔術師一人、大した魔力も残っていない。並の魔術師なら成すすべなく蹂躙される展開だろう。
さて、と副会長を名乗った身なりのいい一人が一息入れた瞬間、敵の魔術師も魔術を準備し終えたらしい。火の玉などが周囲に滞空し始める。
「やれ」
そう指示を出した瞬間、滞空していた魔術師の魔術が消えた。
驚愕しつつ周囲を確認する魔術師を尻目にクロスボウを持った者が矢を射かけてくるが、すぐさま障壁の魔術により阻まれる。
次の瞬間副会長の合図を待っていた、剣を持った者や暗殺者などが連続して俺に攻撃してくるが、障壁を軽く叩く音が響いて終わる。連続して攻撃する者もいれば、すぐに違和感に気付いて障壁から距離をとる者など様々だ。
すぐに退いた者、連続して攻撃しても破れない障壁、魔術師は魔法を撃ちかけない。副会長は一人の魔術師をここまで倒せないものかと業を煮やしたのかイライラし始めているが、暗殺者も武装した連中も、どんどん違和感に気付き攻撃を取り止めていく。
普通は至近距離まで接近された兵士に対して、魔術師は対処法を持たない。障壁の魔術は受けた相手の攻撃が強ければ強いほどその魔力を消費し、魔力が尽きたり、とっさに魔力で補強できる強度を超えたりすればすぐ割れる。
ゆえに大抵の場合、至近距離での戦闘に持ち込んだ時点で魔術師側の敗北は確定するため、副会長は沈まない俺に苛立っているのだろうが、俺とて伊達に平民でありながら、王宮の呪い師に抜擢されるわけもない。
「怠惰なる精霊たち」
術名を呟いた瞬間、周囲の魔力がうねりを上げる。魔術師は自分の魔力が俺に利用される感触に総毛だったであろう。一歩後ずさるも、俺の次の手は止まらない。
「剣装」
次に呟いた術名で、骨の巨人が俺の展開した障壁から生えるように出現。一息に副会長に左手で掴みかかり、副会長は悲鳴を上げつつ骨の巨人に胴体を握られる。周囲の暗殺者や武装集団は、腰を抜かすか逃げ始めている有様だ。
とりあえずそちらの対処は後回しだ。副会長だのを捕まえた時点で、敵にとっての身内なら、呪いを使えばどうとでもなる。
「さて、副会長とやら。命を燃やす覚悟はできたか?」
「待て!待ってくれ!頼む!話すから!これからはあんたに従おう!言うことにはすべて従う!だから待ってくれ!殺すのだけは!」
「殺す?あぁ、まぁ、必要ならそうかもしれないが、そんな勿体ないことできないだろう?」
絶句する副会長に、俺は微笑みかける。
「とりあえず話そうか。二度とこんなことを、起こせなくなるように。」




