10話
「お早いお戻りでしたね。見つかりましたか?」
オアシスに戻ると、護衛として付けられた男性の騎士が隔意なく話しかけてくる。反応を見る限りだと、そこまで不穏な気配はないようだが、嫌な気配が薄く漂っているのが分かる。
何かしら仕掛けられたか、と思いつつも表面上は平静を装いつつ、相手の仕込んだものを探す。しかし目の届く限り、何も変わった点は見当たらない。
「ギルドのささやかな依頼を達成した程度ですよ。こちらは何か変化はありました?」
「いえ、誰も来なかったですからね。」
一瞬嫌な気配が強まったのを感じ取ったが、仕込まれた原因が見つかったわけではない。だが、何かしらの呪術あるいは錬金術だろう。男性騎士の肩に手を置き、魔術を連続で起動する。
「浄呪、解毒、削毒。…よし。ちょっと質問に答えてくださいますか?」
「……っ!?………え?今、何か?」
「ちょっと気になったことがあったので。私がいない間、誰か殿下の部屋に来ましたか?」
「…えぇ、はい。給仕が、水をどうぞと一回。その少し後、この宿を紹介したという商人が、お供の方がまだしばらく戻らないようであれば、ぜひ一緒に食事をしたいと訪ねてきましたね。」
「そのお返事は?」
「その方が戻ればすぐに発つ予定ですと一旦は断っていたのですが、商人の方が是非にと強く出てきまして、そうであれば、しばらく後に向かいます、と殿下が了承なさいました。」
「殿下は既に部屋を出られましたか?」
「いえ、そろそろ部屋から出てこられるかと。」
「殿下との面会は可能でしょうか?」
「えぇ、問題ないはずです。」
嫌な予想の通りになってしまったが、最悪の状況にはなっていない様子だ。一安心しつつも、殿下の部屋のノッカーを鳴らし、返事を待たずに入室する。
部屋の中に入って感じたのは嫌な空気と、どこかボーッとした感じで椅子に座って窓の外を眺めるルリミアーゼ殿下、そして同じように気力が抜けたように殿下の傍らに立つ、二人の女性騎士。
部屋の中で嫌な気配を漂わせているのは、殿下の机に置かれている水差しとカップ。おそらく中身は水だろう。
変に事態を長引かせるつもりもない。水差しとカップの中の水に念のため浄呪をかけてから窓の外に捨て、次いで殿下の肩に手を置き、先の男性騎士のときと同様に魔術を起動してから、殿下に話しかける。
「浄呪、解毒、削毒。…殿下?」
「……はい?あ、戻られたのですね。いかがでしたか?」
「おかげさまで、差し障りなく。ところで、何かお考えの様子でしたが、何かご不満が?」
「…え?いえ、特には…。あれ?なんでこんなにボンヤリと…」
そう言いつつ、ぼんやりとした思考を振り払うように顔を左右に振る殿下。どうやら、詳細な事情は殿下から確認はできないようだ。少し考えた後、口を開く。
「殿下、申し訳ありませんが、もう少し席を外してもよろしいでしょうか?」
「…え?何かあったのですか?」
「ギルドから受諾した依頼についてなのですが、討伐したデザートリザードが変異種でしたので、その報告と詳細の確認のために、少しギルドに連絡を行いたいと思いまして。」
「デザートリザードの変異種と言えば、確か鱗や表皮の魔力による変位燐光で有名な素材ですよね。皇宮でもデザートリザードの変異種の鱗や皮で作られた装飾品は重宝されているものですが。」
「えぇ。皮や鱗の買取について、少しギルド側と交渉すれば、殿下の魔道具を作る際に使えるかもしれませんので。」
「…そういうことでしたら、構いません。…そうなると、サバクハスの花を見に行くのは、少し遅くなりそうですね。」
「はい。私の都合で殿下にお手間を取らせてしまい、申し訳ありません。」
「いえ、私の魔道具のことを思ってくださってのご提案ですから、気にせずに時間を取ってください。」
「ご配慮、ありがとうございます。すぐに戻ってまいりますので。」
とりあえず差し障りのないことを言って誤魔化す。このうち、殿下の魔道具にデザートリザードの変異種の皮が使えるかもしれない、というのは本当で、デザートリザードの変異種を仕留めた、というのも本当。
明言した内容に嘘である部分はないが、俺がデザートリザード変異種の存在を知らなかったように装うことで、知らなかった点についてギルド側と連絡を取り合う必要が出てきたと勘違いするように言葉を選んでいる。
これで表向き、使者と連絡を取り合うという体裁を整えることで、このオアシスにしばらく滞在する理由が出来た。部屋にいる女性騎士二人にも順に、殿下にかけた浄呪、解毒、削毒を同じようにかけ、二人の意識がハッキリしたところで、改めて殿下の護衛を引き続きお願いする。
念のため殿下と女性騎士二人に話を振っては見たが、商人との会談については女性騎士二人にも殿下にも覚えがないようで、商人が何かしら仕込んだのだろうと推測。もし使者が来ても、商人との会談は断るように話を通した。
これで俺が多少動いても何ら怪しまれることはない。相手の動きを見る限り、相手は自分に有利なフィールドに対象となる者を誘い込むことを主体としているようだ。俺が殿下の傍を離れた時間で殿下に複数回の仕込みを行っている辺り、相当にこの手の戦術には自信を持っているらしい。
こういう戦術は仕込み方次第では浄呪だけで解除できなくなる場合もあるから、最悪の場合は相当感知能力に長けていない限り気付くことも出来ず、気付いたとしても対抗手段を持っていない限りなす術がないという特性もある。自信をもって大胆な策を打って来るのは仕方ないだろう。
しかしこの手の類の呪いの常として、効果を発揮させ続けられる時間はさほど長くはない。効果を発揮させ続けるには、しばらくの間同じ呪いを同じようにかけ続ける必要が出てくる。そうなると、やはり相手に主導権を与えては不利になるだけだ。早めに対処するに限る。
部屋の外に出て男性騎士に、商人との会談はキャンセルする旨を伝えようとしたところで、その商人からの使いを名乗るメイドが部屋を訪れたので、男性騎士には部屋を守るように頼み、俺自身は断りの旨を商人に伝えるためとメイドに同行した。
メイドはある部屋の前で止まり、ノッカーを鳴らして入室し、俺を部屋に招き入れる。俺が部屋に入ると同時にメイドは退室し、部屋の中には壮年の男性が一人だけ。長いテーブルに皿が並べられているのを見る限り、食事の方は連絡が入り次第部屋に運ばせる用意が出来ていると見ていいだろう。
男性は恭しくこちらに頭を下げ、丁寧に名乗ってきた。
「これはこれは、招待に応えていただき、誠にありがとうございます。私、ベルクール商会にて商会長を務めさせていただいております、ロッカーズ・ベルクールと申します。ルリミアーゼ殿下は先程お会いした際にはお変わりないようでしたが、ご容態はいかがでしょうか?」
「先程安定した。おかげさまでな。ここにはその連絡と、今後について相談しに来た。わかっているな?」
俺がそう言うと、ロッカーズと名乗った男は取り繕うように、少し早口に話し始める。
「…えーと、何を話しているのか判断しかねます。少し頭を落ち着かせたいので、呪い師様もどうぞ。」
そう言って自分の手元にあるカップに、近くにある水差しから水を注いで飲む。続いて新しいカップに水を注ぎ、こちらに差し出してきた。
しかしこちらとしてはそんな茶番に乗る理由もない。
「呪いだろう?その水差し。もっと細かく言うなら、水差しの中の水に溶かしてある触媒か。…レモンかライムか、何らかの果汁だ。」
「……そうですか。しかしそうとお気付きのうえで、なぜこちらにお一人で?」
嫌な笑みを浮かべつつ男性はこちらに話しかけてくる。自分が相手に絶対的なアドバンテージを持っていると確信している表情だ。
「貴殿との今後の付き合いを遠慮させていただく。理由は分かるな?」
「それは難しい注文ですね。しかしそれができないことは、貴方も分かっていることでしょう?なにせ、私が居なければ、殿下は二度と元には戻らないのですから。」
「元に戻す気の欠片もない者が良く言う。」
「それは仕方ないでしょう?私とて貴族様のように身代が大きくはありませんからね。わが身の安心を確保するのに一苦労ですよ。」
しかし、つくづく思う。相手が商人でよかった。
「その身の安心に、皇宮を巻き込ませるわけにはいかん。既に殿下にかけられた呪いは解除した。お前は用済みだ。」
その言葉に何らかの考えが及ばなかったのであろう、意表を突かれた表情をしている男に、俺は一瞬で構築した忘却の呪いをかけ、気を失わせた。
「もう二度と会うこともない。お前である全てを忘れろ。」




