2話
「しばらくぶりだね。元気そうで何よりだ。」
「ご無沙汰しております。公爵閣下も、お元気そうで何よりです。」
王都ガラトールの貴族街にある邸宅の中、公爵の私室にて、俺はクロークス公爵閣下と言葉を交わしていた。知らない仲でもないのは、元々この貴族の家のメイドとして働いていた娘が当主に見初められて妾となり、当主が妾の産んだ娘を当主のコネで城の小間使いとして働かせた結果、いつからかその娘が俺の近くに侍るようになってしまったという経緯がある。
それから時々些細な用事で面会する機会があるのだが、どうにも当主は俺との関わりを好いてはいない様子。敵対的という訳でもなさそうなのだが、いかんせん距離感がつかめないから個人的には微妙な相手ではある。
彼女がきちんと働いていることを伝えると喜んでくれるから、あまり難しい相手ではないのだが。
「それで、本日はどのようなご用件でしょう?」
「あぁ、詳しい話はあまり外に漏らしたくないから呼びつけてしまったが。勇者殿の話は、小耳に挟んでいるかな?」
「昨年魔王討伐を成し遂げられ、凱旋の行進と神器の返還の儀式が行われましたね。今は隠棲しているという話を聞いています。」
勇者。定期的に表れる、人族の中でも特に戦闘能力に秀でた者のうち、人族の国に悪影響を及ぼす魔王およびその配下を討つ任務を受けるものの総称だ。神殿から神器を借り受け、勇者契約を結ぶことで、様々な恩恵を受けることができるようになる。
詳細については割愛するが、基本的に魔王を討ち、神器を返還した後は、任務達成時に得た報酬を元手に田舎に移り住むことが多いらしい。たしか今代の勇者殿たちも、一旦勇者の勇名を利用しようとする輩から距離を置くため、隠棲していると聞く。
「公には秘匿しているが、実は勇者殿が隠棲している町が私の領地にあるんだ。」
「なるほど。しかし、それが依頼に関わってくるとなると、勇者殿に何かあったのですか?」
「まぁ、勇者殿は無事なのだが、一悶着あってね。呪い師として、勇者殿の鎮静化に助力、もしくは助言してもらいたい。」
詳しい話はこうだ。勇者殿は魔王討伐任務が成った後、公爵閣下の領地にある町に隠棲、細々と暮らしていたのだそうだが、ある日その町の近くで魔物騒ぎが発生した。
探索者ギルドにて依頼を処理していたところ、どうしても近隣の探索者で対処できない強力な魔物の存在を確認、困り果てて他の支所に救援依頼を出そうとしたところで、勇者殿が名乗りを上げた。
結果として問題となる魔物を勇者殿が討ったことで魔物騒ぎは早期に収束したのだが、被害は甚大で、勇者殿の縁者を含む複数人が帰らぬ人となった。探索者ギルドとしては事態の鎮静化のためにも調査を行ってはいるのだが、原因となった魔物の縄張りには近付くことができない者が多く、いまだ完全に鎮静化したとは言えない状況が続いている。
一番望ましいのは勇者殿が調査依頼を達成することなのだが、勇者殿に同行できる腕を持つ探索者が近場におらず、また勇者殿もとある理由から、積極的に町の外に出ようとしていない。
探索者ギルドとしては勇者殿の行動に同行できる者を確保したいとの意向が強いが、本質的に一番必要なのは、魔物騒ぎがあった町周辺の調査に関する依頼の達成。
「勇者殿は、あまり調査に乗り気ではないのでしょうか。」
「そうだな。報告によると奥方を亡くしているらしい。恐妻家だったそうだが、仲は決して悪くなかったと。パーティメンバーとしても頼れる仲間だったそうだ。」
「そういうことですか。だとすると、勇者殿に無理に依頼を達成してもらうよりも、別の探索者パーティに依頼して達成してもらう方が安全かもしれません。」
「そう出来るのであればありがたいが、勇者殿からは同行者の確保に関して、相談したいことがあるという話を受けているんだ。むしろこちらの話が、君に対応をお願いする理由だ。」
「…どういうことでしょう。」
「…死者の蘇生。奥方を蘇らせる方法について、相談を受けている。」
「不可能ですよ。勇者契約が生きている時期ならともかく、既に勇者契約は終わっています。」
「その詳しい理由というのを、勇者殿に説明してもらいたい。魔王討伐任務中は死んでも神殿で蘇っていた、今回も何か手はあるはずと、勇者殿は言い張っているそうだ。」
思い返せば理不尽なことを言い張る勇者殿がいたものだ、と俺は溜息をつく。大事なものは失ってから気付くという話を聞いたことはあるが、恩恵を受け続けている状態から抜け出すと、恩恵のない普通の出来事を受け入れられなくなるのだろうか。
何はともあれ、不可能なことは不可能だ。そういうことで俺は会談から四日たった今、公爵閣下の準備した旧式の馬車で勇者殿の住む町に、同行者と共に向かっているところだ。
勇者殿の奥方の遺体は勇者殿自身が氷の魔術で状態を保存しているとのことだが、そのせいで勇者殿自身が奥方の近くを離れられないのだそうだ。
場合によっては、今いる俺の同行者と共に、調査依頼を受けることになるだろう。まぁ、あまりに切羽詰まっていない限りは、公爵閣下が人員を用意してくださるはずだが。
「辛気臭いため息ついて、どうしたの?」
「勇者殿の説得材料が、理論で殴るしかなくなりそうで、憂鬱。」
「まぁ、そうだよね。私だってわからないことを知ってるウルが異常だし。」
「下手に公にできないから、知らないことはおかしくないんだ。知ってても何もできないけどな。」
「ま、何とかなるんじゃない?仮にも勇者だし、奥さんを馬鹿にはできないよ。」
そんなことを軽く言う人物が、馬車内にて俺のはす向かいに座っている。肩口で揃えられた銀髪に、紅玉のように澄んだ瞳をもつ美女だ。服は上位の魔導師らしく質のいい真っ赤なローブを羽織り、常は目深に被っているエナンとか言うつばの広い帽子を、今は膝の上に置いている。
この美女はネリシアといい、今代の魔王討伐パーティの元メンバーであり、王宮筆頭魔導師という職に就く女傑だ。魔導士ということで、自尊心の高い貴族が俺を貶す際に比較対象とされることが多いのだが、実は昔のちょっとした依頼で関わって以降、俺とはそれなりに交流が続いている間柄でもある。
今回勇者殿の説得に伴い、真っ先に思い浮かんだのがネリシアの確保だ。同じパーティメンバーから見た勇者殿の性格を聞いておきたかったし、最悪勇者殿を調査に動員できない状態になっても調査の人員として考慮できるようになる。
俺自身がネリシア以外の魔王討伐パーティメンバーと連絡を取る手段を持っていなかったというだけではあるのだが、今回は快諾してくれたようで助かった。さすがに話をした直後に二つ返事でOKというのは早すぎるが、おそらく公爵閣下が水面下で手を回してくれたのだろう。
「でも今回、本当に戦わなくて大丈夫なの?」
「一応公爵閣下にも確認した。今回は勇者殿の説得が第一。説得の結果、勇者殿がどうなるかが読めないから、結果次第で別の調査パーティを派遣してくださるそうだ。」
「そっかー。まぁ、調査だけならウルと私の二人でも大丈夫じゃない?」
「絶対にやめてくれ。勇者殿の所在が極秘ということもあって、今回は表立った報酬が出せないんだから。」
「あ、そっか。今回の報酬、表向きは私的な付き合いに対する寄贈とかだったよね。」
「町一つくらい吹っ飛ぶからな、王宮筆頭魔導師に正規の報酬払おうとすると。」
何せ、王宮筆頭魔導師の調査結果ともなれば、王国のお墨付きとも言っていい信頼性がある。信頼してもらう必要があるという点では問題がないのだが、今回は主要な街とは言えない規模の町なのだ。正規の手続きを踏まない依頼であるため、ネリシア以外の同行者がいないのはむしろ都合が良かった部分もある。
そういう意味では同行者に魔王討伐パーティのメンバーが増えることは密かに懸念していたのだが、ネリシアの方は他のパーティメンバーと連絡を取っていなかったらしい。どのみち調査が主体なのだから、場合によっては戦闘を回避する方針でも問題はないはずだ。
「そういえば今回、ウルの方から報酬もらえないよね?」
「…魔道具の類でも渡す。要望があれば言ってくれ。」
「じゃ、貸し一つね。どうやって返してもらおうかなー。」
「聞けよ、人の話。」
そう言ってわざとらしく満面の笑みを浮かべるネリシアに言い返す。大抵のモノは金を積めば手に入る立場の人間だと、報酬を用意するのが本当に大変なのだ。下手に貸しを作ると何をさせられるかわからない分、早めに報酬を用意して先に渡しておくべきだろう。
そんな軽い雑談を何気なく交わしていると、馬車が目的地となる町に着いたらしい。窓から目に入る風景が変わり、とある建物の前で完全に止まった。