1話
呪い師、という職業を知っているだろうか。
古くは治癒師、祈祷師などとも同一視されていた、昔ながらの職業だ。
なにか妙なこと、変なことがあった場合。具体的に言えば、人の手に負えない不思議なことが起こった時、それをいくつかの知恵や経験から紐解き、その解釈を説明し、どのようにすればそのような状態から逃れられるかを考え、ときに実行するという職業だ。
これは現在でいう魔術や治癒術などといった技術が確立する以前に呼ばれていた区分だから、当然今のご時世でこんな怪しげな職業を公に名乗ったところで、信用されはしない。
なぜなら、昔ながらの知恵と言うのは、根拠に基づいた事象を元に対策を講ずる現在の知識や技術とは違い、ろくに推敲もされていないような俗説や伝承をそのまま語り伝え、過去の知恵として崇高な教義とでも言わんばかりに掲げるようなことも昔は多かったからだ。
当然、現在の魔術や治癒術、錬金術といった魔法が台頭してくると同時に、過去の栄光に威を借りてそれらを叩き潰しにかかった職業の筆頭でもある。
まぁ、それらとの技術競争の末、敗れ去ったがゆえに、この職業はあまり公にはなっていないのが常だ。
まず、やっていることが常人に理解しづらい。現在の魔術や治癒術とは違い、当時流行していた、もしくはパッと考え付いたであろう、現在は意味がないと分かりきっている行動に固執している。こんな行動を勧めるような輩は、現在では真っ先に淘汰されるだろう。
次に、過去の栄光に威を借りて現在の技術を貶すような、古臭い考え方に固執した人間が多く所属していたのだ。必然的に、勝利した側とてそんな職業など、押しのけることはあれど助けようなどとは思いもしないのが普通で、必然的に衰退する。
最後に、呪い師が呪い師という職業を名乗ってやってこれた最も大きな理由は、呪い師が「こういうことをしたから安心しなさい」と権力者の背中を押す、言ってしまえば強い権力をもつ者に深く取り入り、不安を取り去る役割を持っていたから。権力者の方が呪い師を疑い、もっと根拠ある技術を優先させてしまえば、当然呪い師はその立場を失う。
つまり、この呪い師という立場は、古くは権力者の側近としてその名を売る必要があった職であり、権力者の不安を取り除く役割として機能していたということだ。不安に思う者の不安を取り除き、憂う者の憂いを一時的にでも拭う。こう考えれば、この職業についての来歴にも少しは興味をもつ者が増えるだろうか。
俺自身としては興味をもってもらう必要もない気がするのだが。
なぜならば。
「此度は呪い師様に、とある美術品をお持ちしまして…」
こんな怪しげな職業に関わることが、真っ先に必要となる職業だからだ。
俺の今の職は、王宮雇いの呪い師。王が直々に雇った、王宮に関わる魔術的なものを管理する立場だ。具体的な名目は魔術的なものに対する、王の護衛と身辺警護が主だが、時に護衛や毒見など、幅広い知見を求められる。
ゆえに、商人が王宮に何かしらのものを持ち込むなどするときには、検査という形で必ず俺の目を通す必要がある。食料品だろうと美術品だろうと、王宮に不穏なものを持ち込ませるわけにはいかない。
ゆえに。
「貴殿には申し訳ないが、王の側近として貴殿の扱う品を王宮に持ち込むわけにはいかん。すぐに持ち込んだもの、全てを持ち去ってもらおう。」
怪しげ、というだけで全てを疑うわけにもいかないが、これまでの知見から、王に対して害意のあるものを持ち込む者を、容易に王宮に入れるわけにもいかない。
出会い頭に商会の主と名乗った目の前の人物は、こわばった状態で必死に笑みを浮かべようとしたような表情で続ける。確かに、普通の者であれば特に引っかかるようなことはなかっただろう。
「…な、なにか不快なことでも?当商会は確かに、新進気鋭の美術家を多く雇っているため、多少変わった品も多くございますが…」
しかし、相手が俺であったのが運の尽きだ。
「まず、そちらの一番大きい油絵とおぼしき荷物だが、いくつか不穏な魔術がかけられている形跡がある。触媒となったのは塗料か、もしくはキャンバスかは不明だが、複数の呪いをかけられたものであることは間違いない。魔術隠蔽もされているから、よほど中身を隠しておきたいらしいな。まぁ、どれも呪いの類だから隠したいというのもあるだろうが。」
硬直する商会の主。しかしそれだけで止まると思ったのならば甘すぎる。
「次に手前に並べられた同じ意匠の花瓶だが、錬金術の触媒に特有の魔力を持っている。この類の触媒は並べた内部を結界とし、内部の魔術効果を引き上げる。数が増えれば増えるほどに効果は上がる。呪術効果とて例外ではない。」
俺の言葉を受けて、検査のための荷物の積み降ろしをしていた商会の手の者たちも動きを止めている。反応は何も知らなかったであろう者のそれだが、そこに気を払って王宮を危険にさらすわけにもいかない。
「最後に、貴殿が懐に忍ばせている小瓶だ。おそらくは黒魔術。帰り際にでも中身をどこかに撒くか、検査の終わった品にでもふりかければよかったのだろうが、触れたものを長く蝕む、毒のような効果を持っている様子だ。王宮にこのようなものを持ち込んだこと、王に対する不敬罪で締め上げてもよいが?」
検査が終わり、野暮用で少し時間は空いたが、搬入されたもののうち、持ち込みを許可したものをすべて王宮の兵士と小間使いに引き渡し、奥に引っ込んでようやく一息ついたところで、俺は大きく息を吐いた。
「まったくあのエセ商人、面倒な仕事を増やしやがって。」
野暮用というのは先程の商会の主を自称する者の対応だ。予想通り小瓶の中身をぶちまけて帰って行ったのでサッサと片付けたのだが、後始末が異様に面倒くさかった。
しかしある程度イレギュラーな仕事も片付いたおかげで、今日一番の大仕事だった物資の検査と搬入は完了。今日入っている予定はというと、とある貴族との晩餐会も兼ねた面会予定が一件。呪い師としての知見を借りたいらしいが、詳細に至っては直接話したいとのことだ。
しばらくの間急ぎで作業する必要はなくなったらしい。ここで貴族であれば使用人にお茶でも入れてもらう所なのだろうが、あいにく俺は貴族でもないので自分で茶を入れる必要がある。湯を沸かそうと魔道具を起動し、茶葉を用意したところで来客を告げるノッカーの音が響いた。
入ってきたのは一人のメイドだ。よく俺の部屋への使いを頼まれるのか、もはや顔なじみになってしまっている無表情な女性だ。部屋に入ってすぐ、一礼して声をかけてくる。俺はというと、お茶を入れる必要もなくなったので魔道具を止め、外出の準備をし始めた。
「ウルタムス様。本日面会予定のクロークス公爵閣下からの迎えの方が、北門にいらっしゃいました。出立の準備をお願いいたします。」
「わかった、すぐに行く。…公爵閣下から、君をぜひ家に連れて来てくれと手紙で相談されたんだが、実家に顔を出す気はないのか?」
「…貴族の事情ですから。私は今の立場で十分に恵まれていますので。」
「わかった。忙しいとでも伝える。」
「ありがとうございます。」
確かこのメイド、行儀見習いという話だった気もするが、クロークス公爵閣下の妾の娘ともなれば政略結婚の駒として便利な立場ではあるからな。実家に戻ればそういう話を断れないのだろう。
さすがに公爵家出身の者ともなれば雑に扱うわけにもいかない。赤い血、貴族でない者に嫁ぐのはもちろん、側室という形でも角の立つ貴族家は多いから、そのうちどこかの貴族に嫁入りした方が今よりいい暮らしができると思うんだが。
そんなことを思いつつ、俺は公爵邸へ向かう準備を整えるのだった。
俺という呪い師の日常というのは、多少の変化があれど大体こんなものだ。城へ搬入されるものの確認と、貴族を代表する偉い人たちにまつわる魔術的な問題の解決。決して公にならない形であるからこそ、些細な変化を見逃せば取り返しのつかない事態になりかねない。
しかし貴族との折衝こそ面倒ではあったが、表立って目立つことのできる魔術師とは違う形で必要な役回り。自分の得意なものを活かせるという意味ではある意味天職でもあり、ミスこそ許されないがマイペースに仕事をこなせば大抵何とかなる裏方仕事。
だが次に関わる一件を皮切りに、以降次々と俺自身に課される役割が増えていくことを、当時の俺は知るよしもなかった。
…もし知っていたら、五年くらい時を巻き戻したくなっていたかもしれない。火のない所に煙は立たぬと言い、何事も発端なくして突発的な事象は起こらないのだから。