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公認ストーカー神崎の代筆  作者: ヒョードル
第二章 ロックバンド、Semaforoの場合
13/14

四曲目

 夕刻の神田小川町には木枯らしが舞っていた。往来を行く人は皆が風に顔をしかめ一様に襟を立てている。神田警察署を出て靖国通りに出た智也は、人の往来を見るやすぐに大きく息を吸った。朝の満員電車やライブハウスでの人熅ひといきれが恋しく、今は体がその欠片さえ欲していた。


「あっちに戻るのか、智也」


 純の視線の先を見た智也は、レザージャケットの襟に顔を深く沈めた。冬に吹くのは北風とはいえ、目抜き通りに迷い込んだ悪戯な風は方向を見失っている。数分歩けば着いてしまう神保町駅の方から吹く風は、つい先ほどまで浴びていた神崎の憮然とした視線のようだった。


「まさか。あそこにはもう近付かないほうがいい。秀治にも伝えておく」


「そういえば何で秀治は今日来なかったんだよ。四人で決めた話だろう。わざわざバイトを代わってもらったんだぜ?」


 純はポケットに手をいれたまま震えていた。上下同じ柄のジャージーだけではこの冷気は堪えるだろうが、常に沸点を低めに設定している熱血漢にはこれくらいが丁度いいだろう。


「時間は向こうの指定だった。秀治は恵美ちゃんと同棲をしてるだろう。バイトは極力抜けさせたくない。それに見つけたのはあいつだ。多少は大目に見ようぜ」


「まあ智也がそう言うなら仕方ないけどよ。今ごろ恵美ちゃんとよろしくやってるんだろうな」


「そう言うなよ。秀治や恵美ちゃんにはいつも助けてもらってるだろう。ただ――」


 智也にとっての気がかりは嵩に懸かった神崎の圧倒的な不気味さだった。けんもほろろに躱された警察では実害の有無を聞かれた。一般的にストーカー事案は実害が顕在した後に拒絶状などの対処法を練る。しかし防犯の要である警察組織が本当に神崎の犬となっており、さらにはまだその手口が明らかになっていないとなると、身の保証は約束されない。


「確かに会いに行くと言ったのは俺だけど、見つけたのは秀治だ。もしかしたらあいつが一番被害に遭うかも知れない。この際依頼の件はどうだっていい。たかが代筆だ。しばらくはおとなしくしていよう」


「賛成。俺は健一に伝えておくわ。あいつ今日夜勤だから明日の昼にでも伝えておくよ。お前は秀治を頼むな」


 靖国通りを歩く万余の人波の先に、ひときわ上背のある男の顔が見えたような気がした。智也は応えを忘れ、小川町に向かって踵を返した。





 ◆





 週に一度、ライブ出演が決まっている時は適宜追加し、スタジオにこもって練習をするのが四人の決まり事であった。


 智也が神崎ビルに行った日の翌々日、四人は秋葉原にある音楽スタジオにいた。神崎に会ったことは一旦忘れよう、それが四人で話し合った結果だった。


「秀治さ、いい加減ギターケース買ったら? 俺のギグバッグは安物だけど案外いいよこれ」


 ナイロン性のケースにレスポールギターをしまっている智也は使い古されたギターケースを見ながら言った。黒いハード性のケースは底のシートが剥がれ、木材部がむき出しになっている。秀治はSGギターを丁寧にそのギターケースにしまっていた。


 智也が秀治のギターケースを最初に見たのは高校生のころだった。


 同い年である四人の出会いは、高校で入った軽音楽部だった。性格は皆ばらばらだったが、求める音楽性や好みが一致していると分かるや否や、その日のうちに将来の展望を語り合う仲になっていた。当然衝突もあった。最初に揉めたのは担当楽器である。いわゆるギターキッズであった四人の希望はギターであったため選定は難航したが、智也の一言で決定した。


「秀治をギターにしよう」


「なんで秀治なんだよ。言っちゃ悪いが秀治は一番下手だ。俺はともかく健一は納得しないぜ」


 萎れている秀治の横で、健一も下を向いていた。何も言わないのがせめてもの抗議であることは、声に苛立ちを混ぜた純が一番理解していた。


 しかし智也の狙いは正にそこにあり、てんでばらばらな個性の結託を見込むにはこれ以外になかった。


「だからだよ純。お前はドラムにも興味があると言った。俺は正直ギター以外でもいい。なんならフロントマンでもいい。健一は手先が器用でリズム感はある方だと思う。だけど秀治は……はっきり言ってギター以外は無理だ」


「ならよ、だったら――」


 純は口を閉ざした。秀治の噛んでいる唇と健一の悲しげな視線がそれ以上は継がせなかった。他に誰もいない軽音楽部の部室には沈黙が流れていた。


 破ったのは秀治の笑顔だった。


「なんかごめん、みんな。気を遣わせちゃってさ。俺やっぱり音楽向いてないんだろうな。まだ始めて日が浅いしさ、純みたいに熱く弾けないし、健一みたいなリズム感もない。智也みたいに賢くもないから。いいよ純。ごめんね。やっぱり――」


「いや、秀治はギターだ。誰が何を言おうと俺はお前がギターでいきたい。下手なら練習すればいい。何倍も何倍も練習すればいい。もし音楽のセンスが本当に無かったとしても、ギターで上を目指せばいい。健一はどう? お前のリズムはベースでこそ活きると思うけど」


 純に向けていた悲しい目は、健一の手が秀治の肩に置かれるころには笑みに変わっていた。


「純と僕でリズム体やるか。秀治知ってる? ベースって本当はめちゃくちゃかっこいいんだよ? 変わってって言っても譲らないからね」


「本当に俺でいいのか? みんな後悔しないか? 絶対に足引っ張るぞ」


 純がバツの悪そうな顔を健一に向けた。


「智也がそこまで言うなら仕方ないな。健一はいいのか」


「いいよ。だってギターもベースも見た目そっくりじゃん」


 健一のわざとらしい嘘が秀治に与えた発奮の返事は、その翌週に秀治が持ってきたヴィンテージ感の溢れる黒いギターケースとして現れていた。以来、秀治はこのギターケースを愛用している。


 智也の目に今映っているのは、まだ朴訥さの抜けきれていない高校生ではなく、鍛錬によってギターの技巧のみを磨き上げた、頼もしいリードギタリストの筋張った二の腕である。


 邂逅から結成までを一瞬で追懐した智也のもとに秀治が歩み寄ってきた。手にはアイロンでも当てたかのように真っ直ぐ皺のない一万円札が数枚握られている。


「それよりこれ。今月のスタジオ代。たぶん足りると思うけど、足りなくなったら言ってくれ。出すから」


「ああ、いつもありがとな。バイトも掛け持ちだったっけ」


 ふふん、と鼻を啜って笑う秀治の目の下にはくっきりとくまができていた。指先への負担が少ない仕事を選ぶこと自体難しいのだが、それを二つもこなし、さらには暇さえあればスタジオを個人でレンタルし自主練を行う秀治は、ワーカホリックの如く自身を追い込んでいるようだ。


「いや、これも四人で決めたろ。足代とスタジオ代は俺。箱代やチケットノルマは智也。四人揃った時のめし代は純。それに――」


 秀治の目が追いかける先には、純とふざけている健一がいた。


「健一はCDの制作費一式。でもよ、毎月まとまった支出が決まっているのは秀治ぐらいだろ。前回のスタジオ帰りは牛丼屋だったしな」


 ようやく健一と戯れ終えた純は、秀治の柔和な目に気付き、スティックを器用に回転させながら近寄ってきた。ときおり時計を見ているのは制限時間が迫ってきているからだろう。壁掛け時計は午後十時を指していた。


「さっきも話したけどよ、秀治も気をつけろよな。あいつ色々とやばそうだから恵美ちゃんにも言っておいてくれ。対バンだけど今月もライブがあるし」


「ああ、気をつけるよ。それより一昨日は悪かったな。バイト抜けるの厳しいんだ」


 手で「気にすんなよ」と伝えた純は、顔の汗をタオルで拭いながら部屋を出ていった。後に続いた健一は、「今日も飯は牛丼みたいだよ」と苦笑いを浮かべている。


「じゃあ牛丼食いに行くか」


 智也がギグバッグを背負い部屋を出ようとすると、ひとりの大柄な男が部屋に入ってきた。頬は痩けており不気味な面持ちだが、喜色な顔の造りだったため智也の警戒心はすぐに解かれた。五年以上この音楽スタジオに通っていた智也でさえ知らない男だった。


「あ、えらいすみまへん。まだいらっしゃったんですか。お連れさんならもう出られましたで」


 関西弁を話す男は手にポリ袋を持っていた。


「お疲れ様です。清掃ですか? 俺はもう終わりなんですぐに出ます」


「そうでっか。気ィ遣わせてしもてすんまへんな。せや、私昨日からここで働いてます、反町たんまち言います。よろしゅう。それにしても兄ィさん方、ええ曲作られまんなあ。メロコアでっしゃろ」


「ええ、まあ……。全然売れてないですけど」


 反町は大袈裟にかぶりを振り、ポリ袋を左右に動かしている。


「謙遜はあきまへん。兄ィさん方の曲なかなかやったで。私も長くこの業界おるけど、なかなかどうしてロックやる若者はぎょうさんおるからのお。本当にええ曲作るバンドがようけ埋もれとるんや。有象無象の輩とはちゃう。私が言うとりまんのや。自信持ってええんとちゃいますか」


「反町さん、でしたね。今までどこにいたんですか」


「目黒鹿鳴館いうとこでエンジニアしてましたわ。ご存知やろか」

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