オルゴール時計
家に人を招いた時、必ず自慢するものがある。
陶器でできたアンティーク時計だ。
可愛らしい西洋のドレスを着た女の子が、昼の三時になるとオルゴールの音と共に、くるくると踊りだす。
子守唄のような優しい音色。
とても気に入っているのだ。
ひとつ、欠点がある。
この時計、夜中の三時にも鳴ってしまうのだ。
ただ、小さな可愛い音だし、私も家族も眠りが深いので気にしたことはない。
時計屋に持ち込めば調整してくれるのだろうけど、面倒で。
その問題は放置していた。
ところが、ある夏の寝苦しい夜、一度だけ目を開けてしまった。
部屋にはオルゴールの音が響いていた。
真っ暗で、まだ起きるべき時間でないのが分かった。
(自然に止まるのを待とう……)
ぼんやりと開いた目を閉じようとして、気がついた。
天井を覆うような影。
何かが部屋にいる。
「…………!」
悲鳴を上げそうになったのを飲み込む。
頭が天井にめり込みそうなほどに大きく、澱んだ茶色い体。ずんぐりして皮が垂れた異様な姿。
――化け物だ。
それは机の脇の棚の上、鳴り続けるオルゴール時計に顔を寄せている。
垂れた皮で目元が見えないが、凝視するようにじっとしていた。
(何あれ……何……)
私は声も出せず、気が遠くなった。
次に目覚めたのは朝。
布団にしがみつきながら、辺りに目を配る。
部屋に変わった様子はなかった。
「夢……、なんだ。そうだよね!」
声を張って吹き飛ばそうとしたが、気味の悪さはぬぐえない。
ベットから抜け出て、棚に近づく。
あの化け物が立っていた場所。何の異変もない。
オルゴール時計を持ち上げて、じっと見る。
朝の光を受けて、陶器の肌がきらきら光っている。
怪しいところは無い。
(……ただの悪夢だ)
あんな化け物、現実にいるわけがない。
一度顔を洗いに洗面所へ向かう。冷たい水で顔を洗うと、冷静になれた気がする。
部屋の中で変わらず微笑む陶器の女の子。その頭を撫でて、いつも通り、朝の支度を続けた。
あまり気にする性質ではないので、その日のうちに悪夢のことは頭から消えていた。
それからしばらく経った。
風邪を引いて丸一日ベッドにいた日だった。
眠りすぎて眠れなくなった私は、ベッドの上でゴロゴロと読書していた。
時間は深夜になろうとしている。
灯りは常夜灯だけにして、寝る準備は万端だ。
ようやく眠気がきて、うとうととしていた時だった。
オルゴールが鳴りはじめた。
(そんな時間か)
意識しない内に、数時間眠っていたようだ。そのまま朝まで眠ってしまえばよかった。起きてしまってもったいない。
灯りを消そうとリモコンに手を延ばそうとして、動きを止めた。
(いる)
あの化け物が、机の側に。
また棚の上のオルゴール時計を見ている。
私は必死で息を殺した。
この間はどのくらいの時間で帰っていっただろう。
そう考えを巡らしている内に、以前より化け物の体が小さくなっていることに気づいた。
何か武器になるものがあれば、身を守れるのではと考えたが、ベッドの上には大したものはない。
スマートフォンで人を呼べば……、そう思い至った時、化け物は体の向きを変えた。
私は固まって、指一本動かさず目をこらす。
ズズ、ズ……と、部屋の扉に近づくと、すり抜けるように扉の向こうに消えていった。
翌朝、私は自分の記憶を疑いながらも、オルゴール時計を箱に入れてクローゼットに押し込んだ。
これだけ音を遮れば、もう起こされることはないだろう。
万事解決だ。
昼間、微かに聞こえる音に心が痛んで、時折オルゴールを取り出す。
昼の三時の穏やかな時を過ごして、またクローゼットに戻す。
問題なく日々は過ぎていった。
ところが、家族で旅行から帰ってきた日のことだった。
部屋に戻ると、クローゼットからそのアンティークが半分出ていたのだ。
すぐに家の中を調べたが、空き巣が入った形跡はない。
(あの化け物が何か……)
オルゴール人形を見る。
長い間大事にしてきたお気に入り。
綺麗な顔は、とても悪いことをするようには思えない。
数日悩んだが、やはり恐くなって、古物商に事情を話して売ってしまった。
その夜……。
私はまた目を覚ましてしまった。
オルゴールが鳴っているわけでもないのに。
いや、何か音が聞こえる。
擦るような音が、ズズ……、ズズ……と。
目線だけを動かした。
扉から何か浮き上がってくる。
……すり抜けてきているのだ。あの化け物が。
体の大きさが小さくなって、子供くらいの背丈になっているが、あの時と同じ、気味の悪い姿だ。
足元まで皮を引きずっている。
私の方にどんどん近づいてくる。
恐怖で体が動かない。
仰向けの私を、化け物が正面から覗きこんでいる。
瞼らしきものが垂れていて、化け物の目は見えなかった。
おぞましい化け物が、すぐそこに……。
その時、電子音が響き渡った。
私のスマートフォンだ。
化け物は向きを変え、音の方、机に近寄った。
スマートフォンが置いてある場所だろう。
そこに顔を寄せてスー、ハーと深く呼吸している。何度も何度も。
私は痛むほどの心臓の鼓動を堪え、それを見ているしかない。
化け物が机から顔を離した。
振り返ろうと動くのを見て、思わず体を強張らせてしまう。
(来る……、どうしよう……)
だが化け物は私とは違う方向に向かった。
そして扉に触れ、すり抜けていった。
どれくらい息を潜めていただろう。化け物が戻ってくる様子はない。
……出ていく時、化け物はさらに小さくなっていた。
私は緊張が解けてきて、思い起こす余裕ができはじめた。
それにあの電子音……。
私は設定していないし、スマートフォンの中に入っていない。
あのオルゴールの曲だ。
頭がぐるぐるしている時、扉の外でガシャンッと音がした。
皿が割れるような音。
けれど私は、何が起こったのか、外を確かめる勇気が出なかった。
朝日が差し込み、鳥が鳴きだした。鳥の存在を感じて、ようやく深い息を吐くことができた。金縛りが解けたかのように動けるようになった。
スマートフォンを確認する。
夜中の三時に着信履歴があった。
七時ちょうどにまた古物商から電話があり、この時は取れた。
古物商の元でも夜三時にオルゴールがなったという話だった。
「それをお知らせしようとして、昨晩は電話したのですが……、もうしわけございません。あまりにも失礼な時間でした。聞いた通りのことが起きただけなのに。自分でもどうして電話したのか……」
そして今確認したら、オルゴール時計が見当たらないそうだ。
私は予感がした。
スマートフォンを耳に当てながら、今日初めて部屋の扉に手を掛け、ゆっくりと開けた。
水たまりの中に、割れた陶器と、その中から投げ出された時計仕掛けが転がっていた。
その後、古物商の伝手でお祓いをしてもらった。
お祓いにきた人に事情を話すと、音を鳴らす携帯の上で、化け物がひたすら呼吸をしていたことが気に掛かったようだ。
化け物は、人の寝息の音に近づいて、精気を吸う鬼なのではないかということだった。
それをオルゴールの音に邪魔をされ、家主である私の位置が分からず、精気を食えずに弱っていったのでは、ということだった。
「オルゴールが守ってくれていたんですか」
おそらく、とその人は答えた。
人形の顔の損傷はそれほどなく、半月後には修理から帰ってきた。
不思議なことに、今度の時計は真夜中三時には鳴らない設定になっていた。
修理した人に聞いても、時計は専門ではないから、動くようだったからそのまま設置しただけだ、と言われた。
また部屋に置かれた自慢のオルゴール時計。
人形のツヤツヤした頭を撫でた。