第七話 稲垣直人
神と名乗る少年との邂逅の後、自宅に帰ってきた直人はそのまま真っ直ぐ自室に入り、ベッドへダイブする。
頭の中は少年に言われたことがぐるぐると回り、考えが纏まらない。
それから結論が出ないうちに直人の意識は暗闇の中へと落ちていった。
✤
稲垣直人という人物は優秀な人間だ。成績優秀。スポーツ万能。友達も多く、みんなから慕われている。両親にとっても自慢の息子と呼べるだろう。
小さい頃から直人は誰からも愛される立派な子供だったのだ。
だからといって、悪意なんてかけらもなく、善意の塊であるかというとそういう訳ではない。稲垣直人という人物は自分を隠すことがうまいだけの偽物だ。
他人の顔色を窺い、自分の意思を変え、周りが笑顔で居られる結果を望み続けた為、本当の自分というものを殺してしまった。
誰かに向ける笑顔は偽物で、誰かに掛ける言葉は嘘ばかり。
そんなことばかり続けていたから自分の作り上げた周囲の環境は自分にとって最も居心地の悪い場所になってしまった。
学校でも、家でさえも、偽りの笑顔を向け、耳心地のいい言葉を吐き、周りの期待に応え続けた。
そんな直人の精神は傷つき摩耗し、今にも壊れてしまいそうになっていた。
――だからなのだろう彼が願ったのは。
こんな自分が嫌いで、いっそのこと自分ではない誰かになってしまいたいと。
幸か不幸か直人の願いは叶ってしまった……西園寺柚姫になるという結果で。
自分の望んでいた誰に嘘を吐くこともない一人ぼっちという空間。
気を遣わづ、気を遣われず、誰からも見向きもされないその環境は直人の傷ついた心を癒すには十分だった。
だからこそ直人は心当たりがありながらも積極的に入れ替わりから戻ろうとはしなかった。嫌いな自分に戻るのがいやだったから。学校という空間だけでも本当の自分でいたかったから。
だがそんな願いも長くは続かず、今日という日に直人は願いを叶えてくれた神様に出会ってしまった。
変わってしまうのは恐ろしい。またあの現実に戻ると思うと怖くて泣きたくなってしまう。
だから稲垣直人の取るべき選択肢は……。
✤
ピピピピピピッっという目覚ましの音により、直人の意識は現実へと帰ってくる。
音のなる方へ手を伸ばし、目覚ましを止める。カーテンから差し込む朝日に目を細め、直人は上体を起こして、伸びをする。
朝が来た。
「…………? 知らない部屋だ」
評価、感想頂けると嬉しいです。