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面相筆

作者: 赤いからす

 面相筆〜似顔絵で眉毛などの細い線を描くことに適している穂先が鋭い筆のこと。




 昔々、貧乏な絵描がいました。石畳が敷き詰められた公園の噴水の前でいつも似顔絵を描いていましたが、観光客はその絵描のボロボロの服を見て避けていき、近所に住む幼い男の子しか寄り付きません。腕が落ちないために毎日その男の子の顔を描いて絵をプレゼントしてあげていました。


 ある日、その貧乏な絵描は不良の若者たちに絡まれて大切な筆を取られてしまいました。


 家に帰ったその絵描には更なる不幸が待ち受けていました。最愛の妻が銃で頭を撃って自殺していたのです。貧乏暮らしに疲れ果てていたのかもしれません。遺書はありませんでした。


 絵描は泣きながら動かなくなった妻の体を抱きかかえました。頭から鉄の錆びた臭いがしました。


 絵描はべっとり血のついた妻の髪を使って筆を作ることにしました。軸となる部分の竹を火で炙り真っ直ぐに形を整え、指先の感覚で妻の髪をカミソリできれいに切り揃えました。これまでにも貧乏な絵描は少しでも節約するために材料を周辺の森から調達して自分で筆を作っていました。悲しいことに彼は腕の良い筆職人であることを自覚していませんでした。


 筆が完成したちょうどそのとき、日頃から口うるさくなんでもいちゃもんをつけてくる隣人が、変な臭いがすると大声で怒鳴りながらノックをしてきました。絵描は大変焦りました。もし家の中を見られたら妻を殺したと疑われ、永遠の別れになってしまうと思ったからです。


 せめて楽しかった思い出を残そうと作ったばかりの筆で2人が幸福そうな顔をして寄り添っている姿を想像しながら絵を描きはじめました。まずはどうでもいい自分の顔をざっと描き上げました。


 隣人がドアを蹴破って入ったとき、妻の死体の脇にいた絵描がフワ〜と霧のように消えました。未完成な絵と面相筆を残して……。

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 駅から出ると目と鼻の先に大きなアーケードを掲げる商店街が目に入る。私はそこの入口付近で似顔絵を書いてなんとか生計を立てていた。


 ショーウィンドーに映る自分の姿は猫背で歩き方は年寄りと大差ない。いつのまにか34歳になり、このまま夢を追いかけていくべきかギリギリの選択を迫られる年齢になった。


 現実は厳しい。様々な展示会にいままで出展してきたが賞はおろか誰の目にも留まらない。


 アウトドア用の折りたたみの椅子を広げてひたすら客を待つ生活。地下街へ通じる階段もあっていつもなら何人かは引っ掛かるのにこのところ天候が不安定で客足が鈍い。今日も風が吹くたびに雲が流され、通り雨が何度も通過していった。


 不安は的中。夕方になっても私の前には客は現れない。ただし隣に陣取っている白くて長い顎鬚の老人には客が絶えない。老人の似顔絵は人気があって列ができることもある。理由はわかっている。老人の描いている絵を何度も横目で見たことがある。まず手始めに面相筆の毛におまじないでもかけるかのようにフゥ〜と息を吹きかける。大胆な構図と赤いアクリル絵の具だけで濃淡をつけ、見事な筆さばきを展開させていく。挨拶程度しか会話をしたことはないが顔の皺の数だけ哲学を持っているような重厚な人間味を感じる。


 老人からこぼれてくる客を拾うこともできたが、最近は私の方など見向きもされない。腕が見切られているのだろうかと有り得ない不信感さえ募ってくる。


 せめて一人くらい描かないと夕飯をコンビニの弁当からおにぎりへ格下げしなければいけなくなる。もう少し粘ってみることにした。すると、老人が画材道具を片付けはじめ、私に軽く会釈して早々と引き上げた。


 カランと何かが落ちる音が僅かに聞こえた。私はそれがなんなのか見当はついていたが、わざと注意を喚起することはせずに老人の姿が完全に消えるのを見計らって落ちたモノを拾った。


 似顔絵を描くなら最適な毛先の細い面相筆は見た目も持った感覚も普通。人差し指と親指で力を加えてはね返ってくる毛は弾力があり長さもタヌキの毛と同じくらい。ただ、商店街からもれてくる照明の灯りに筆をかざすと茶褐色だった毛の中に鮮明な赤がひそんでいた。


 赤い毛?何の毛だろう?と不思議に思っていると若いカップルが私の前に立った。

「彼女の顔を描いてくれないか?」

 金髪で唇にピアスしているいまどきの不良ワルを演出した格好の若い男が意外と丁寧な口調で似顔絵を注文してきた。

「いいですよ」

 と私が言うと、ミニスカートを履き、派手なメイクのせいで余計に顔だけが老けて見える彼女は「恥ずかしいよぉ〜」と断りながらも彼氏に肩を抑えつけられると椅子に座った。


 私は老人が落としていった筆を使ってキャンパスに似顔絵を描いた。もちろん赤い色で挑戦した。頭の中の雑念を振り払い真っ白な状態で描いたのが良かったのか、老人の画風をコピーしたかのように出来上がりは完璧。


 似顔絵を見せるとカップルは感嘆の声を上げ、請求した金額よりも上乗せしてお金をくれた。私は年下のカップルに深々と頭を下げた。


 そして、顔を上げたとき、老人が目の前に立っていた。冷や汗が額からこぼれ落ちてあからさまに罪悪感を露呈した。

「どうやらその筆が気に入ったようだな」

 老人は目尻から皺を伸ばした。


「す、すいません。黙って使ってしまって……か、かえします」

 私がしどろもどろに謝りながら筆を返そうとすると老人は皺だらけの手のひらを突き出した。

「その筆を君が拾ったのもなにかの運命だ。プレゼントするよ」

「そ、そんな……」

「絵描がこんなところで一人でいてもなかなか客は寄り付かないものだが、君が隣にいてくれたお陰で客を大勢引き寄せてくれたし、寂しくもなかった。お礼がしたいんだ、受け取ってくれないか?」

 老人の感謝の気持ちが伝わり、面相筆を持っている手が見えない力で押し戻されてくる。


「ワシはそろそろ引退しようと思っていたところなんだよ。元気でな」

 老人は私の肩をポンと叩き去っていこうとしたが、なにか思いついたのか足を止め、再び私を見詰めた。

「ひとつだけ、その筆を使うときに用心しなければいけないことがある。いいか決して自分の顔を書くんじゃないぞ」

「どうしてです?」

「その筆と若い才能が融合すれば成功することは約束されたようなもの」

「私はそんなに若くないですよ」

「ワシから見ればまだまだ子供だ。近い将来君は成功するかもしれない。ただ筆を使った代償を払うことも覚悟しないといけないぞ」

「代償?」

「そうだ。自画像を描くときこそ代償を払わされることになる。なに心配することはない。その筆とワシは一心同体だから君がその筆で自画像を描くとき、ワシが最後の選択を聞きに訪れるだろう」

 奇妙な忠告を受けた私はもっと具体的な説明をしてほしかったのだが、老人はそれから一度も振り返ることなくたんたんとした足取りで駅前の人混みに紛れて消えた。


 私は画材道具をかき集め、その日の仕事をやめた。四畳半一間のアパートに帰り、窓から見える景色を書いてみた。いつの間にか気味の悪い色の雲はなくなっていた。


 アパートの前には子供たちの遊び場となっている小さな公園があった。友達と別れるのが辛いのか子供たちはじゃれながら追いかけっこをしている。その様子を見て老人から譲り受けた筆を走らせた。子供たちの会話が聞こえてくるかのように絵の中に表現が生まれた。赤だけを使ったのに線のひとつひとつに微妙な濃淡が自然と細工されていく。題名は『目の前の幸福』として展覧会に出品することを決めた。


 1年後、私はアート・ホールのワンフロアを貸し切って個展を開くまでになった。客の出足もまずまずで8割の作品に買い手から予約を受け、盛況のうちに展覧会が終了しようとしたとき、白いワンピースを着た若い女の人が一枚の絵から離れないでいた。


「気に入りましたか?」

 私はその若い女の人に近づいて尋ねた。彼女が見ていた絵は『目の前の幸福』だった。

「わたし、この絵に見惚れていて時間が過ぎてゆくのを忘れてた」

 いま思えばその一言で恋に落ちたのかもしれない。


 彼女との交際は順調にすすみ、相手の両親も私のことを画家として夫として評価してくれた。結婚して3年目までは幸福な日々が続いた。だが、彼女は突然白血病で倒れてしまった。


 闘病生活5カ月と12日目。病院のベッドで横になっている妻は苦しそうに咳をしたあと、静かに目を閉じた。


 私は病室で老人からもらった面相筆を使い、妻の顔を描こうとした。すると筆をくれた老人が病室に入ってきた。

「あっ?」

 私は短い悲鳴のような返事をして反応した。

「いまこそ自分の顔を描くときじゃないのかな?」

 老人からの質問がなにを意味するものなのか私には理解できた。自画像を描くことに躊躇ためらいなんてなかった。


 カラン、カランと面相筆が病室の床で軽やかにバウンドした。


「久し振りにこの筆が役に立ったかのう」

 老人は面相筆を拾い上げて病室から出ていった。

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 男の子は窓を覗いて誰もいないのを確認してから絵描の家に入っていきました。無名の絵描が妻を殺して姿を消したという噂が町中に広まって絵描の家には近づかないようにと親から注意されていましたが、男の子はあんなにやさしい人が人殺しなんてできるわけがないという確信がありました。


「誰かいませんか?」

 男の子は礼儀としてひと声かけてから入りましたが、返事は聞こえてきませんでした。静まり返った家の中で、目的はひとつ。絵を描く道具を探すことです。盗むつもりなんてありません。筆を握って画家の真似ができればそれでよかったのです。


 さっきまで覗いていた窓から朝日が射すとキラキラ埃が浮かび上がりました。しゃれた家具がいっさい置いてない殺風景な部屋を横切った朝日は床に落ちていた一本の筆にスポットライトを浴びせました。


 目敏めざとく気づいた男の子は筆を拾い、その刹那せつな絵描の家を飛び出していました。自分の家に帰ってからも心臓の鼓動は治まりませんでした。盗むつもりなんてなかったのに結局は盗んでしまった罪の意識は自分の将来の夢を成し遂げるための第一歩として心の中で踏んづけました。


 男の子は妄想をふくらませ、自分が有名な画家になった姿を想像しました。

 

 願いをこめて筆にフゥ〜と息を吹きかけました。


 〈了〉








ホラー(長編)だと「狂犬病予防業務日誌」「無期限の標的」という作品を投稿済です。

ホラー(短編)では「水たまり」「付きまとう都市伝説」「彼女の好きなモノ」「近未来の肉屋」「娘、お盆に帰る」などそれぞれ結末を工夫した作品を多数投稿しています。

恋愛(短編)でも「木漏れ日から見詰めて」という作品を投稿してますので感想と評価のほうをよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 拝見さしていただきました。その10 一回目は男の子の正体が分からなくて、ジュンさんの感想欄にてヒントを得て二回目に正体が分かりました。 直ぐに過去→現在→過去の順番が分からないとは、僕も…
[一言] 不思議な感じのお話でしたね。独特の雰囲気があって面白かったです。
[一言] 昔と今が描かれていて良かったですv
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