お姉ちゃんからのプレゼント
そう。俺はその事実に心当たりがある。無関係の人物がお姉ちゃんに接触した瞬間を目撃していたのだ。
お姉ちゃんと商店街へ買い物に出かけたあの日──お姉ちゃんは町内会の中年男性に話しかけられていたじゃないか。
それだけじゃない。冷やかしで入った本屋の店主、ふらりと立ち寄った喫茶店のウェイター、最後に夕食の材料を買ったスーパーのレジ店員。みんなお姉ちゃんと会話なり金銭の受け渡しなりをしていた。
それら全員が信者という可能性も否定できないが、確実な証拠もない。仮に信者だったとしても、例のアロマを使っているかどうかなんて判別しようがない。
だが、それならどうしてお姉ちゃんは一時期いなくなったりしたんだろうか。いつも規則的な時間に消えるから、アロマの件と合わせて仮説を立てたというのに。
ああもう。わからない──頭を抱えそうになったその時、お姉ちゃんの優しい視線に見下ろされた。
そっか。お姉ちゃんに訊いてみればいいんだ。なんでそんな簡単なことが思いつかなかったんだろう。俺のお姉ちゃんはなんでも知ってる神様なんだぞ。もっと信頼しろ俺。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なんですか?」
「お姉ちゃんは……幻なの?」
「えっ……竹流くん、何を言っているのですか?」
「俺、考えたんだけど答え出なくてさ。だから、お姉ちゃんに聞いてほしいんだ──」
それから俺は、考えていたことをすべて打ち明けた。突然消えるのを不審に思っていたこと。そこに法則性を発見したこと。アロマの効果が消えていた時期と重なって疑念が生まれたこと。幻ではないかと考えたが、反論が見つかって迷走したこと。
「──そうでしたか。竹流くん、そんなことを」
一通り話し終えた俺の手を、お姉ちゃんはそっと握ってくれた。温かくて柔らかい。これが幻だなんて……。
「安心してください。私は幻なんかじゃありませんよ。ちゃんと存在している、竹流くんだけのお姉ちゃんです」
「……えっ?」
「でも、竹流くんを不安にさせてしまって……これではまだまだ未熟なお姉ちゃんですね」
苦笑するお姉ちゃんを前にして、俺はわけがわからない。説明なしで置いてかれるのは俺の宿命なんだろうか。とりあえず体を起こして、お姉ちゃんと向かい合う。
「あの、どういうこと?」
「当日まで秘密にしておくつもりだったのですが、竹流くんを安心させるためには仕方ありませんね」
そう言うと、お姉ちゃんは何やら神秘的な光を体にまとい始めた。蛍みたいに発光する姿は、目を離すことすら許されないほどの魅力があった。おぼろげだった光は徐々にお姉ちゃんの小さな掌へと収束していく。
そこに何かが現れた。まるで手の中から芽吹いてくるように姿を見せたそれは──。
「タケノコ?」
「そうです。私が竹を使って手作りした特製品ですよ」
まさに手乗りサイズのタケノコは、実に緻密な作りをしている。表皮の立体具合とか本物そのものだろう。これを手作りってことは、相当の時間と労力が必要だったはずだ。
「これは、昔の私を元にして作りました。この姿になってしまった私は、もうタケノコには戻れませんから……」
少しだけ切なそうな表情の先にあるタケノコは、確かにあの長寿タケノコそっくりだ。お姉ちゃん的には自画像みたいな感じなんだろうか。
「受け取ってください。お姉ちゃんからのプレゼントです」
「いいの? こんな手間のかかった物を」
「はい。そのために作ったのですから。竹流くん。少し早いですが、お誕生日おめでとうございます」
「……ん?」
「これが誕生日プレゼントだったのですが、もしかして不満でしたか……?」
「ま、まさか! お姉ちゃんだと思って大事にするよ」
二日後に迫る自分の誕生日を忘れていたなんて言える雰囲気ではなかった。
そっか。お姉ちゃんがいなくなっていたのは、これをこっそり作るためだったのか。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます。竹流くんが喜んでくれたようでなによりです」
「ううん。俺、お姉ちゃんが本当はいないんじゃないかって疑ってた。こんなに素敵なお姉ちゃんがいるって信じきれなかったんだ……」
「いいんですよ。今はもう、私がちゃんとここにいるってわかってくれましたよね?」
「うん……」
俯いた俺の頭を、お姉ちゃんは愛おしそうに撫でてくれた。潤む瞳を隠すように俺は俯く。手の中に握った記念タケノコは、ほんのりとお姉ちゃんの温もりが残っていた。
「ご飯できたわよー。早くいらっしゃい」
それから再びお姉ちゃんに甘えていたら、いつしか夕食の時間になっていたようだ。母さんは家族揃っての食事にこだわっているので、事情もなく遅れると説教が待っている。
「行きましょうか、竹流くん」
お姉ちゃんに連れられて居間へ向かう。近付くにつれて食欲をそそる匂いが強くなる。今日のメニューは生姜焼きかな。ご飯が進む予感。
食卓には既に両親が揃っていた。テーブルに並んでいるのは予想通りの料理。しかし、何かがおかしい。むしろ足りない、と言うべきか。
「お母様、食事の準備が三人分しかありませんが」
お姉ちゃんの言葉通り、おかず以外には三人分のご飯と味噌汁があるだけだった。我が家は両親と俺とお姉ちゃんという四人家族のはずなんだが。
……嫌な予感がする。捨てたはずの「幻」という言葉が蘇って離れない。
「いいのよ。これで足りてるから。ほら、早く座りなさい」
どこか冷たさを感じさせる母さんの言葉に押され、俺たちは腰を下ろす。ちらりと親父の方を窺うが、特に何かを疑問に思っている様子はない。
「では……いただきます」
母さんの合図に俺たちも合わせる。両隣で食事を始める親父とお姉ちゃんに挟まれ、俺は事態の解明に向けて頭を回転させていた。
「竹流くん、食べないのですか?」
「いや、どうして三人分しかないのか気になって」
「そうですね。私も気になりますから、本人に訊ねてみましょう」
それもそうだ。手っ取り早いしな。俺は食事に手を付けないその人物に向かって言った。
「なあ、母さん。なんで自分のは用意していないんだ?」
すると母さんは、バツの悪そうな顔になって至極わかりやすい理由を告げた。
「今日ね、ちょっと料理しながらつまみ食いし過ぎちゃったのよ。もうお腹いっぱいで食べられないの」
「そう……」
なんだそのくだらない理由。そんなことで俺を悩ませないでくれよ。
はあ、疲れた。またお姉ちゃんに癒してもらおう。今日は何をお願いしようかな。
──当たって砕けろじゃないけど、一緒にお風呂入ろうとか誘ってみようか。別にやましいことを狙っているわけじゃないし、ギリギリセーフじゃないだろうか。いや、まだその時ではないか。
まあいい。どちらにしても時間はあるし、お姉ちゃんがいなくなったりはしない。焦らずゆっくりと今を楽しむのも一興だ。
「竹流くん、この煮物に入ってるタケノコおいしいですよ。ほら」
目の前に差し出されたタケノコを頬張る。餌付け感覚なのか、お姉ちゃんは俺に色々と食べさせてくれる。悪い気がしないどころか大歓迎なので止めるつもりはない。
「ほんとだ、すごくおいしい」
「ふふっ。なんだか私が褒められているみたいで照れてしまいます」
俺の隣で、はにかみながら頬を染めるお姉ちゃん。それは紛れもなくここにいる実在の姿だ。
決して消えたりなんかしない。
だって、俺のお姉ちゃんは神様なんだから。