お姉ちゃんはどこへ行った?
お姉ちゃんが我が家にやってきて……えっと、どれくらいだっけ。まあ、そんな細かいことはどうでもいいか。
人間は順応性が高いというが、俺も例外ではなかったらしい。お姉ちゃんは言葉通り、俺が今まで妄想の中でしかできなかった夢を次々と叶えてくれた。
頭を撫でてもらったりハグしてもらうのは今では当たり前。添い寝から膝枕まで一通りのことはしてくれた。想像よりも耳かきの威力が壮絶過ぎて、思い出すだけで背筋が歓喜で震えてしまう。
ちなみに誤解が生まれる前に言っておくが、いわゆるハレンチなことは何一つしていない。抱き締められた時に胸を押し付けられる程度のことはあるが、下半身に関係するようないかがわしいことには発展しない。
そんなわけだから、風呂だって一緒に入ったことがない。背中の洗いっこくらいは多少なりともやってみたいなと思うが、やはり難度が高すぎる。裸の付き合いになるわけだし、色々と見えるし見られるわけで。
そもそも姉という存在をそんな汚らわしい対象として見ること自体が間違っているんじゃないかと思う。近親相姦というのはいつの世もタブーだしな。
……まあ、血の繋がりはないし、万が一そんな雰囲気になって求められたらどうなるかわからないけど。
「竹流くん……なんだか、お姉ちゃんドキドキしてきちゃいました。ほら、触って確かめてください」
なんてことになったら俺は鼻血吹き出して気絶する自信がある。意識を失っている間にお姉ちゃんはテキパキと準備を進めていて、目覚めた時にはもう一糸まとわぬ姿に──。
思春期特有の妄想はさておき、最近なんだかお姉ちゃんの様子がおかしい。この家に来た当初にはなかった現象が起きているのだ。
有名なお話のように夜空を見上げて物思いに耽っているとかではない。突然どこかに行ってしまうのだ。さっきまでそこにいたと思ったら、いつの間にかいなくなっている。そんなことが、ここのところ毎日のように続いていた。
家事をしている母さんに訊いても「さあ、知らないわね。玄関が開いた様子はないから、家のどこかにいるんじゃない?」と要領を得ない。てっきりまた夕食のお使いにでも行かせたのかと思ったんだが、的外れだったようだ。
あの美貌だから当然なのだが、すぐにお姉ちゃんは商店街のアイドル的存在になった。何やらイメージガールとして担ぎあげて町興しをしようなんて動きもあるって噂だ。
この前一緒に買い物をしていた時も、町内会のお偉いさんっぽい人が声をかけてきたし。その勧誘を微笑みながら優雅にかわすお姉ちゃん、可愛かったなあ……。
その後も、お姉ちゃんは道行く人々から声をかけられるたびに可憐な笑みを向けて手を振っていた。今ではお姉ちゃんを知らない人はモグリとまで言われるほどの人気らしい。
正直ちょっと寂しい。まあ、そんな時には何かを察したお姉ちゃんが甘やかしてくれるからチャラどころかお釣りがくるわけなんだけど。
──と、色々考えながら探してみたが今のところ手がかりはなし。
念のために確かめてみたが、玄関の靴が不自然になくなってたりはしなかった。裸足でこっそり抜け出したという可能性もないとは断言できないが、いまいちピンとこない。
家の中といっても、部屋をいくつか見回れば短時間で探索が終わってしまう。もちろんどこにもお姉ちゃんの姿はない。動きまわったせいで体中に血液が巡る。起きて結構たつのに半分眠っていた意識が、今になって目覚め始めた。
なんだかお腹も減ってきた。もう昼過ぎか……休日って、ほんと時間の進みが早いよな。休憩がてら昼食にでもするか。
母さんの手作りパスタと昨夜の残り物を食べ終え、次はどこを探そうか当てもない思案を巡らせていた時だ。
「竹流くんって、よく食べるのに全然太りませんよね。お姉ちゃん羨ましいです」
前触れのない言葉に目を見開き、声がした方を向く。そこにはいつもの笑顔を振りまくお姉ちゃんがいた。
「どこ行ってたのさ」
そう訊ねると、お姉ちゃんは意味がわからないとばかりに首を傾げる。
「私はずっと竹流くんのそばにいましたよ?」
嘘を付いている声色には思えない。でも、それが本当だったとしたら俺は今まで何をしていたんだってことになる。
どういうことだろう。俺をからかっているんだろうか。それともやはり何かを隠しているのか……うーむ。
「どうしたんですか? 悩みがあるならお姉ちゃんが相談に乗りますよ?」
うう、なんて優しいお姉ちゃんなんだ。これぞまさに母性。いや、お姉ちゃんだから姉性か。そんな言葉聞いたことないけど。
「なんでもないよ。お姉ちゃん美人だなーって見てただけ」
適当なことを言って逃げるつもりだったのだが、なんかお姉ちゃんが顔を真っ赤にしていた。どうしたんだ、両手を頬に当てて俯いたりして。
「……竹流くん。お姉ちゃんを照れさせて何をするつもりですか?」
「は?」
すぐそこに母さんもいるのに何を言ってるんだこの姉は。別にどうもしないってか少し甘えさせてくれればそれで満足なんだけど。
「竹流くんにそんなこと言われたら……お姉ちゃん、嬉しくてどうにかなってしまいそうです」
「落ち着いて。とりあえず部屋に戻ろう」
「部屋に連れ込んで……そうですね。竹流くんも健康な男の子ですから」
「何をどう勘違いしてるのか大体想像付くけど、ここじゃ母さんも変に思うだろうし」
「私としたことが、うっかりしていました。お母様に見つかってしまうわけにはいきませんね。禁断の関係を知られてしまったら、今度は記憶を操作しなければなりません」
「いいから、ほら」
「あっ、竹流くん……もっと優しくしてください」
「手を引いただけなのに大げさだっつーの。さっさと戻るよ」
「強引な竹流くんも素敵ですね……お姉ちゃん初めてですが、頑張ってみます」
「俺も初めてだよ。お姉ちゃんの悪ノリにここまで付き合わされるのが」
そんなつもりがなくても勝手に陥落していくお姉ちゃんが不安になりつつも、少しは──いや、かなり嬉しかった。あのやり取りは、お姉ちゃんが俺を全面的に信頼している証みたいなものだし。
名実共に、かぐやお姉ちゃんが本当の姉になってきたってことかな。肩をすくめているけど、実際俺は現状を楽しんでいた。
もちろん、この時間に終わりが訪れるなんて考えもしなかった。