お姉ちゃんの能力
元々姉が欲しいと望み続けていたせいか、割とすぐに俺は現状に慣れていた。両親の方は動揺というか動転というか数日過ぎてもバタバタしていたが、ある日を境にその発作がピタリと止まった。
「かぐや、そこの白いお皿を出してくれる?」
「はい、こちらですね。お母様、他には何をいたしましょうか?」
「こっちはもういいわ。お父さんを呼んできてくれるかしら」
「かしこまりました。呼んでまいります」
パタパタと親父の部屋へ向かうお姉ちゃん。その後ろ姿を見送り、俺は昨日までと別の世界に迷い込んでしまったのだろうかと困惑する。
だって、母さんの変貌具合が半端じゃない。昨夜も初日と変わらぬ態度で「神様、お休みなさいませ。明日も私たちに幸福を授けてくださいますように」とか祈っていたのにさ。寝てる間に天からの言葉でも受信したんだろうか。
そこへ、俺の気も知らない親父が大あくびをしながらやって来た。すぐ後ろに神と崇めていた存在がいるのにそれだから、やはり何かがおかしい。
「なんだ、今日はみんな起きるのが早いじゃないか。日曜なんだからゆっくりしてればいいものを」
「お父様、温かいお茶をご用意しております」
「ありがとう。かぐやは気がきくな。さすが俺の娘だ」
「ふふっ、これくらい娘として当然ですわ」
なんだこれ。いやまあ、普通の家庭と考えたら仲睦まじい光景なんだろうけど、残念ながら特殊過ぎるお姉ちゃんがいるわけで。
初日のように俺はまた取り残される運命なのか。半ば機械的に朝食を口に運んでいると、お姉ちゃんと目が合った。ダイヤの輝きも霞むほど優しい微笑みに、俺の疑問は瞬時にどうでもいいことへと変容する。
まあ、これで家の空気も普通になったことだし結果オーライってとこか。なんだか昔から俺にはお姉ちゃんがいて、こんな生活を送っていたんじゃないかって気さえする。
「竹流くん、何か疑問に思っていることがあるのではありませんか?」
食事を終えて部屋に戻ると、お姉ちゃんはすぐに訊ねてきた。心を読まないように約束したはずなのだが。
「もしかして、そんなに俺ってわかりやすい?」
「はい、とても」
ポーカーフェイスも作れない俺だが、既にお姉ちゃんへの口調は砕けたものへと変わっている。そうした方が嬉しいらしく、俺も距離が縮まったような気がするので一挙両得ってわけだ。
「あのさ、親父と母さんに何かした?」
図星だったのか、お姉ちゃんが俯き気味になる。唇を尖らせて、まるでイタズラを咎められた小学生みたいだ。可愛い。
「……だって、いつまでも私を特別扱いしていましたから。普通に接してくださいと何度も申し上げましたのに」
「別に怒ってるわけじゃないよ。ただ、昨日までとあまりにも様子が違い過ぎたからどうしたのかなって」
単純な疑問からそう訊ねたのだが、お姉ちゃんはそれに見合わぬ壮大なことを言ってのけた。
「お二人の意識を少しだけ改変させていただきました。私を本当の娘であると認識するように」
「改変って……それも神様の力なの?」
「もちろんです。お姉ちゃんに不可能なんかありません」
得意気な顔して凄いこと言うなこのお姉ちゃん。
「じゃあ、一億円出してって言ったらできるの?」
「不可能ではありませんが、そういったことをするつもりはありません。手に余るほどの貨幣は、いつの世も幸福と不幸の両方をもたらします」
なんか難しいこと語り始めたぞ。知的なお姉ちゃんもいいな。神様ってことは知識量も半端ないだろうし。
「そういった楽な手段を覚えてしまうと、人間は元の道へ戻ることが困難になってしまうのです。どちらを選んでも結果は同じで、楽な方なら短時間で済む……人が変わってしまうのも当然のことです」
圧倒的な正論だ。軽い気持ちで適当なことを言ってしまったのが恥ずかしくなる。でも、真面目なお姉ちゃんを見られたのは大きな収穫だ。かっこよかったし。
「……それとも、竹流くんはお金が欲しいのですか? お姉ちゃんだけでは不満ですか?」
「な、何言ってるのさ! そんなわけないだろ!」
咄嗟のことに、つい強い言葉が出てしまった。お姉ちゃんも肩をビクッってさせて驚いてる。
でも仕方ないじゃないか。お姉ちゃんが自分を否定するようなことを言い出したんだから。俺はこんなにもお姉ちゃんを慕っているのに。
「えっと、ごめん。言い方キツかった。でもね、俺はお姉ちゃんがいてくれるだけで嬉しいから……その」
「竹流くん……」
なんだこの雰囲気は。いくら俺が姉萌えだからといって、突き抜けちゃいけない一線ってものがあるだろう。
「何かお姉ちゃんにしてほしいことがあったら、遠慮なく言ってくださいね。竹流くんの望みはなんでも叶えてあげますから」
なんでもって……そう言われると、今まで妄想で積み重ねてきた「お姉ちゃんにされたいことランキング」が上位三十個まで一気に浮かんで収拾がつかなくなる。
「じゃあ、考えておく」
ひとまず今は保留しておこう。慌てることはない。一つずつ順番にお願いすればいいだけの話だ。ランクインした事項から、改めて優先順位を吟味すればいい。心配なのは、そのすべてが同率一位なので選別が難航しそうだということだけ。
「はい。楽しみにしてますからね」
楽しみにするのは俺の方じゃないんだろうか。まあ、喜んでくれるのに越したことはないが。俺と会うために来たって話してたし、弟として可愛がりたいって目的があるのだろう。
「どうしましたか、竹流くん。私の顔に何かついていますか?」
「ううん、なんでもない」
底抜けに明るいお姉ちゃんの笑顔を見ていると、俺の頬も自然と緩んでしまうのだった。