お姉ちゃんに名前を付けよう
とりあえず落ち着こうと、風呂に入っていい汗を流した。そこまでは良かったのだが、部屋に入るとタケノコ様がベッドに座って姿勢を正していたから堪らない。部屋には竹林で佇んでいる気分になるような、心を落ち着かせる慣れ親しんだ香りが漂っている。
「あの、ここ俺の部屋なんですけど」
「知ってますよ。でも、今日からは竹流くんと私の部屋です」
また脈絡のないことを。
「そんなことありません。前から竹流くんは言っていたじゃありませんか。優しく甘やかしてくれるお姉ちゃんと、同じ部屋で過ごしてみたいって」
うぐ。事実だから否定できない……と、それは置いといて。
「心が読めるのも神様だからですか?」
「そうです。神様はなんでもできちゃうんです」
割とあっさり認めたな。否定しても素直に信じる気はなかったけど。少なくとも嘘を言うつもりはないってことか。
「でも、竹流くんがやめろと言うならこの力は使いません。もし信じられなければ、心を読もうとした場合に、私が罰を受けるような呪縛を自分にかけてもいいですよ」
「別にそこまでは……あまり使わないようにしてくれればいいです」
「わかりました。やっぱり竹流くんは優しいですね。お姉ちゃん感激です」
反応がいちいちオーバーなんだよな。これじゃ迂闊に出ていけなんて言えないし、それより俺がこの状況を受け入れつつある。だって、夢にまで見たお姉ちゃんができたんだぞ。しかも自分から甘えてくれと誘ってるし。
そうして考えに余裕が生まれると、根本的な問題に気付いた。
「ところで、なんて呼べばいいですか?」
「私には名がありません。なので、竹流くんが好きなように名付けてください」
当然、急にそんなこと言われてホイホイ思いつくほど頭の回転は速くない。脳内お姉ちゃんに名前なんかつけてなかったのが痛い。俺が呼ぶ時も「お姉ちゃん」としか考えてなかったしなあ……。
タケノコ、竹……ん? そういえば、親からさんざん聞かされてきた竹に関するエトセトラでこんなことを教えられたっけ。雑学程度にしか使えないと思っていた知識が、今この時に役立つかもしれない。
「じゃあ、こんなのはどうですか?」
放り出してあった数学のノートを開き、適当な余白にペンを走らせる。竹にまつわる昔話でお馴染みの名前、赫映という文字を。
「──これは、なんと読むのでしょうか。あかえい?」
神様でも読めない漢字があるようだ。人間が考え出した当て字みたいなものだから、仕方ないっちゃそうかもしれんが。
「これで、かぐやと読むらしいです。かぐや姫を漢字で書いたら、こうなるんだとか」
言葉に合わせて、赫映姫とノートに書く。暫定名称かぐやさんは見たことない漢字に興味津々の様子だ。
てか、文字とか言葉の概念は大丈夫なのか。一応会話に不便はないようだけど。強いて言えば丁寧口調なことが気になるが、それも俺が理想とする姉像そのままだから説明がつく。いいよね、なんか聡明な感じがして。
さて。竹ではなくタケノコから生まれたのに、この名前をつけるのはどうなんだろうか。壮大な昔話から拝借したのにこれだ。笑いたければ笑えばいい。
とか自己嫌悪していたら、当の姉上は目をキラキラさせて感動しました的な顔になっている。
「私にぴったりの名ではありませんか! やっぱり竹流くんは自慢の弟です」
どうやらかぐや姫の昔話は知っているらしい。そうでなきゃこんな反応はしないだろう。はしゃぎ回るほどではないが、全身から喜びを溢れさせているのが見てわかる。
そして気付けばハグ攻撃。俺相手には必中という特性を持つそれからは逃れられない。そもそも俺に逃げる気がない。だってなんだか心が安らぐし。
「竹流くん。早速ですが、私の名を呼んでください」
頭上からかけられる囁きに従い、俺は口を開く。
「……かぐや、お姉ちゃん」
くぐもった声になってしまった。届いたかどうか不安になるが、すぐにそれが解消される。
「はい。私は今からかぐやです」
笹森赫映。季節が夏から秋へと色を変えつつあるこの日、我が家に新しい家族ができた。叶うはずないと思っていた夢が実現してしまったわけなんだが、こんな時にはどうしたらいいんだろう。
とりあえず、今はこのまま柔らかい抱擁に沈んでいよう。しぶとい残暑なんか全然気にならない。




