お姉ちゃんは神様です
それから数分後、我が家の居間にて。
「失礼いたします。粗茶でございますが、お口に合えば幸いです」
相変わらず母さんは低姿勢だ。親父も緊張してるのだろう。肩が強張ってプルプルしている。神様相手と考えたら当然と言えるかもしれないが、まだ俺は事態の把握すらできていないわけで。
「お母様、何をおっしゃっているのですか。私のために淹れてくださったお茶なのですから、おいしいに決まっています」
「ああ、もったいないお言葉です」
さっきも見た流れなんだが。そろそろ本題に入ってほしい。警察に電話するかどうかも決めなきゃならないし。
「さて……それではご説明いたします。お母様には再度となりますが、更なる理解のためにどうぞお聞きください。警察の方をお呼びする必要はありません」
まただ。この神様とやら、一筋縄ではいかなそうだ。やっかいだな……あ、こんなこと考えてたらヤバイかも。
「いいんですよ。ゆっくり理解して、その上で竹流くんが納得したなら受け入れてください」
そう言って、彼女は柔らかく微笑んだ。そこに秘められた抱擁感はすさまじく、動揺した俺は俯くことしかできなかった。
「まず、私は何者なのかという話から始めましょう」
そんな俺をよそに、疑惑の神様は語り始めた。
「単純かつ一般的でわかりやすい表現として、私のことは皆さんが神と呼ぶ存在と同一視していただいて構いません。ですが、敬う必要などありません。家族になるのですから、それにふさわしい普通の関係でいたいのです」
居間を静寂が包んだ。両親はどちらも口を開こうとしない。単に恐れ多いと思っているのか、それとも普通の関係というのが理解できずにいるのか。
仕方がないので俺が言葉を引き継ぐことにする。その方が知りたいことを引き出せそうだし。
「えーっと、その神様がどうして俺んちに?」
「それは、私を大事に育ててくれた竹流くんに恩返しをするためです」
「……俺はあなたを育てた覚えはありませんが」
「いいえ、竹流くんは私を長い間大切にしてくれました。竹流くんが生まれてから今まで、ずっと私は見てきましたから」
生まれてからずっと。その言葉で思い当たる節があった。しかし、まさかそんな非現実的なことが……。
「そうです。私は庭に生えていたあのタケノコなのです。竹流くんに会うため、現人神となって今ここに来ました」
タケノコ。それは間違いなく、庭に生えていたアレだろう。考えてみれば、あの存在自体が神秘的というか超常現象だった。この家が建てられた時からそこにあったと言い伝えられており、いつまでも竹に成長しなかった。そこから意味不明なありがたさを解釈され、家の守り神みたいな扱いを受けている。
その重要なタケノコ様を、仮にも長男で跡取り最有力候補である俺が管理するよう言われていたのだ。最初の頃は理不尽な命令に嫌々従っていただけなのだが、次第に何も言わぬタケノコを相手にするのが気楽なことに気付いた。穴を掘ってその中に抱えた秘密を叫ぶ感覚に近いか。最近では、タケノコに向かってどうでもいい悩みなどを打ち明けて、気を楽にしていたりもした。
「雨が降ったら傘を差してくれて、暑い日には水をくれました。それだけではなく、言葉までかけてくれて、私はとても嬉しかったことを覚えています。こんなに優しい子に世話してもらえて、それはもう毎日が素敵の一言に尽きるほどでした」
世話していたのは親にやれって言われたからだし、別に褒められたことでもない。話しかけていたのも、他に相手がいなかったからという悲しい理由があるわけだが。
……ところで、俺はタケノコにどんなことを愚痴っていたんだっけ。嫌な予感がする。
「私にもできることはないかと朝から晩まで考える日々が過ぎました。そんな時に、竹流くんの呟きを聞いて閃いたのです」
あっ。そういえば俺、タケノコにめっちゃ恥ずかしいこと喋った気がする。誰も聞いていないと思って、秘めた欲望を洗いざらい吐き出したんだ。
「姉が欲しい──と、竹流くんは言っていましたね。アニメや漫画の中に登場する、徹底的に甘やかしてくれる優しいお姉ちゃんが欲しい。時には進むべき道を厳しく指導してくれたりといった、普段とのギャップにも萌えるとも言っていましたね。その声は私の中に深く響き渡りました」
こうして俺は公開処刑をされたわけだが、幸いなことに両親は神様の言葉に耳を傾けられる余裕がなかったようで助かった。今も低姿勢のまま両手を合わせて拝んでるし。
「そういった経緯があって、私は今ここにいるのです。竹流くん、念願のお姉ちゃんができた感想はいかがですか?」
いやいや、いきなりそう言われても困るんだが。妄想が実現したというのに、なんだか現実味がなさ過ぎて喜べない。大体、前提条件からしておかしいだろ。
「その前にさ。なんで人の姿になってるの。タケノコでしょ?」
「はい。ですが私、これでも神様なのです。多少の無理は通せちゃいます」
なんて無茶苦茶なんだ。ますます信憑性が落ちていく。ストップ安もいいとこだ。
「竹流くん、お姉ちゃんですよ?」
どうせまた、タチの悪い夢か幻だろう。信じられるものか。
「ずっと思ってたこと、私にぶつけてください。そうしてくれたら私も嬉しいです」
そういえば母さんも親父もこいつのことが見えてるんだよな。少なくとも俺だけが寝ぼけているってことはない。
「好きなだけ甘えてください。弟のすべてを受け止めてあげるのがお姉ちゃんの務めですから」
……お姉ちゃん、か。そりゃ昔から欲しかったけどさ。こうして突然「はい、私がお姉ちゃんだから甘えなさい」とか言われてもなあ。
「お姉ちゃんは怖い人じゃありませんよ? 竹流くんの望んだ姿になったつもりです」
確かに、容姿や雰囲気、性格などは俺の妄想を形にしたとしか思えない仕上がりだ。眼鏡で背が高くて黒髪ロングで胸が大きい敬語キャラとか、理想的過ぎて逆に嘘くさい。
「竹流くんと一緒に過ごせるなんて夢みたいです。竹流くんもそう思ってくれますか?」
さっきから俺の名前を呼ばれるたびに、頭の中がぐるぐる回ってどうにかなりそうだ。それが心地良いというのがまたタチが悪い。
「これからよろしくお願いします」
すっ、と手を出される。握手の催促だと気付いた時には、俺はもう手を差し出していた。この神様お姉ちゃんのことを、もう少し知りたいと思っていたからに他ならない。見るからに肌触りの良さそうな手に触れたいという魂胆は少ししかなかった。
「……こちらこそ」
「やっと受け入れてくれましたね。お姉ちゃんは嬉しいです!」
歓喜の声をあげながら俺に抱き付くお姉ちゃん。突然のことで体勢が崩れ、目の前にある素敵な体へ頭が飛びこんでしまう。
「そうやって甘えてくれると、お姉ちゃんもほんわかした気分になります。竹流くん、私が立派なお姉ちゃんになってあげますからね」
胸に抱えた俺の頭を、優しく撫でてくれている。前からは神々しい弾力を、後ろからは羽毛のような心地良さという至福のサンドイッチ状態が俺を酩酊の中へと叩き落とす。
そんな奔流の中で、俺はあっさりとこのタケノコお姉ちゃんに溺れてしまったのだ。