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拳を握れ!

作者: びーばー

 昔。そう、前のあたしは戦うことが大好きだった。

 戦場の緊張感。一瞬の駆け引き。そんなものに心が猛った。血が騒いだ。

 あたしは無敵だった。一騎当千、常勝無敗。誰彼構わず勝負を受けて吹っかけ、そのすべてに勝利してきた。

 戦いの満ち足りた緊張感や高揚感。勝利を掴み取った達成感。

 あたしの心はその求める全てを手に入れていた。


 でも、それも昔の話。


 一年前にあたしは負けた。完全な敗北。

 ふと、なんとはなしに仕掛けた勝負だった。そういえばやったことなかったねと、軽い気持ちの勝負だった。


惜敗完敗連敗全敗。


何度も何度も挑んでもたった一人に負け続け、あたしの無敵は足踏み状態、総崩れ。

才能?

それとも努力が足りないと?

どんなに繰り返しても。どんなに自分に厳しくしても。あたしは勝てなかった。


だから、私は諦めた。


血が沸くなんてことがない。心が躍ることなんてあるわけもない。勝負のしょの字も他の字も、一つだって関わりのない平凡な生活に私は逃げた。

毎日決まった時間に学校に通い、つまらない授業を聞いて、友人と無駄話なんかして。

刺激的なことなんて何もない普通の生活。


でも、楽しくないわけじゃない。

今のように、授業をサボって芝生に寝転んでいることもできる。真昼の月が浮かぶ青い空がきれいだ。

これはこれで幸せなのかもしれなかった。


「こんなところにいたの」


 あたしを覆う人の影。その陰の主をあたしは知っている。


「負け犬を笑いにきたのか?」


 身体を起こしたあたしは、嫌な笑みをその女にぶつけてやった。


「そんなこと……」

「そんなことあるだろっ! あんたがあたしの前に来る理由に他に何がある!」


 言葉をさえぎってまで怒鳴ったあたしに、その女の顔は驚きを通って寂しそうなものに変わる。


「お姉ちゃんに会うのに理由なんて要らないでしょ?」


 瞳を涙で揺らす女。あたしが勝てなかった女。それはあたしの妹だった。


「うるさいっ! あたしはあんたに会いたくなんてないんだ! 妹に勝てない姉の気持ちがわかるかっ? 戦うたびに負け続けた気持ちがわかるか!」


 それでも戦うことを諦めきれない想いがわかるのか!

 あんたが来るたび自分が逃げたと思い知らされる、あたしの心がわかるのか!


「ごめん。お姉ちゃん」

「あやまるなっ! ただの八つ当たりだ!」

「……ごめん」


 眼に涙を浮かべて謝る妹。小さくて華奢で、お人形さんのようで。物静かでおっとりしていて、おとなしい。

 でも、そんな妹にあたしは勝てなかった。ただの一度も。


「んで、なんの用?」

「……え?」

「あんたが、ほんとに何の用もないのに授業サボってまでくるわけないじゃない。なんか用、あるんでしょ? 聞くだけは聞いてあげるわ」

「ありがと」


 花の咲いたような微笑。さっきまで泣きそうだったのに。こういうところも、妹にはかなわない。そんなギャップが男の子たちにも人気なのだろう。


 うらやましくはないけれど。


「で、なによ?」


 妹がひるんだ。ちょっと反省。


「あのね、お姉ちゃん」


 一拍おいて。


「また、戦う気はない?」


 とくん。


 と、あたしの中が震えた気がした。

 でも。


「やだ」


 あたしは否定する。


「なぜ?」

「なぜって、……酷いこと聞くんだな。お前に負けたからだよ。負け続けたからに決まってるだろ。あたしはもう戦う気にはなれない。もう駄目なんだ」


「嘘でしょ」


 切り捨てられた。


「嘘じゃない、あたしは……」


「私に負けたくらいで諦める女だと?」


「なっ!」


 妹らしからぬ挑発的な言葉。あたしは、思わず腰を浮かせてしまう。


「あ、あたしが何回あんたに負けたかわかっててそんなこと」

「でも、お姉ちゃんが負けたのは、私一人にだけじゃない」


 それは、あんたが言う台詞じゃないっ!

 そう叫ぼうとしたあたしは、妹の柔らかい笑顔に、言葉が口から出てこなくなった。


「お姉ちゃん。私にだって勝てない人はいるの」


 それは衝撃だった。

 妹にだって勝てない相手はいる。それはそうだ。妹だって最強でも無敵でも不敗でもない。ただの人間なのだから。

 でも、あたしは考えたことがなかった。妹に負けたことばかり考えていてあたしは――。


「私はその人に勝てない。でも、お姉ちゃんはその人に勝てると思うな」


 なんで、と尋ねたら。相性みたいなものだから。そう返ってきた。根拠がない。でも、そんな楽観的な考えが、あたしにはなかったのかもしれない。


「それにね……」


 突然。


 あたしの身体が反応した。妹の構えに、あたしの身体が動いていた。姿勢を低く半身に構え、右の拳を腰だめに添える。全く同じ構えで、あたしたち二人は向かい合う。


「お姉ちゃんが求めたのって、勝利じゃないでしょ?」


 あたしを見て。うれしそうに、本当にうれしそうに妹は告げる。


 ――もう、あたしに、いや、あたしたちに語ることはなかった。


 ただ黙ってじりじりと距離を近づけていく。やがて、妹の表情も消える。

 ぴんと張り詰める緊張感。その場が一瞬で戦場になる。それだけで、あたしの血は沸騰し、心が狂喜乱舞する。


 ああ、ちきしょう。さすがは我が妹。あんたの言った通りだよ。

 負けを怖がって逃げるなんて馬鹿げてた。


 だから、また始めようと思う。


 戦うことを。


 詰まってくる距離がゼロになる。勝負は一瞬。



『じゃんけん、ぽんっ!』


 重なったあたしたちの声は、小学校中に響いたのだった。


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