終焉という名のもの
神様、わたしを愛してください。
毎日、毎日彼女は、制服を身につけた彼女は神様ではない自分にそう言った。
――――お百度参り――――
人々の信仰心の薄れた神様は、やがて消えてしまう。
雨乞いの神様がいたはずの美代神社が空っぽになったのは今から丁度一年前のことだった。
そこに三ヶ月ほど前から住み着いた放浪中の思念があった。名を終焉という。
終焉はその名の通り、世界が消える時に一緒に消える存在だった。
何にも影響を与えることもなく、自身が影響を受けることもなく、ただ無限にあるような時の中で放浪する。そして世界の終わりを見届けて、消えるのだ。それが終焉の運命だった。
「神様、わたしを愛してください」
女がまた来た。また来た。
えらく一歩的な願いだな、と今日も一人思いながら、太い柱にまた一つ、尖った小石で六十九つ目の印を付けた。
私は神様じゃないし、お前を愛してやることもない。そんなに毎日毎日来ても意味がないというのに。
―――私はすぐに去るつもりだったのだ。三日ほどここに泊まって、再び放浪の旅に戻るつもりだったのだ。
言い訳のように言葉を連ねても、終焉の言葉が女の耳に届くことはなかった。
終焉が柱に印をつけ始めたのは、女が来て四日目のことだった。
話しかけても反応が返ってこないものだから、最初終焉は女の耳が不自由なのかと思った。
それならばと、自分にしては大きな声を出して、聞こえやすいように配慮しながら話しかけた。
―――――刹那。
女が小鳥の鳴き声に反応した。
「……ぁあ、きれいね。きれいな声ね」
終焉は大きな声を出した自分がなんだか妙に恥かしくなって、これ以降絶対に声を張らないと決めた。
――――自分の声だけが聞こえないのだ。
そう思うと少し痛くなった。どこが、と言われると終焉は思念だったので実体はなかったのだが。とにかく、少しズキンとどこかが疼いたのだ。確かに自身の一部分であるどこかが。
ひょっとすると、女はお百度参りをしているのかもしれないと早いうちに気づけたのは幸いだった。
なにせここは神社なのだから。女は毎日毎日、同じ願いを口にした。
日数を覚えられる自信の無かった終焉は早々にそう気づけた自分を少しばかり褒め称えて、柱に申し訳程度の傷をつけ始めた。
神様は、もういないというのに。願いは絶対に叶わないというのに。女は自分が住みついた以前からお参りをしていて、とうに百日など過ぎているかもしれないのに。
色々間違って、色々勘違いして、それでもなんとなく終焉は百日経つのを待っていた。これほどまでに時の流れを遅く感じたのは初めてだった。
百日目はついに明日になっていた。
夜の帳が下りて、辺りは深い闇に包まれた。
終焉は自身が初めて緊張していることに気が付いたのだった。
早く来い。早く来い。
お前を愛することはないだろうが、話くらいならしてやってもいい。
そうだ、いっそ神様と偽ってやろうか。
愛してると言えば、女は喜ぶのだろうか。私の前で笑顔になるのだろうか。
ゆったりとした時間の流れが好きだった。時間をかけて桜の花びらが落ちていくさまを見るのが好きだった。けれど。
今はもどかしい。早く時が経てばいいと願っている自分がいた。
早く。早く。
焦る気持ちはそのままに、終焉は何故かその中に心地良さを感じていた。
百日目、女は来なかった。
朝、いつも決まった時間に制服とやらを身につけてひょっこり顔を出す女は来なかった。
我慢しきれなくなった終焉は、神社の本殿から出て、境内を探してまわった。と言っても今では信仰する人間などいないボロ神社なのでそこまで広くはないのだが。
なぜ、なぜ。
よりによって百日目に来ないのだ!
ぁあ…何かが起こると私は信じていたのだろうか。そんなことは、無いと女に言いながら自分の方が信じていたのか。
ぅう…苦しい…苦しい
終焉は悲しくて悲しくてこんな地、早く去ってしまおうと飛び上がった。
あぁ…でももう少し。もう少しだけ。太陽が空のてっぺんに登ったら行こう。きっと行こう。
終焉は境内をまわって、少し休憩するとまた飛び立ってまわった。
それを何度も何度も繰り返し、気がつくと太陽はとうにてっぺんに登りきって、それどころか時刻は夕刻に近づきつつあった。
終焉はもう境内をまわるのをやめて賽銭箱の上に座って女を待った。
早く。早く。
夕刻になってなんとなくもう来ないことは感じていた。けれど、終焉の中では去るという考えは消え失せていた。冷静になって、初めてお百度参りをしていたのは自分の方だったのだと気付いた。けして自分が参ったのではないけれど、動いたわけではないけれど、願ってはいたのだ。
会いたい。会いたい。
そう切に願っていた。
いつだって気持ちを隠すのは自分で、それはそれは巧妙で、完全に隠れていたはずのこの気持ちは、女が来ないただそれだけのことであっけなく顔を出した。
退屈を知らなかった終焉は、退屈じゃない日々を知って、退屈を知った。いつのまにか女のいない景色は白黒になっていた。