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人が死ぬ部屋 悪霊vs悪霊

作者: 長谷川昏
掲載日:2026/10/30

「おばけ」


 隣のテーブルにいた三、四才くらいの子供がそう言って、こちらを指さした。

 それに気づいた若い母親は慌てて子供を抱きかかえると、「すみません」と頭を下げた。


「あー、見慣れないオバさんがいたからそう見えちゃったかなー、ごめんねー」


 私はそう応えて、二人ににこりと笑いかける。でも変わらず子供は、私の左肩辺りを凝視していて「おばけ」を繰り返している。

 母親は再び申し訳なさそうな顔をして「すみません」を繰り返した。私は彼女に「気にしないでねー」と声をかけるとトレイを手に立ち上がり、昼下がりのファストフード店を後にした。


 あの子供は全然悪くない。

 実際〝おばけ〟はいるのだから。


 そんなことより私は母親という存在を尊敬している。この世に新たな命を送り出し、育て上げる。その行程全てに敬意を抱いているし、だからごく稀にこうして関わる機会があれば、できる限りその意を伝えられる感じで接したいと思っている。


 私のような赤の他人に、何度も頭を下げる母親の少し疲れた顔を思い出す。

 五十五才になった今もひとり身、子供もいない。そんな自分よりずっと敬われなくてはならない彼女に、いらぬ気苦労をさせたことに心が痛む。


 鬱々とした気持ちを抱えて、帰宅途中に最寄りの喫煙所に立ち寄る。狭いブース内には四十半ばのサラリーマン風と、ループタイをした七十代後半の男性がいた。


 サラリーマン風は喫煙所内にもかかわらず、中学生のようにこそこそと端の方で嗜んでいる。

 喫煙者には肩身が狭い時代だよねぇ、と勝手に共感して火を点けようとすると、途端ループタイが嫌な顔をした。「女でBBA(ババア)の喫煙者は気に入りませんかぁ?」とつい心の中で好戦的になってしまうが、一秒後にはどーでもいいかと煙を吐き出す。


 近頃はいろんなことがどうでもよくなり始めている。五十才くらいまでは、まだあーだこーだと小難しく考えていた気もするのだが。


 喫煙所を出て、自宅兼仕事場に戻る。

 築三十余年の雑居ビルの三階、インチキ臭い健康衣料品販売会社の隣に木島(きじま)探偵社がある。

 社員は私、木島瑛子(えいこ)のみ。


 日々迷い込む依頼はぼちぼち、儲けもぼちぼち。

 たまに来襲する副業分も足せば、一日煙草一箱と時折ファストフード店に立ち寄れるくらいには干上がらない程度に生活できている。

 事務所内には応接セット一組と自分用のデスク、どちらも中古で手に入れた時点で既に充分すぎるほど古びていた。デスク後ろにある衝立の向こうは居住スペース。酷い有様だと眉を顰められない程度には片づいている。

 

 私はソファに腰を下ろすと、両脚をテーブルの上に乗せた。

 いつもの流れで煙草に火を点けようとしたが、思い直してやめる。

 先々週浮気調査を終えた後は依頼が途絶えている。ダブルチーズバーガーセット(カフェラテに変更プラス五十円)なんて贅沢しなけりゃよかったと後悔し始めていると、扉がノックされた。


「瀬口(せぐち)です」


 訪問者は扉の外でそう名乗る。

 見遣った磨りガラス越しに、長身の男の姿がぼんやり映る。

 咄嗟に息を潜めて居留守を使ってしまうが、相手はとっくに私がいると察しているので再度ノックを繰り返した。


「木島さん、いるのは分かってますよ。結局話を聞くことになるんですから、とっとと開けてください。毎回毎回めんどくさいな」


 磨りガラス越しでも、相手が呆れているのが伝わる。

 確かにそのとおりにこの後展開するのも分かっているのだが、この相手に会うのが嫌すぎて毎度無駄な過程を挟んで、無駄な抵抗を繰り返している。


「……えっと、瀬口、久しぶりだね、三ヶ月くら……」

「これ、読んでください」


 扉を開ければ前置きもなく、書類を押しつけられる。相手は持参したコーヒー片手に私が先程までいた場所に腰を下ろすと、長い脚を組んだ。


 手元に残された紙束を見下ろせば、すぐさま『殺』や『虐』の文字が目に映って、深い溜息が出る。

 カップに緑色の人魚が描かれたコーヒーを美味そうに堪能する相手に目を戻すと、私は声をかけた。


「それ、おいしそうだね。私の分は?」

「はぁ? ありませんよ。どうして僕が木島さんの分を?」

「……うん、分かってたけど一応訊いてみた。イヤな奴だってことを再確認するために」

「そんなくだらないことに時間を費やしてないで、早く書類に目を通してください。ここ、ヤニ臭いんで長居したくないです」


 そう返す相手に私は何とも言えない視線を戻す。


 瀬口隼人(はやと)。警視庁所属の刑事。

 生まれついての富裕層、生粋の都会人で、幼い頃からエリート街道を驀進し、将来管理職になることを約束された二十八才。ついでに長身でイケメンで、掲げた看板に違わない優秀さも持ち得ている。私のような地方出身者で高卒、ついでにBBAとは格が違う(笑)


「早くしてくださいね」


 コーヒーの一つも奢ってくれない相手に、圧をかけられながら渡された書類に目を通す。

 書類の冒頭には××区△△町、メゾンアリステア 五○二号室、通称人が死ぬ部屋、とある。


「そこに住むと文字どおり命を奪われることになるんです。なので現地で確認後、いつもの頼みます」


 一瞥してそう言い放った相手に、いつもの如く少々の殺意が湧く。

 けれども簡単に言ってくれるなと尻でも蹴り飛ばして、追い返せる訳でもない。


 こいつ(瀬口)がいる警察というか、奴が所属している部署の責任者に過去のあることが原因で弱みを握られているので、毎度文句も言えず従うしかない。

 

「読み終わりました? じゃ行きますよ」

 書類に目を通し終えると、瀬口に今度は部屋から追い立てられる。


「えっ、今から? もう夕方なんだけど」

「時は金なりです。ちんたら生きてる木島さんと一緒にしないでください。僕、忙しいんで」

「私も忙しいよ」

「つまんない嘘はつかないでください。さっきまで暇そうにダベってたじゃないですか。とっとと行きますよ」


 毎度無駄な足掻きをして、自分の苛々度を自ら上げている。

 些末で拙い抵抗を放棄して隣接する激狭駐車場に向かうと、愛車のジムニー(中古)に乗り込む。

 山深く雪深いド田舎の実家に帰省するために購入したが、その矢先に父、母と順を追うようにこの世を去った。だからもう郷里には家族の墓しかない。


「ヤニ臭い」

「うるさいな。だったら瀬口の格好いい高級外車(アストンマーチン)で来ればよかったろ?」

「冗談でしょ。ヤバい場所にヤバい人間と行くのに、自分の愛車は出しませんよ」


 半笑いの相手に再び殺意が湧くが無駄なことだと……(以下略)。


「経緯は分かりましたか?」

「おおよそは」


 書類に記してあったことを要約すると、メゾンアリステア五○二号室ではある時期を境にして既に四人の住人が亡くなっている。

 一人目は傷害致死、二人目は事故死、三人目四人目は自殺……。


 この高度な現代社会に於いて、このように同一場所で死人が多発する不可解な事象が連続したとしてもそれ自体に意味を持たせることはせず、いずれ導き出される結論の外の出来事、ただの偶然の産物として片づけるはずだ。(その過程で余興的怪談話のネタとして消費されることはあっても)

 しかし瀬口が所属する部署ではこれらの出来事をただの偶然の連続として捉えず、一般的な現実路線とは異なる別の角度から、このような事件に関わろうとしている。


 一見何の変哲もないアパートの一室でこれほどまでに人死にが連続しているのは、当(・)該(・)の(・)部(・)屋(・)が(・)呪(・)わ(・)れ(・)て(・)い(・)る(・)た(・)め(・)。

 常識では説明し難い〝何者か〟が、この部屋に住む人達を次々に死へと追いやっている――。


 毎度瀬口に連れ出される私はそこで原因となっているものを突き止める……のではなく、その〝何者か〟を『追い払う役目』を担って、毎回瀬口のいる組織に使われている。


「最初の被害者が出る二年前、メゾンアリステア五○二号室では子供の虐待死事件が起きています。被害者は牧(まき)尚樹(なおき)、五才。彼へのネグレクトと暴力行為を繰り返していた義父と実母と祖母は後に逮捕され、刑も既に確定しています。こちらではこの被害者少年が今回の連続死の要因ではないかと見ています」


 瀬口はそう告げた後、顔を窓の方に向けた。

 私も何も応えず、黙って目的地まで車を走らせる。


 本来なら庇護と愛情を注ぐべき家族に殺された上に、今もその場所に留まって他人を死に導き続けている……。

 あまりにも無情すぎる。できれば対峙するのは外道の方がよかった。偽善的であるのは分かっているが、可哀想な子供の成れの果てと向き合うのは心理的にキツい。


「その一番端の駐車スペースに停めていいですよ。五○二号室用なんで」


 目的地に着き、瀬口が示した場所に車を置いて早速部屋に向かう。


「当該の部屋とその両隣は現在空き室です。隣二部屋は事件が多すぎるのが原因で退去したようですね」


 瀬口が鍵を開けて、目的の部屋に入る。

 空室だから当然だが、中はがらんとして何もない。


 夕方五時を回り、陽も陰って、部屋の中は薄暗い。

 背後で瀬口がフラッシュライトを点けた。

 私もスマホの明かりを点けて、部屋の中を見回した。

 

 玄関からまっすぐ伸びた廊下の先に、キッチンと広めのリビングがある。

 家族向けの間取りなのか玄関近くに個室が二つ、リビングの奥には多目的ロフトまである。


 私はカーテンのない窓に近づくと、ささやかな家庭菜園でもできそうな広さのベランダを覗き込んだ。

 二人目はこのベランダから転落したらしい。その死に顔は何か怖ろしいものでも目にしたように歪んでいた。

 三人目四人目はロフトの手摺りに括った紐で首を吊った。そのどちらの顔にも貼りついた恐怖が刻まれていた。


「瀬口」

「なんです?」

「原因はそっちが想定してた子供じゃないね」

「はい?」

「元交際相手に対するストーカー行為、それだけに留まらず親族にまで及ぶ脅迫行為、勤め先への度重なる嫌がらせ……結局耐えかねた被害者に刺されて死に至った一人目の住人、桑名(くわな)湊翔(みなと)、そいつが原因」


 私はキッチンカウンターの奥に目を凝らした。

 薄暗さが増すその場所に、何かが立っている。

 途端、強烈な腐臭が鼻腔を襲った。


 ぐずぐずに腐乱して膨張した身体。

 顔貌は既に判別できない。

 腐った肉がねっとりと糸を引いて床に落ちる。

 他の形容詞を霞ませるほど、おぞましいと言うにふさわしい姿だった。


「瀬口、外で待ってて」


 あ(・)れ(・)の姿が見えない瀬口に私はそう告げる。

 彼は無言で頷くと、部屋を出ていく。

 扉が閉まる間際に「いつものように外で待機してますんで」と届いた。


 ほぼ闇に包まれた部屋で、私は腐り落ちかけた化け物(バケモン)と再び対峙する。

 直視はしたくなかったが、直視して声をかけた。


「ああ、その姿、本当に醜いねぇ、生前もサイテーだったけど死んだ後はよりヒドイ。マジで醜いし、おまけに臭ぇ」


 私の声に化け物(バケモン)が反応する。

 びちゃ、と湿った足音を立てて一歩前に出る。

 より強くなる腐臭に自然と顔が歪む。


「ねぇ、聞こえてる? ゆ(・)き(・)。お姉ちゃんがピンチだ。あの化け物(バケモン)に先横されるよ」


 そう呼びかけると、左肩が痛みと共にずしりと重くなる。

 その痛みを基軸として、何かが自分の背後から這い出てくる感触。 


 長い間洗っていない脂っぽい髪が頬に触れた。

 昔はあんなにきれいで艶やかだったのに、と思いに耽っていると、目の前に汚れたセーラー服を着た私(・)の(・)妹(・)、ゆきが立った。


『ず、ず、ず、ずるい……お、おねぇちゃんばっかり……』

 

 三十五年前、私が二十才の時、十六才で死んだゆきは今も私に憑いている。

 彼女が死んだのは私が田舎の家を出て、東京に行くと言った日だった。


 容姿も勉強も何もかもが平均かそれ以下の私と違って、ゆきは美しく賢かった。

 彼女のことがいつも羨ましかった。

 そんな自分を変えたくて田舎を出る決心をした私を、妹はなぜか激しく罵った。


「お姉ちゃんばっかり狡い! 私だって、私だって出ていきたいのに!」


 そう声を荒らげる妹だって時期が来れば、どこにだって行ける。

 でも十六才の彼女は、まるでこの田舎に永遠に囚われ続けるのが当たり前のように悲観的だった。


 だけど今なら分かる。

 あの頃都会は、どこよりも遠い場所だった。

 情報も手段も限られたあの時代に於いては、妹のように感じるのは普通のことだった。


 妹は散々言いたいことを言った後、二階の自室に閉じこもって出てこなくなった。

 おろおろするだけの両親も私もどうしていいか分からず、放置するしかなかった。けれど居間で夕飯を食べていた時だった。


 突然廊下の先で激しい落下音がした。 

 慌てて両親と居間を飛び出すと、妹が階段の下で倒れていた。

 急いで駆け寄ったが、既に施す術もなく、妹は死んでいた。


 遺書もなく、確かに諍いはあったが死に至るほどの前触れを見せていた訳でもない。

 警察の捜査もその後入ったが、結局妹の死は事故として片づけられた。 

 今でもあれが事故だったのか、実は違っていたのか分からない。

 でもあの時から妹は私に憑いている。


『お、お、おねぇちゃん……ず、ず、ずるい……』


 姿を現しても、妹はそれしか言わない。

 けれど私(・)を(・)殺(・)し(・)た(・)い(・)のは分かる。

 彼女は自ら私を殺したいから、他者が〝それ〟をするのは絶対に許さない。


 う゛おおおおおおおおおおおおおおおおお……。

 腐った化け物(バケモン)が業を煮やして地響きのような雄叫びを上げた。

 ぐしゃ、と音を立てて、また一歩近づく。


「頼むわ、ゆき」

『お、お、お、おねぇちゃん……』


 悪霊VS(バーサス)悪霊。

 私を殺すという強い願望を抱き続けるゆきは、現状無敗だった。






******






「終わりました?」


 五○二号室を出ると廊下で瀬口が待っていた。「終わったよ」と伝えると、彼は「じゃあ帰りましょう」と言った。


 瀬口は私に任せた後の詳細は何も訊かない。

 馬の合わない相手だが、あまり言いたくない部分には触れてこようとしない。

 訊くのが面倒だからか彼なりの矜持があるのか分からないが、その部分は助かっている。


「どこでもいいんで駅の近くで降ろしてください。戻って事後処理やら書類作成があるんで。木島さんは家に帰って好きなだけ惰眠を貪ったり、煙草を吹かしまくったりしてください」

「はいはい、了解了解」


 一言も二言も多いのはなんとかならんのかと思うが、考えても無駄なので……(以下略)。


「あのさ、前から気になってたんだけど」


 すっかり暗くなった道のりを車で戻りながら隣に訊ねる。


「なんです?」

「瀬口はどうしてこんな仕事に就いてんの?」


 彼の経歴を考えればこの先もエリート街道を難なく進んでいけばいいはずで、こんな怪しげな事件ばかりを扱う部署に寄り道のようにいつまでもいること自体、理解できない。


「言いたくなければ別にいいけど」

 続く沈黙に耐えられず、気まずさをはぐらかすつもりでそう告げたが「いいえ」と返った後に言葉が届いた。


「僕はこの仕事が好きなんです」

「えっ……それって警察官の仕事がってこと? それともこの怪しげな仕事が……」

「その答えはどっちでもいいんで、木島さんが好きな方で判断してください。僕はまともに生きてる人がまともに生活を送れることを望んでるだけです。木島さんだってそうでしょ? ……あ、その辺で降ろしてください」


 相手の指示どおりに路肩に車を停めると、彼は「じゃ」と言って地下鉄の入り口に消えた。

 投げた言葉を放りっぱなしで、とっとと消えるなと言いたかったが、自分達の何とも言い難い関係を考えればこの展開でいいかとも思う。


「さて帰るか」


 独りごちて後方確認のためにルームミラーを覗き込むと、響き渡った甲高い亀裂音と共にミラーが斜めにひび割れた。




〈了〉

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