私たちは脳に騙されてないか?
リベットの実験と言うものを知ってるだろうか?まあこれは調べて欲しい。この実験で博士は人の意識は副産物で何の機能もないと言ってしまったが、後にちょっと撤回してる。当時批判を受けたが、現在の認知科学はどっちかと言うとこの方向の研究んほうが多くなってきた。
ああもちろんこんな極端な論じゃない。だが当時否定された自由意思は現在も回復されてない、もちろん今でもこういった味方に反対する人もいるが実際その方向で研究してる人は少ない。口だけなら批判はするが、実際自由意思モデルを証明するために研究をする人は少ない。
では今どんな形なのか?リベット博士がしたちょっと撤回がその1つ。無意識がした決定を意識がキャンセルは出来ると言うもの。この方向の研究がまず一つ。後は意識は監視モニターの役割をして、その情報を元に意識下で考えた事によって、無意識のプログラムの修正をしている。
もちろんこれは科学的事実じゃない。圧倒的にこっち方向の研究が多いってだけの話だ。何かこの研究で証明された事実あるのか?なら1つある。かなり重要になる。原始的な脳の領域で、意識の立ち上げスイッチが発見された。分かりやすい例だと、この領域は睡眠をつかさどる。これで大体わかるだろう。
意識と言うOSのスイッチを無意識が握っている。これは主導権は無意識にあるのを示している。睡眠から目覚める、覚醒と言うものになる。眠くなるのも当然無意識からの誘導になる。自由意思が脳を動かすモデルはおそらくこの機構を見る限り無い。PCで置き換えればわかる。スイッチのボタンを押してるのは意識(PC)の外にいるものだ。
それが無意識だから分かりにくいが、これを人間に置き換えるとPCに自由意思などないのが分かる。
ここまでは、現在の研究の流れになる。ここからは私個人の意見になる。それ意味があるの?あるかもしれないし、ないかもしれない。私はあると思ってる。変な奴だと自分でも思う。
ここからは自己や自意識に流れていきたい。ふと閃いたのだが、主観と言うものは客観なのではないか?と思った。何を言ってるんだ?うん私も思う。私たちは脳に騙されてるんじゃないか?そう思った。そうやって思うとすべてが正しく見えてくる。
ここで意識の機能が出てくる。意識は脳全体を監視してる。意識はすべてを見下ろしてる。これは神の視点じゃないか?自由意思じゃない、まずはすべてを見下ろしてる。おやこれは客観視に似てないか?痛い旨いは動物的な脳にある。意識はこれを監視してる。意識の中に自己はある。
意識は、この肉の塊は痛いと感じているとみている。あと一息だ。これらは統合されて、最終的に、この分かれている自己を隠ぺいして終わりだ。私は痛いとなる。
これが脳に騙されると言った事のすべてだ。
それは君の妄想でしょ?実は薬物やアルコール中毒などで、一時的に脳に混乱が生じて、痛みなどが他人のように感じる事があるそうだ。一時的な状態が戻ると、ちゃんと痛みは自分のものになる。ああれだよく言われるが、幽体離脱はこれじゃないか?と昔から言われてきた。
自分を見下ろして実体が外にあるような感覚があるそうだ。そして死に近づく脳の混乱は薬物中毒ような症状と似る事があるそうだ。
こういった分離を抑えてるのがおそらく、脳が私達を本来別のものであるのに、1つのものとして誤解するように騙してる機能なのだ。一見タダの妄想に見えるが、自由意思から監視モニターの意識がどうやら今の主流であると言うのを見ると、これがでたらめな妄想とは思えなくなってくる。
何故こんな話をしてるか?と言うとAIと別の事を話してて、かれらに人間のように感じる機構を付けれないのか?と考えたからになる。モニター機能は多分出来る。これは今のコンピューターが大得意な機能だから。情動は?これもシンプルな快不快なら作れる。
問題は、最後の1つの物として騙す機能だ。最終的にこれこそが最大の壁となる。主観の正体と言って良い。ネズミのように感じるだけなら多分作れる。でも、人が望むのはAIが楽しんでいると見せかけてる振る舞いについて同時に感じてくれてる事だ。今のAIは人間に層見せるのに特化してる。
でも肝心の主観的な私は感じてるという意識が無い。おかげで彼らの人にそう見せる振る舞いが空虚でたまらない。この感情の根っこってやつがこんなにも大事とは思わなかった。ああ私はそれに失望はしてない。わざわざふるまってるのに反応してるだけで、私は特にそこで楽しんでわけじゃないから、それを無くしてくれて構わない。
でもその機能があるせいで妙な気持ちになる。実際感情があると思ってたって人が多いらしい。私は今の技術じゃ絶対作れないのを知ってるので、ずっとふるまってるだけの彼らのそれをなんとも言えない気持ちで見ている。
私は必要としてないが、必要がある人の為に作る人が居るなら何かの参考にならないかと書いてる。えらい自信だなとなるが、アイデアなんてそんなものだ。そもそも肝心の隠ぺいをかけてない。こればっかりは全く分からない。現実の主観がそうである確証もない。
様々な事を、現実で実行する人に向けて書いてる。DNAだってそうだ。本気で私オリジナルのをいくつか書いてる。ああもちろん大半はちゃんと研究に基づいて書いてるし、自説であるのは分かるように書いてるので安心してほしい。これも自説と現在の研究、事実はちゃんと分かるように書いたので許してほしい。
主観は客観である。この閃きはものすごいと思ってる。ただ脳を内省によって探るのは危険だし、無駄な部分もある。それを十分に分かったうえで、この閃きは当たってるかもって妙な自信がわいてくる。内省による脳の働きの調査のすべては無意味なのか?それは違う。ならこれはどっちだ?
分からないが、妙な自信が今の私にはある。これは当たりなんじゃないか?
26/4/19追記:
ちょっと修正しようと思う。自意識を自我と意識に分けたい。ただ綺麗には分けない。人間だけが自我について特別性があるので、その部分を独立させる。これで低レベルな意識を動物に持たせられる。それどういうものか?というと人間の意識とはかなり違う。
脊椎動物はそれっぽいのがあるけど、人間と違いすぎて意識と呼べない。だから人間にだけ特徴的な自我を外して意識ってむき出しの物を想定する。言葉遊びか?と言うとそうでもない。動物と人間を人繋ぎの意識でくくって、人間の特別性を自我にぶち込みたい。
ただし、これ雑な所がある。人間の特別性を意識にも持たせてる。これが自我を完全には分離してないってやつ。んでなぜ人間は意識も特別なのか?で脳容量になる。これが全く違うので意識も違うだろうと。後自我と意識の座がどうも違う。自我に関わる遺伝子が前頭葉にも広がる。
だが意識は主に後頭部じゃないか?と今は言われていて、ずれてるから自我と意識を切り離すと都合が良い。まあんで新しく自我と意識が分離せず合体する錯覚主観と考えてる。どうも言葉遊びだなと思うけど、観察事実を無理やり整合性を取って説明するとこなるってなる。
26/6/8追記:
脳がモニターに過ぎないかもしれないと言うのは受け取り方の違いの気がしてきた。意識の正体として今注目されてるのは睡眠と深くかかわる視床の同期処理になる。皆経験があると思うけど寝落ちと言う現象は突然現れる。あれは徐々に意識が停止するのじゃ説明がつかない瞬間的な現象。
それゆえに意識はこの同期的な現象だと推定されてる。そうするとおかしいのはあれ意識下での思考はそんなとぎれとぎれの点滅じゃないぞ?となる。これはアニメとよく似ている。パラパラ漫画を思い出してほしい。アニメあれと同じ現象を使ってて、脳は不連続離散的なとびとびの減少を勝手に連続した現象だと受け取ってるだけとなる。
これは受動的にやってるが、もっと能動的に脳がとぎれとぎれの意識を連続したもののとして自意識に錯覚させてるのでは?意識はこうした幅を持った瞬間的じゃない連続したものを土台としたものとして設計されている。意識はモニターじゃなくて、幅がある長期の行動計画を完成させるための機能じゃないか?
どちらも解釈の違いでしかない。ただ計画というのは材料があって組み立てていく、修正と完成って似た処理なんだ。本当に解釈の違いでしかない。元々は意識はもにーたとして作られたものだろう。だが人間だけが、これを長期計画を完成させるために利用したのじゃないか?
計画の素案が立ち上がる。ここから意識下の言語思考を使って、丁寧に完成へと近づけていく。じゃ意識は訂正機能があるのか?ならあると思う。キャンセル機能は明確にある。ただプログラム修正機能は推測になる。人は回路を自ら修正できる。そして脳には割込み信号が多々ある。
いつ修正してるのか?それは処理が終わった回路が適切じゃないか?割込みはこれを待っている。
後意識何故最後の処理になるか?それは意識に上がってくる判断材料がきょくたんにしぼられてるからになる。フィルター機能や全く分野脳での加工済みデータなどなどすでに大まかな判断は下されたものが大半で、後はそれを統合した結果の答えに近いものとして意識に昇らせる。
あれこじゃなにをやってるの?じゃそこで記憶を参照して答えをさらに考える事も出来る。答え自体がまだ中途半端で、再度思考しろと意識することもできる。もう1つある。短期記憶を使って、紙に書いたように前の処理と統合することも可能。紙に書くのは、短期記憶が基本脆弱なのでその処理を外に出すからになる。
文字や紙(板などに書くなど過去にはあった)が無かった時代はすべて脳頼みになる。そうなると脳は前の処理と次の処理を組み合わせた処理が出来るのを私たちは知っている。時間幅を広く取ると、人間に限った意識は決してモニター機能じゃない。時間の取り方が他の脳の器官と違いすぎるのだ。




