第5話:氷の公爵、来る
「こ、公爵様が……視察に!?」
王都の魔導具審査局から、局長自らが視察に訪れるという一報が届いた日、工房は朝から大騒ぎだった。
特にリオとセナの兄妹は、完全にパニック状態に陥っている。
「どどど、どうしようリリアーナ様! あの『氷の公爵』様がこんな辺境の、まだ完成もしていない工房にいらっしゃるなんて!」
「……お掃除、しないと。でも、どこから手をつければ……」
二人揃ってわたわたと右往左往している姿は、小動物のようで少し微笑ましい。
対する私は、いたって冷静だった。
「落ち着いてください、二人とも。ただの現地視察です。申請書類に書かれたことが事実かどうか、確認に来るだけですよ」
「ただの、って……相手はあのベルンハルト公爵ですよ!? 睨まれただけで心臓が凍るって噂の!」
「大丈夫です。事実しか書いていませんから、何も恐れることはありません。いつも通りにしていればいいんです」
私がそう言って微笑んでも、二人の緊張は解けないようだった。
そして午後。
工房の前に、王家の紋章よりも格式高いと言われるベルンハルト公爵家の紋章を掲げた、漆黒の馬車が静かに停まった。
馬車から降りてきたのは、噂に違わぬ人物だった。
氷を思わせる銀色の髪に、凍てついた湖面のような青い瞳。寸分の隙もなく着こなされた豪奢な衣服は、彼の近寄りがたい雰囲気をさらに際立たせている。
アレクシス・フォン・ベルンハルト公爵。
その人が、感情の読めない瞳で、まっすぐに私を見据えていた。
「君が、リリアーナ・フォン・ヴァインベルクか」
「ようこそお越しくださいました、ベルンハルト公爵様。わたくしが工房長のリリアーナです」
私が優雅にカーテシーをすると、彼の隣に控えていた護衛や役人たちが息を呑むのが分かった。辺境の令嬢が、氷の公爵を前にして一歩も引かない態度を見せたことに驚いているのだろう。
リオとセナは、私の背後で石のように固まっている。
「早速だが、案内してもらおう。君の『工房』とやらを」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
私はアレクシス公爵を伴い、改装中の工房を案内して回った。
彼は道中、ほとんど口を開かなかったが、その鋭い視線は工房の隅々までを舐めるように観察していた。
「この炉は? 申請書にあった熱効率を改善した新型か」
「はい。魔力の流れを最適化し、従来の半分の魔力で同じ火力を維持できます。燃料費の大幅な削減に繋がります」
「こちらの作業台の配置は……職人の動線を考慮したものか」
「その通りです。無駄な動きをなくし、作業効率を上げることで、長時間の作業による身体的負担を軽減する狙いもございます」
彼は時折、核心を突くような短い質問を投げかけてきた。そのどれもが、事業の本質を的確に理解していなければ出てこないものばかりだ。噂通りの切れ者らしい。
だが、私はその全てに淀みなく、理路整然と答えていく。
これは、私にとってプレゼンテーションの場だ。前世で何度も経験してきた。相手が誰であろうと、やることは変わらない。
一通り案内を終えると、アレクシス公爵は初めて、私に対して人間的な興味を含んだ視線を向けた。
「……驚いた。書類に偽りはないどころか、書かれている以上のものがここにはある」
「お褒めにいただき光栄です」
「君は、本当にただの伯爵令嬢か?」
「ええ、ご覧の通り、か弱い一人の令嬢でございます」
私が微笑むと、アレクシス公爵は初めて、その表情をわずかに緩めた。それは笑みと呼ぶにはあまりに些細な変化だったが、確かに彼の纏う氷の鎧に、ほんの少しの亀裂が入ったように見えた。
彼は、これまで出会ってきたどの貴族令嬢とも違う、と内心で結論付けていた。媚びることも、怯えることもない。ただ、自分の成すべきことを、確固たる自信を持って語る。魔導具について話すときの彼女の瞳には、微かだが確かな熱が宿っていた。
面白い。心の底からそう思った。
視察の終わり、彼は馬車に乗り込む直前に振り返り、私にこう告げた。
「工房の認可は、近日中に下ろそう」
「ありがとうございます」
「ただし、条件がある」
「と、申しますと?」
「試作品が完成したら、まず私に見せるように。いいな」
それは、審査局長としての命令のようでもあり、個人的な興味の表れのようでもあった。
彼の真意は読めない。
だが、断る理由もない。私は静かに頷いた。
「承知いたしました。最初の魔法は、公爵様にお届けいたします」
漆黒の馬車が去っていくのを、私たちは黙って見送った。
嵐が過ぎ去ったように静まり返った工房で、ようやく呼吸を再開したリオが、震える声で呟いた。
「……リリアーナ様、あの氷の公爵と、普通に会話してました……」
「ええ。何か問題でも?」
「……怪物だ」
その呟きは、幸いにも私の耳には届かなかった。
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