第20話:公爵と市場調査
抜き打ち監査の一件から、しばらくして。アレクシス様が、工房を訪れる頻度が、明らかに増えた。
もちろん、彼が口にする名目は、常に公務だ。
「辺境地域の産業発展の現状を、定期的に視察する必要がある」
「鉄道会社に納入する製品の、品質維持体制を確認に来た」
もっともらしい理由を並べては、彼は工房にやってきて、私の仕事ぶりを黙って眺めていたり、リオやセナに専門的な質問を投げかけたりして、数時間過ごしては帰っていく。
工房の皆は、すっかりその光景に慣れてしまっていた。
ある晴れた日の午後。
私は、新しい魔導具の素材を探すため、町の市場へ出かけることにした。工房の仕事をリオとセナに任せ、一人で市場を歩いていると、不意に後ろから声をかけられた。
「……リリアーナ」
振り返ると、そこにいたのは、なぜかお忍びのようなラフな服装をした、アレクシス様だった。
「公爵閣下? どうしてここに……」
「偶然だな。私も、市場の経済状況の調査だ」
偶然、にしては出来すぎている。どう考えても、私の行動を把握した上で、待ち伏せしていたとしか思えない。
私が呆気にとられていると、彼はさも当然のように言った。
「目的は同じようだ。同行させてもらう」
断る理由も、そしておそらく断る隙も与えられず、私とアレクシス様は、奇妙な市場デートをすることになった。
彼は、私が露店で足を止め、品定めを始めると、何も言わずに一歩後ろに下がってそれを見守る。
私が店主と交渉して、珍しい鉱石や特殊な木材を手に入れると、いつの間にか隣に来て、当たり前のようにその荷物を持ってくれる。
「あ、閣下、そのようなことは……」
「調査の一環だ。君がどのような素材に価値を見出すのか、実物を確認する必要がある」
彼はそう言って、私の分の荷物を全て、自分の腕の中に収めてしまった。
その振る舞いは、あまりにも自然で、スマートだった。氷の公爵と恐れられている人物とは思えないほど、穏やかな空気を纏っている。
私は、彼の隣を歩きながら、初めて、どうしようもない戸惑いを感じていた。仕事のパートナーとして、庇護者として、彼の存在を認識していた。
でも、今、隣にいる彼は、そのどちらでもない。
ただの、一人の男性だ。
そのことに気づいた瞬間、私の心臓が、少しだけ速く脈打った。これは、なんだろう。この、ほんの少しの居心地の良さと、胸がざわつくような感覚は。
「次はどこへ行く」
「え、あ……次は、古道具屋を少し」
「分かった」
いつも冷静で、合理的なはずの私の思考が、彼の隣にいるだけで、うまく働かない。
市場の喧騒の中、黙って私の荷物を持ち、少しだけ前を歩く彼の広い背中を見つめながら、私は、自分の中に芽生え始めた、新しい感情の正体を知るのが、少しだけ怖い。それでいて、もっと知りたいような、複雑な気持ちになっていた。
市場での、不器用で口数の少ない公爵様と、工房の美しい女主人の姿は、町の人々の間で、微笑ましい噂となって広まっていく。
「氷の公爵様も、工房長さんの前では、ただの男なんだな」
「お似合いじゃないか、あの二人」
そんな声が囁かれていることを、まだ私たちは知らなかった。
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