第11話:公爵の静かなる怒り
王都、ベルンハルト公爵邸の執務室は、暖炉の火が静かにはぜる音だけが響いていた。
その中央で、執務机に肘をついたアレクシス様は、辺境の町から届いたばかりの報告書を読んでいた。彼の表情は、いつも通り氷のように固く、一切の感情を読み取らせない。
しかし、報告書を読み終えた彼が、それを静かに机に置いた時。
彼の側近である執事は、主の纏う空気が、絶対零度まで下がったのを感じ取った。
「……アルフォンス殿下の、差し金か」
呟かれた声は静かだったが、その底には地殻変動のような凄まじい怒りが秘められていた。
報告書の内容は、先日リリアーナ工房で起きた、王太子派の貴族による業務妨害の一部始終だった。
アレクシス様にとって、それは単なる辺境でのいざこざではなかった。
自分が局長を務める魔導具審査局が、厳正な審査の上で『正規の認可』を与えた工房。その業務を、私怨という下劣な理由で妨害する行為。
それは、審査局の権威に対する挑戦であり、ひいては局長であるアレクシス・フォン・ベルンハルト公爵、その人自身への侮辱に等しい行為だった。
(あの女は、ただ自分の力で道を切り拓こうとしているだけだ。それを、権力で、つまらぬ嫉妬で踏みにじろうというのか)
あの視察の日。
自分の計画を理路整然と語った、あの真っ直ぐな瞳。魔導具について話すときにだけ見せた、微かな熱情。その姿が、アレクシス様の脳裏に焼き付いて離れなかった。
彼女は、守るべき価値のある才能だ。この国の未来にとって、必要な人間だ。
アレクシス様は、無言でペンを取った。
そして、一枚の公文書に、迷いのない筆致で命令を書きつけていく。
「これを、魔導具審査局長の名で、全ての貴族家に向けて発令しろ。即時だ」
「はっ。……これは……」
命令書を受け取った執事は、その内容に息を呑んだ。
――公式通達。
『正規認可を受けた魔導具工房の業務に対し、不当な圧力や妨害を行うことは、国の産業育成を阻害する重大な背信行為と見なす。かかる行為が確認された場合、審査局は関連法規に基づき、最も厳格なる対処を行うものとする』
名指しこそされていない。
だが、このタイミングで、これほど強い警告を発するということは、誰の目にも明らかだった。
これは、王太子アルフォンス殿下とその派閥に対する、氷の公爵からの明確な宣戦布告だ。
「よろしいのですか、アレクシス様。これは、王太子殿下を公然と敵に回すことになりますぞ」
「構わん。法と秩序を乱す者が誰であろうと、私は私の責務を果たすまでだ」
そう言い放つアレクシス様の横顔に、執事はもはや何も言えなかった。
主が、特定の誰かのために、ここまで感情を――たとえそれが怒りであったとしても――露わにした姿を、彼は初めて見た。
その日のうちに、通達は王都の全ての貴族の元へと届けられた。
王宮でその知らせを受け取ったアルフォンス殿下は、顔を真っ赤にして激昂したという。
「アレクシスめ……! あの女の肩を持つというのか! この私を、次期国王である私を差し置いて!」
彼の怒りは、リリアーナ工房への嫌がらせを躊躇させるどころか、むしろ逆効果だった。
公爵の行動は、王太子の歪んだプライドをさらに深く傷つけ、より大きな対立の火種となって、静かに燃え広がっていくことになる。
氷の公爵と、愚かな王太子。
私、リリアーナ・フォン・ヴァインベルクという存在を巡る、見えない戦いの火蓋は、今まさに切って落とされたのだ。
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