唯一の楽しみ
無能、無能と呼ばれ続ける僕だが、この家で僕がやるべきことは多い。宿の隅々の掃除、ベッドメイク、食材の買い足し、ゴミ出し、衣類の洗濯など、ありとあらゆることは僕がやることになっている。身体を一瞬でも止めると、すぐに女主人の怒号が飛んでくる。だから僕はひたすら体を動かし続ける。あからさまにこき使われている様子の僕を見て、たまに客が小さな声で話しかけてくることがある。
「辛くないのか」
「大丈夫か」
たいていそういうような言葉だ。ここの女主人は、若い頃だいぶ荒くれていたことで有名なのだ。
すると僕は
「大丈夫です」
といつも答えている。
別に無理をして言っているわけではない。今のよくわからない状況を考えると、ひたすらやることがあったほうがよっぽど楽なのだ。空いた時間ができると、余計なことを考えておかしくなりそうになる。いわば作業療法のようなものだ。そういう意味では、この人遣いの荒い女主人に拾われたことに、僕は感謝すべきなのかもしれない。
ひたすらやるべきことをやって、その目途が付くころには、日はとっくに暮れ落ちている。それでもまだ僕の仕事は終わらない。
この宿は、夜になると飲み屋へと姿を変える。フロントのカウンターに椅子を並べ、ちょっとした料理や酒を出す。この手伝いも僕がするのだ。この時間にもなると、正直身体はボロボロに疲れているが、実は一日の中で僕はこの時間が一番好きだ。
なぜなら、飲み屋時間になると女主人は大酒をかっ食らい、早々に寝に行ってしまうからだ。客はまだまだ帰らない。すると、一時的に主人は僕になる。
実はここからが、僕にとっての一日の本番なのだ。