治療開始!
レクサは最初、まるで新雪を踏み固めるかのように慎重に話していた。しかし、次第に感情が揺さぶられてきたのか、もう後半は彼女の落ち着いた声の向こうから、「心の叫び」が重なっているかのように感じられた。本当はもう泣き叫びたいほどの想いなのだろう。しかし、人前で我を忘れるようなことを良しとしない彼女の性格が、必死になって抑制をかけている。そう僕には思えた。
彼女の話が一通り終わったところを見計らって、僕はこう告げた。
「本当に大変だったんですね」
実に定型文のような、ありきたりな言葉だ。しかし、この言葉をきいた瞬間に、彼女の青くて大きな瞳から、驚くほど大粒の涙がボロボロボロボロとこぼれてきた。カウンターの薄橙色の光が乱反射して、とても美しく見えた。
僕は予め用意していた手作りのおしぼりを、そっと彼女に手渡した。
「良かったらこれで拭いてください」
「え、やだ。私泣いているの? ごめんなさい」
彼女は自分の涙に気が付いていなかったようだ。慌てて顔をごしごしと吹き始めた。人は本当に泣くとき、自分が泣いていることに気が付かないものだ。そして、泣く顔にもならない。ただ、心の何かを全て洗い流そうと、魂の洪水が、目から溢れてくる。
「本当に大変だったんですね」
この言葉は、僕の師匠が患者さんによく使っていた言葉だ。最初、ありきたりな言葉だし、なんだか軽薄な言葉に思えた。しかし、師匠はこう言った。
「この言葉はね、何にも面白みがないし、気も利いていないように思うでしょ。でもね、意外と言ってもらえてない言葉なんですよ。そして、ここに来る患者さんは、『自分は大したことがない』って心の表面上では思っている。そして、そんなフリをここまで来てもしようとする。だから形式上でもいいの。まずこう言ってやりなさい」
そして、確かにこの言葉は有効だった。皆心に堰がある。堰があるから、なんとか平然と取り繕える。本当はもう限界だったとしても。「本当に大変だったんですね」この言葉は、そんな堰に穴を開ける。言われた相手は一気に我慢していた感情をさらけ出すのだ。
そして、それはレクサも同様だった。一通り、その美しい涙が出尽くして、顔を綺麗に拭き上げたころ僕はこう言った。
「僕には、あなたの呪いを解くことができるかもしれません。やってみます」
「本当ですか? 本当ですか?」
本当は呪いなどではなく、立派な精神疾患である「パニック障害」だろうと見当はつけていたが、この世界では「呪い」とでも説明したほうが受入れが良いだろう。ゾロのおやじに言いたいことはいっぱいあるが、とりあえず僕はこの世界では「呪いを解くことができる秘密の僧侶」になりきることにしよう。
「はい、ただちょっと準備が必要です。一週間後、ここにまた来てくれますか?
時間は閉店間際でいいです。そのほうが落ち着いて話せるでしょうから」
僕はレクサに告げた。
「あ、ありがとうございます。また来ます」
「もう、こんな時間ですね、『メイラ』まで送っていきましょうか?」
「いえ、一人で平気です。それに、この村で一番強いのはきっと私ですから」
彼女はここに来て初めて、笑顔を見せた。僕はその茶目っ気混じりの笑顔に、一瞬ドキッとした。
朋美が口癖で「ナイショ」というときの顔に、なんとなく似ていたからだ。
さあ、今週は忙しくなりそうだ。




